第87話.シャロンの呪縛

 


「遅いわ」


 入室した直後のエリオットにそんな言葉を叩きつけると。


 いつも強気な彼女の表情が、一瞬ぴくりと揺らいだ。

 今日も代わり映えなく魔法省の制服に身を包んだエリオットは堅苦しく、まるで貴族令嬢のようには見えない。


(まぁ、そもそも売春婦の娘だものね)


 胸中で密かに嗤いながらも、シャロンはベッドの上で膝を抱え、エリオットのことを涙目で見つめてみせる。

 怒ってみせるより、このほうがよっぽど効果的だと知っているからだ。


「何度も呼んだのにどうしてこんなに待たせるの? ひどいわ、エリちゃん」

「魔道具祭の準備と……魔法省の仕事もあるから、最近は特に忙しいの」

「それが友達を待たせた言い訳なのね」


 不実を責めるように繰り返すと、「ごめんなさい」とエリオットが頭を下げる。

 立て続けに攻撃的な物言いを放とうとしたシャロンだったが、それより早くエリオットが顔を上げた。


「でも、あたしだって訊きたい。……シャロン、あれはいったいどういうつもり?」

「あれって?」

「分かってるでしょ。三日前の、魔道具研究所でのことよ」

「…………!」


 そのときのことを口に出されると――未だに、激しい怒りがシャロンの内で煮えたぎる。


 せっかくルキウスに会いに行ったというのに、彼の研究室に続く扉が開かなかったこと。

 当のルキウスからもひどい言葉を浴びせられ、そのまま警備兵に連行されてしまったこと。


 歯軋りしたいほどの屈辱を感じながらも、わざとシャロンは澄ました表情を形作った。


「わたしはただ、婚約者に会いに行っただけ。それの何がいけないことなの?」

「……あたしが言いたいのはその件じゃないわ」


 向かい合い、まるで敵対する相手を見つめるかのように、エリオットがシャロンを見下ろして問う。


「課長たちを集めた会議での態度と、発言。それについて訊きたいの」

「……ああ、その話?」


 肩すかしを食らったシャロンは薄く微笑む。


「外部の人間が口出しするべきことじゃないでしょう。あの子……ルイゼは魔道具研究所の所員として、やるべきことをちゃんとやっているんだから」

「エリちゃんだって魔法省の人なんだから、外部の人でしょう? ルイゼさんに意地悪するためにわざわざ派遣されてきたのよね?」


 絶句するエリオット。シャロンは両手を合わせた。


「あ、分かったわ! あの会議にルイゼさんを出席させたのは、彼女に失敗してほしいからなのね?」

「……どういうこと?」

「だってああやって、ルイゼさんがたくさん役に立たない発言をしてたじゃない? いざ魔道具祭が始まって、それが大不評で大失敗に終わったら……きっと責任を取らされて、ルイゼさんは研究所を追い出されるものね!」


 さすがね、とシャロンがにっこりと笑うと――エリオットは一歩、後ろに後退る。

 信じられないものを見るような目をして、彼女は恐る恐ると問うてきた。


「シャロン、どうしちゃったの?」


 その反応に。

 シャロンは溜め息と同時にベッドから立ち上がった。


「……どうかしてるのはエリちゃんのほうだわ」


 どこか困惑した目を向けてくるエリオット。

 シャロンは微笑んだまま、そんなエリオットに近づくと――。


 その頬を、平手で打った。

 バチン! と、室内に張り詰めた音が響く。


 か弱い少女の力だ。きっと大した威力はなかっただろう。

 だが、打たれたエリオットは、少し赤くなった頬に呆然と手をやった。


 そんなエリオットのことを、そっとシャロンは抱きしめた。

 腕の中で、引き締まった身体が小さく震えた。


「あの"約束"のことちゃんと覚えてる? あなたはわたしの望むことを、全部叶えなくちゃいけないわ」

「……わ、忘れるわけ……ない」

「そうよね。当たり前のことだわ。ねぇエリちゃん、誰のおかげであなたはここに居られるの?」

「分かってる……シャロンのおかげだって、分かってるわ……」


 くすくすと、シャロンは笑う。


(そうよ、もっと)


 もっとだ。

 深く、深く深く――根差すように。


 このひとりぼっちの少女の思考を、巣喰うように。


(もっとよ。わたしなら出来る……教わった通りに、エリオットを操れる)


 それがシャロンに与えられた役目だ。


 そうすることで、破滅する人間たちの顔を次々と頭の中に思い浮かべる。

 もちろん、いちばん頭を占めるのは……鳶色の髪の毛と紫水晶の瞳をした、あのいけ好かない少女のことだ。


(ルイゼ・レコット……立場も弁えない、無礼な女……)


 警備に連行されそうになるシャロンを見て、どんなにかおかしかったことだろう。

 見せつけるようにルキウスに肩を抱かせ、こちらを呑気に眺めていた面差しを思い出すと、シャロンはそれだけで吐き気を覚えた。


(あなただけは、絶対に終わらせてあげる。……最悪の形でね)


 背伸びをしてエリオットの頭を撫でていたシャロンは、やがて囁くように言った。


「ねぇエリちゃん。謝ってくれる?」

「…………」

「わたしの心を傷つけたことをちゃんと謝って。それで仲直りしましょう?」

「……ごめんなさい、シャロン」


 フッとシャロンは微笑みを漏らした。

 エリオットから少し離れると、自分の行いを恥じるように赤い顔で頭を下げる。


「いいのよ。わたしもぶったりしてごめんなさいね」

「シャロン……」


 それだけでエリオットの雰囲気は幾分か和らいでいた。


(相変わらず、エリちゃんは単純ねぇ)


「……ああ、そうだ。今度、父が主催の夜会を開くんだけど、エリちゃんも来てくれるわよね?」


 エリオットは少し考えてから、首を横に振った。


「たぶん難しいと思う。仕事が立て込んでいるのは本当なの」

「……そうよね。我が儘を言ってごめんなさい」


 沈んだような顔は長くは見せない。エリオットが気にして、意見を翻しては困るからだ。

 そもそも、今度の夜会にエリオットを呼ぶつもりは最初からなかったのだから。


「なら代わりに誰を呼ぼうかしら? 夜会を盛り上げてくれるような、とびっきりのゲストを迎えたいわね」


 にこにこしながら考える振りをするシャロンのことを、エリオットはどこかぎこちない笑みを浮かべて見守っていたのだった。



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