第96話.隣に望むのは
「責任なんて全部捨てて、忘れて、俺のところに来てくれと言ったらどうする?」
(ルキウス様……)
どうして彼がそんなことを言い出したのか。
考えても簡単には分からなかったが、ルイゼの答えは最初から決まっている。
それこそ、考えるまでもないことだった。
「すごく嬉しいです、ルキウス様」
「うん」
「でも、投げ出せません」
「……そう言うと思った」
何故かルキウスが、穏やかに微笑む。
伸びてきた左手が、指先で濡れた目元をそっと拭ってくれた。
「ルイゼ。聞いてくれるか」
「……はい」
「人の心を操る未知の魔法があるとしよう。それを使った人間も使われた人間も血を吐き、苦しみ続け、やがて死に至るとされている魔法だ」
「…………!」
ルイゼは静かに息を呑む。
例え話の体を取っていても、それは明らかに暗黒魔法のことだった。
「そんな恐ろしい魔法を相手に、背を向けて逃げる人間は弱いと思うか?」
「……いいえ、そんなことはありません」
首を横に振る。
精神を操り、命さえも奪う魔法など、誰にとっても恐ろしいに決まっているからだ。
「そうだな。対応できる人間にすべてを任せて逃げるのが、当然だ。別にそれは悪ではない」
「はい」
「なら、その魔法に立ち向かい、それどころかその後遺症に苦しむ人を救おう、などと考える人物についてはどう思う? しかも誰から強制されたわけでもない。ただ自分の意志で戦おうとして、前を向いている人なんだが」
「それは……素晴らしいことだと思います」
「そうだろう? つまり、俺が言いたいのはそういうことだ」
ぽかんとするルイゼに、ルキウスが顔をくしゃりとさせて笑った。
少年のように無邪気な笑顔だった。
「ルイゼはすごいよ」
(あ……)
単純なことに遅れて気がつく。
今、ルキウスは、ルイゼのことを言っていたのだ。
ルキウスの口から聞くルイゼの姿は、あまりにも立派で――なんだか、とても自分のこととは思えなかったけれど。
それに、とルキウスが続ける。
「君は偉いし、頑張り屋で。可愛くて、美しくて、笑顔を見るだけで心が安らぐし、話しているだけで楽しいし、一緒に居るだけで幸せになれ」
「ルキウス様っ。は、恥ずかしいです……!」
「……まだ話し足りないんだが」
慌てて遮ると、どこか不満そうにルキウスが呟く。
「でも、これで分かっただろう?」
「え……?」
「俺が隣に望むのは、ルイゼだけだ」
「……っ」
触れていた腕が移動し、ルイゼの頬を包み込む。
骨張った大きな手が、大切そうに触れてくれている。
「この世界でただひとり。ルイゼ・レコットだけを、俺は望んでいる。――その事実は、ルイゼの支えにならないか?」
まるで、一筋の光のような。
真摯な告白を真っ向から受け止めて、ルイゼはしばし言葉が出なくなる。
(ああ。やっぱり、ルキウス様は……)
ずるい、と思う。
どうしていつも、欲しいと思う言の葉を、彼は届けてくれるのだろう。
――私にとって、あなたの言葉が、信じられないほどの救いだと。
何よりも強固な支えになるのだと、ルイゼはそう答えようとした。
「……だけど、さっき」
……でもなぜか、唇からは少し拗ねたような小さな声音が漏れた。
「さっき?」
「カリラン様とダンスの約束、していたって」
ルキウスが一瞬、黙り込む。
そのことにショックを受けながら、もうひとつ。
「それと、私が会場に着いたとき、おふたりは抱き合っている、ように……見えました」
ルイゼが付け加えると、ルキウスは口元を片手で覆ってしまった。
「……すまない、ルイゼ」
ずきり、と胸に痛みが走る。
ルキウスは謝罪を口にした。
(それじゃあ、やっぱり……)
ダンスの約束は本当のことで、二人が抱き合っていたのも――。
また情けなく泣いてしまわないようにと、唇をきゅっと引き結ぶルイゼだったが。
続く、ルキウスの独り言っぽい呟きに度肝を抜かれることとなった。
「本当にすまない。君は真剣に怒っているのに」
「……?」
繰り返される謝罪の意味がよく分からず、小首を傾げるルイゼ。
するとそれをちらりと見たルキウスの頬が、ほんのりと色づいていて。
「嫉妬をする姿があんまり可愛いものだから、抑えが利かなくなりそうで困るな……」
その瞬間。
「っ………………!?」
頭の中のモヤモヤとしたいろんなことは大いに吹っ飛び、ルイゼは思わず叫びそうになった。
必死に両手で口元を覆って堪えたものの、動揺のほうはまったく収まらない。
(し、嫉妬って)
嫉妬。言い換えれば、独占欲。
それはつまり――ルキウスのことを独り占めしたいという気持ちで、ルイゼがいっぱいだったということになるわけで。
しかも真っ赤になってしまったルイゼのことを、何やら面白そうにルキウスが眺めていて。
そんなわけない。だってルキウスと自分は公然と付き合っているわけでもなく、だから――と、言いわけの言葉はうまく出てこなくて、結局力任せな否定しかできない。
「しっ、嫉妬だなんて、私……!」
「そうか? 俺には妬いているようにしか見えないが」
(な、なんで嬉しそうなんですか!)
思わずルイゼはルキウスの胸板をぽすりと叩く。
しかしあまりに弱々しい打撃に効果はなく、それどころか三回目にして腕を絡め取られてしまって、ますますルイゼの体温は上昇してしまう。
だって、これではまるで――馬車の中で、抱きしめられているかのようだ。
「は、離してください」
「嫌だ。それで……あれはカリラン公爵令嬢がバランスを崩したんだ」
どうやら先ほどシャロンと抱き合っていた理由について、説明してくれているらしい。
分かったから手を離してほしい、と思って見上げると、思いがけず真剣な色を宿した瞳と目が合い、どきりとする。
「めまいを起こした、と言っていた。避けても良かったんだが、一応近くに居たから受け止めた。それだけだ」
(一応って)
あんまりな物言いがおかしくて、少しだけルイゼは微笑む。
「それに余計なことだと思って話してなかったが、カリラン公爵令嬢……シャロンは、俺の友人なんだ」
「ご友人……ですか?」
「友人と言うより、腐れ縁というのが正しいのかな……とにかく、考えなしに行動するヤツじゃない。だから今日は、何を考えているのか聞きに行ってきたんだが」
ルキウスの表情はどこか物憂げだった。
「……お話は、できましたか?」
「いや。結局、人目もあってあまり話はできなかった」
ルイゼを不安がらせないためだったのか。
そう教えてくれたルキウスにルイゼは頷きかけたが、なんとも言えない不安が胸の奥底にあった。
(エニマ様は、最近のカリラン様のことを不安定だって口にしていた……)
いつもは言い出さないような我が儘を言う、とも言っていたはずだ。
あのときのエリオットは、シャロンの変化について困惑しているようにも見えた。
だが、それをうまく言語化できない。
何故なら、ルイゼはシャロンの人となりをよく知らないからだ。
ルキウスの言うとおり、シャロンの行動全てに彼女なりの理由があったとしても、その糸口が見当たらない。
「……で、さっきの」
「さっき?」
そこでルキウスがふいに口を開いたので、ルイゼは一度思考を中断した。
「あの、マシューとかいう男は?」
「彼は……先月の夜会で知り合った方です。魔道具研究所の所長のご子息で」
マシューは魔法省や研究所には関わりがないようなので、ルキウスも顔を知らなかったのだろう。
そう思い説明するルイゼだったが、なぜか頭上のルキウスはむっと唇を尖らせていて。
思わず、冗談のつもりで訊いてしまう。
「ルキウス様も、妬いたんですか?」
「妬いたよ」
――が、即座に断言されてしまい、ルイゼは固まってしまった。
そんな初心な少女の頭を引き寄せて、ルキウスは苦笑する。
「……他の男と話すな、などと狭量なことを言うつもりはないんだけどな」
「えっ……」
「寮に着くまでくらいは、君を独り占めさせてくれ」
答える代わりに、ルイゼはルキウスの背にそっと腕を回した。
愛おしげに髪を撫でてくれる感触が優しくて、ゆっくりと目を閉じる。
「明日は魔道具祭だな」
「はい」
「ちゃんと、君の頑張りを見ているから」
「……はい、ルキウス様」
ルイゼは微笑み、そっとルキウスの広い胸に寄りかかった。
祭りのときが、刻一刻と迫っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます