第74話.秘書官は気がつく
魔道具研究所の八階である。
第一王子ルキウス・アルヴェインの専属秘書官であるイザック・タミニールは、仕えるべき主の傍らに立ったまま、ぷるぷると小さく身体を震わせていた。
(そんな真剣な顔で、ずっと扉の方を見つめてなくても……)
とツッコんでやりたいが、あまりにルキウスが真剣な様子なので口を挟めないでいる。というか面白いのでこのまま見守っていたい。数時間くらいは楽しめる。
ルキウスが自身の研究室にやって来るなり、
というのも先ほど、研究所に到着した際にすれ違ったイネス――イザックは豪放な彼女のことを密かに「イネスの姐さん」と呼んでいる――から、耳寄りの情報を得たためだ。
『ルキウス殿下。最近ルイゼちゃんが、研究所内のゴミを回収して回ってますよ!』
『……何だと?』
『週の始めと終わりです。あのエリオットとか言う魔法省のエリートも一緒でしたけどね』
……という話を聞いて。
ルキウスは研究室に向かうなり、いそいそとほぼ空っぽのゴミ箱の中身をきれいに回収した。
そして先ほどから、それを布袋に入れてデデンと椅子に座り、待ち続けているのである。
他の誰でもない――愛しの少女の来訪を、今か今かと。
(一国の王子が、片手にゴミ袋を大事そうに持って……)
なんと情けない姿だ、と人によっては呆れる光景かもしれないが。
残念ながらと言うべきか、正直この男は――ルキウスは、ゴミ袋を持っていても恐ろしいほど美しかった。
むしろそういう彫像だ、芸術品だ、と説明されれば誰もが信じるだろう。どんな彫像だよと言いたいところだが。
今のところルキウスの思い人がやって来る気配は全くないので、イザックはこの隙にと気になっていたことを訊いてみることにした。
「ルカ、あの役人のことはどう思ってるんだ?」
「役人?」
「魔法省のツンツン女」
「……エニマ子爵令嬢のことか? 別にどうも思わないが」
(まぁそれはそうだろうよ)
イザックが知る限り、未だかつてルキウスがルイゼ以外の女性に興味を示したことは一度もない。
というかコイツにそもそもそんな気があるのなら、今頃婚約者のひとりや二人は呆気なく居たはずだ。
イザックの質問の意図を察したのか、ルキウスが言葉を付け足す。
「責任感が強いのだろうな。暗黒魔法の件にルイゼを巻き込むのが嫌で、ああいう物言いをしたのだろう」
「ん? ええ……? あれってそんな感じだったか?」
意外すぎる解釈にイザックは目を丸くする。
数日前、東宮で顔を合わせたときのエリオットは、妙にルイゼへの――そしてルキウスへの敵意に満ちているようだった。
ルイゼを尊重するルキウスの態度に、ひどく苛立っているようにも見て取れた。
かといって、他の多くの令嬢たちと同じように、ルキウスへの好意は感じられないので不思議だったのだ。
それをルキウスは淡々と解説してしまう。
「無関係の人間を危険に晒す必要はない、と言いたかったんだろうな。魔法による問題は魔法省が解決すると。そこまでは、本人も自覚していないのかもしれないが」
(基本的に情緒面は未発達のくせに……)
とイザックは、意外に鋭い主人に呆れるような感心するような心持ちになってしまった。
「だが――ルイゼの力は必要だ。だから俺が彼女を守る」
強い覚悟の滲む口調で、ルキウスは言い放つ。
それから、ふと笑みを零すと。
「そしてルイゼなら俺が迎えに行かずとも……自力で、ここまで登ってきてみせるのだろうな」
そこまで聞いてようやく、イザックも苦笑を漏らした。
(いつもルイゼ嬢は、簡単な道は選ばないな)
敢えて困難な茨だらけの道を突き進んでいるようで、彼女の友人としてイザックは心配でもあるのだが。
だがそれはルキウスも同じことだ。
誰が何と言おうと、自分の意志を貫く。そのあたりも、このふたりはよく似ていて――だからこそ、相手に対する強い信頼で結ばれている。
エリオットが妨害したところで少しも揺らぎはしないのは、そのおかげなのだろう。
「そろそろエラの町からも、ガーゴインとリーナについて報告が送られてくる頃だろう」
「今はこの十年間についてレポートをまとめさせてるんだったか?」
「ああ。まずはその分析からだが……一筋縄では行かないだろうな」
暗黒魔法については、未だ解決の糸口は見つからない状況だ。
一連の事件の首謀者であると見られるセオドリクは死に、公爵家の屋敷から姿を消した使用人についても足取りは掴めていない。使用人については事件に関わりがあるのかすら、現時点では分からないが。
そして魔法省が連日尋問を続けているハリーソンも、有力な情報は漏らしていない。
話したこと以外は何も知らないの一点張りだそうだ。
(魔法省が、判明した事実を
「にしても来ないなー、ルイゼ嬢」
「…………」
「寂しいなー、ルカ」
「………………」
ルキウスの返答は沈黙だった。
いついかなるときも無表情が標準装備のルキウスだが、専属秘書官であるイザックの目には、次第に彼の機嫌が悪くなりつつあるのは明らかだった。
ルイゼに会いたくて仕方がないのに、現在の彼女の不安定な立場上、そう易々と会いに行けないのがもどかしいのだろう。
もはやゴミ袋を手に、ルイゼを探して研究所内を隅々まで歩き回りかねない。研究所の人々は比較的ルキウスには慣れているが、さすがにそうなれば騒ぎになるだろう。
そこまで心配したところで――イザックは、初歩的なことに気がついた。
(……あれ? 待てよ?)
「……なぁ。ちょっといいか?」
「何だ」
「ルイゼ嬢って新規職員扱いなんだよな? なんちゃら観察員の認定証も返却しちゃったんだもんな」
「何を今さら」みたいな顔でルキウスに見られつつ、イザックは続ける。
「つまりルイゼ嬢が自力で行ける階って五階までなんじゃね? 新規職員の認定証だと
「…………」
ルキウスが静かに目を見開いた。
「……、…………あ」
気の抜けた吐息を、ルキウスが漏らした数秒後。
――目の前の扉がおもむろに開き、二人が同時に顔を向けてみると。
そこには見覚えのある糸目の男が立っていた。
「ちーっス! ゴミの回収に来たっスよ~!」
あまりにもそのタイミングが絶妙すぎて。
爆笑直後に足を蹴られ、「痛ッてー!!」と叫ぶ秘書官の声が、八階に響き渡ったという。
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