第73話.研究所での初仕事

 


「すごいスね、レコットさん……」


 呆けたように呟くアルフに、ルイゼはキリッとした眼差しを向ける。


「アルフさん、手を動かしてください。午前中にはこの倉庫の掃除を終わらせましょう!」

「りょ、了解っス! がんばります!」


 ルイゼは強く頷き、はたきを左手に持ち替えた。


 魔道具研究所での勤務が始まって二日目。

 ルイゼはたったひとりの同僚であるアルフと共に、汚れきった倉庫の清掃に取り組んでいる。

 どうやらこの倉庫は、余った魔道具を大量に仕舞い込んだ場所でもあるらしく、積もった埃の量が尋常ではなかった。


(これが私の初仕事!)


 たとえイメージしていたものとは違う仕事であっても、任された以上は全力で取りかかる。

  そうしてせっせと埃を払っていたルイゼだったが――。


「……あなた、本当に貴族令嬢なのよね?」


 そのとき、ふと後ろの壁際からそんな声がした。


 脚立の上に乗っていたルイゼは、バランスを崩さないよう気をつけて振り返る。

 するとエリオットが、ルイゼのことを戸惑ったような顔つきで見上げていた。


 ちなみにエリオットは指導役――というより監視役としての役割に徹しているのか、倉庫内の荷物を外に出したり、掃除用具を持ち込んだりと動き回る二人を眺めているだけで、自ら手伝う姿勢は見せない。


「ただの貴族令嬢が、どうしてそう慣れた手つきで掃除できるのよ?」


(家の侍女たちから、一通りのことは教わってきたからです)


 と素直に答えるのも憚られ、ルイゼは曖昧な笑みで誤魔化した。

 と言っても、大量の埃や砂を防ぐために口元には布を巻いている。エリオットには見えなかっただろう。


 ルイゼは過去、ミアを始めとする侍女たちから様々なことを教えてもらった。

 掃除、洗濯、炊事、花壇の水やり、ゴミ捨て……エリオットが一律調整課の仕事として挙げた五つのどれもに最低限の経験があるのはそのためだ。


(ミアたちには渋られたけど、教えてもらえて良かったわ)


 そして清掃作業を見守るエリオットの顔には戸惑いと共に、不満の色もあった。


(やっぱりエニマ様の目的は、魔道具と関係の無い仕事をさせて、私の根気を奪うこと……なのかしら)


 エリオットを始めとした魔法省の職員たちは、ルイゼと暗黒魔法とを遠ざける意向らしい。

 だからこうして、魔道具とは縁の遠い部署にルイゼを置いたということだろうか。


 それ以上のことは現時点ではルイゼには分からないが――だが、それでも感じることがあった。

 エリオットの瞳に敵意はあっても、悪意はないのだ。


(……あまり、悪い人だとは思えない)


 掃除が終わった頃に様子だけ見に来ればいいのに、今も律儀に壁際で見守っているように。


「あーあ。【清掃機】を使えばもっと簡単なのに……」

「何か言った?」

「い、いえ別に」


 ルイゼとは逆方向からはたきを使っていたアルフが呟きを聞き咎められ、ビクビクしている。

 しかしその呟きに、ルイゼはふと思った。


「清掃用の魔道具って少ないですよね」


 アルフとエリオットが同時にこちらを見る。


「アルフさんが仰った【清掃機】くらいしかない気がします。もっと開発されても良いような」

「確かにそうっスね……【清掃機】は毎年のように新しい型式が発表されてるけど」


【清掃機】は風の魔石が使われた生活用魔道具のひとつだ。

 先端にはゴミや埃を吸い取る口があり、大きな取っ手部分を握ってスイッチを押すと動き出し、汚れが吸込み口に次々と消えていくのである。

 ダストケースが装着されていて、ゴミはその中にどんどん溜まっていく。フィルターの交換も簡単なので、国民の間での人気も高い魔道具だ。


「最近ではお風呂場で使える【清掃機】も発売されていますよね」

「そうそう、あっちは風じゃなくて水の魔石を使ってるんスよ。ああ、つい数日前まで第三研究室でおれも【清掃機】の魔術式をせっせと書いてたのになぁ……」

「……ちょっと。無駄話は」

「エニマ様はどう思いますか?」


 ルイゼが振ると、少しエリオットはたじろいで。


「どうって言われたって……掃除は自分の手でやった方がきれいになるし、気持ち良いものじゃない。いちいち魔道具になんて頼る必要ないわよ」


(あれ? エニマ様は子爵家の令嬢なんじゃ……)


 それなのに自室を自ら掃除していたのだろうか。

 少し不思議に思ったが、エリオットは立て続けに言った。


「そんなもの無駄なだけよ。不要なものだわ」

「……そうでしょうか?」


 首を傾げると、エリオットが眉を顰める。

 ルイゼは臆せず言い放った。


「バケツに浸さなくても勝手に濡れる雑巾とか、自在に動いてくれる箒とか、埃を食べちゃう木とかがあったら――便利だと思いませんか?」


 ワクワクしながらルイゼは語る。

 エリオットは呆れた様子だった。


「……それ、ほとんどおとぎ話の世界じゃない? 魔道具にだって、できることとできないことはあるでしょ?」

「でもそんなものがあったら、きっと面白いです」


(というか、ないならいっそ造ってみたい……)


 しかし今のルイゼは新規職員としての扱いのためか、それともエリオットが研究所側に指示しているためなのか、まだ【刻印筆】をもらえていない。

 つまり思いついた魔術式を試そうにも残念ながら練習自体が出来ない。


(うう。もどかしい!)


 そんなことを思いつつ、ルイゼはアルフと共に張り切って掃除を続けて――その結果、三時間ほどで狭い倉庫内は見事にきれいになっていた。

 タイルの壁と床は余すところなく磨き上げ、積み上げられていた木箱や雑用品についても整理整頓し、棚に並べ終わっている。


(うん。良い感じ!)


 天井まで掃除してくれたアルフはヘトヘトの様子だったが、どこか達成感のある笑顔を見せている。

 しばらく倉庫内を見回していたエリオットも、小さく頷いた。


「……いいでしょう。じゃあ昼休憩のあと、次は研究所内のゴミを全て回収してきてもらうわ」


 彼女の目線の先には、倉庫の掃除で出た不用品の数々がある。

 倉庫内だけでもこれだけのゴミが出たので、ついでに他からも回収しようということだろう。


 ルイゼは倉庫を出る前に、制服のポケットからひとつの魔道具を取り出した。

 外見だけで言うなら、化粧品のリップのように見える。

 その底面をカチリと、音がするまで押すと……透明な水の膜のようなものが現れ、ルイゼの全身を覆った。


 水と風の魔石を併用した魔道具――【クリアシャワー】だ。


 服や身体についた埃などは、まるで洗い流されるようにきれいに取れていく。

 ちなみに使われている水の魔石の量はごく微量で、風の魔石の力で一瞬で乾いてしまう程度なので髪の毛や衣服が濡れてしまうということもない。


 その名前からも浴槽代わりとして扱われており、主に旅人や軍人に重宝されているという。

 ルイゼ自身も、清涼感というには多少の物足りなさはあるものの、手軽に格好を整えられる魔道具として便利だと感じていた。


(それに、体調が悪いときとかも便利よね)


 長時間、湯船に浸かる必要が無いところは利点だと思う。

 最後の名残でポニーテールがふわっと風に揺れると、そこから桜の香りが漂った。


 ほほう、とアルフが目を光らせた。


「最新型の桜色塗装の【クリアシャワー】スね。良い香りっス」

「使用人のみんなが、就職記念にとプレゼントしてくれたんです」


 実は昨日、一律調整課の仕事内容をミアに説明したところ、使用人全員の満場一致でルイゼに贈ろうという話になったらしい。

 最新型は特に値が張るのに、ルイゼのためを思って『無限の灯台』で最後のひとつをゲットし、今朝方に届けてくれたのだという。


「アルフさんもよろしければ使いますか?」

「いいの!?」


 わーい、とはしゃぎながら【クリアシャワー】を受け取るアルフ。

 ルイゼは返事を予想しつつ、エリオットにも訊いた。


「エニマ様もお使いになりますか?」

「あたしには必要ないわよ。自分の風魔法で埃くらい飛ばせるし」


 予想通りの素っ気ない返事だった。

 そしてその言葉通り、彼女の指通りの良さそうな髪の毛は風の魔力の残滓でふわりと揺れている。


 それなら、とめげずにルイゼは誘ってみる。


「食堂で一緒にお昼ご飯はどうですか?」

「…………結構よ」


 しかし思った通り、エリオットはそっぽを向いて答えたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る