第75話.あなたがいない宴で
研究所にて、雑用に追われる日々が二週間過ぎた頃。
フィベルトにエスコートされ、今夜のパーティーを過ごしていたルイゼは――フィベルトとのダンスのあと、若い貴族たちに取り囲まれていた。
というのも、地方貴族の出身であるフィベルトには知り合いも多く、彼もずっとルイゼの傍に居てくれるわけではないからだ。
「レコット伯爵令嬢、今日も一段とお美しいですね」
「次は私と踊っていただけますか?」
「いいえ、どうか僕と。ずっとあなたに声を掛けたかったんです」
と言っても、最近のルイゼにとっては慣れたことだ。
ひたすら愛想笑いを浮かべて相槌を打ち、時には差し出された手を控えめに握ってダンスに興じる。
(誰も、"私"を見ているわけじゃないから)
彼らはガーゴイン・レコットの――伯爵の代理人としての、ルイゼの価値を計っているだけだ。
リーナの替え玉をしていたときと、なんら変わらない。
(今の私は、お父様の替え玉として見られている……)
そう認識していたからこそ、伯爵代理として恥ずかしくない振る舞いを――とルイゼは精いっぱい務めているつもりだった。
そうして、艶めく夜色のカクテルドレスにショールを羽織り、編み込まれた鳶色の髪の毛を背中に揺らす可憐な姿が、老若問わず周囲の目をこれ以上なく引き寄せていることには無自覚なまま……ルイゼは笑顔で、目の前の人と談笑していた。
「次は私と踊っていただけますか?」
それは、少し休もうとルイゼが人目を避け、ホールの隅に移動していたときだった。
横合いから声を掛けられ、ルイゼは辟易とした気持ちを押し隠して振り返る。
だが――どうやら本音は筒抜けだったのか。
それとも様々な貴族令息から声を掛けられるルイゼのことを観察していたのか。
目の前に立つ青年は、ルイゼを気遣うように談笑スペースを示した。
「よろしければ、あちらで休みましょう」
「いえ、私は……」
「冷たい飲み物を持ってきますから、そこで待っていて」
口調は優しいが有無を言わさぬ態度で押し切られ、ルイゼは言われた通りに目立たない隅の席に着く。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
差し出された、オレンジの果実が添えられたカクテルグラスに口をつける。
思いがけず喉は乾いていたようだ。喉を湿らせて人心地つくと、ルイゼは目の前の青年を見つめた。
「えっと……」
「マシュー・ウィルクです。どうぞマシューとお呼びください」
年は二十歳と言ったところだろうか。ブルージュの髪をした眼鏡の青年がルイゼに向かって微笑む。
婦女子の誰もがときめかずにいられないほどの美しい微笑だ。
しかしルイゼはまったく別のことを考えていた。その家名に聞き覚えがあったのだ。
(ウィルク家……魔道具研究所の所長と同じ家名だわ)
確か所長には三人の息子が居るとフィベルトが言っていた。マシューはその内のひとりだろうか。
そう思うとルイゼの警戒心も和らいだ。その縁で彼は声を掛けてくれたのかもしれない。
「私はルイゼ・レコットと申します」
「もちろん存じ上げていますよ。ルイゼさんとお呼びしても?」
「ええ、構いません」
ルイゼがそう返すと、マシューは「良かった」と笑みを深めた。
「ルイゼさんは、魔道具研究所に入所されたんですよね? 僕の父はあそこの所長なもので、それであなたの話を聞いたんですよ。お若いのに非常に優秀な方だと」
やはり思った通りだったらしい。
「マシュー様も、魔道具に造詣が深くていらっしゃるのですか?」
「はは、僕はその方面はサッパリで……兄は魔法省の下っ端職員なんかをやっていますがね」
マシューが照れたように頭を掻く。
それから彼は周囲を静かに見回すと、口を開いた。
「ルイゼさんは、エリオット・エニマについてはご存知ですか?」
「…………」
ルイゼは密かに眉を寄せた。
(あまり、聞いて楽しい話ではなさそう……)
そう思うが……エリオットがどんな人間なのか、知りたいという思いがあるのも事実で。
ルイゼはその問いかけに首肯を返した。
「エニマ様は私の上司です」
固い声で答えると、声を潜めてマシューが言う。
「ルイゼさんのことが心配なので、念のためお話しておきますが」
「……何でしょうか?」
「――エリオット・エニマ。あの娘は売春婦の子供なんです」
思いがけない言葉に、ルイゼは小さく目を瞠る。
「あの名前もおかしいでしょう? エリオットなんて男の名前だ。間違っても女につける名前ではありませんよ」
「…………」
「母親が、跡取りの居ないエニマ子爵に取り入るために、男児だと偽ってエニマ家に連れて行ったそうなんです。結局すぐに嘘は看破され、母親は屋敷を追い出されたそうですが……幼い娘を哀れに思ったのか、エニマ子爵は娘だけはそのまま家に置いたんです」
沈黙するルイゼに、身を乗り出すようにしてマシューは話し続ける。
「当然でしょうが屋敷の中では、エニマ夫人から酷い虐めを受けていたそうですよ。エニマ子爵もあの娘が魔法省に入省すると聞いてほっとしたでしょうね。既に遠縁から養子も取っていますし、本当なら縁を切りたかったのでしょうが……」
「あの、お話はそれだけでしょうか?」
ルイゼが立ち上がると、マシューは「え?」と気の抜けた顔をしていた。
「それでは私は失礼しますね」
踵を返すと、すぐに「ルイゼさん!」とマシューの声が追いかけてきた。
それでも立ち止まらずにいると、腕を掴まれる。
ルイゼが驚いて振り返ると、マシューは妙に熱っぽい瞳でルイゼを見ていた。
「……人が見ています。やめてください」
「嫌です――と言ったらどうします? 無理やりこの手を振り払いますか?」
(私がそう出来ないと分かって、言っている……)
マシューは魔道具研究所のトップの息子なのだ。人前であからさまな拒絶を示せるわけがなかった。
彼は動けずにいるルイゼの耳元に顔を寄せると、こう囁いた。
「僕が父に掛け合えば、エリオット・エニマを魔法省に追い返すこともどうにかできると思いますよ。……あなたにとっても、悪い話ではないと思いますが」
「どうして、マシュー様がそんなことを?」
「それはもちろん――あなたのことが、気になるからです」
薄らとマシューが微笑む。
しかしルイゼが眉を顰めるのを見ると、今夜は引くことにしたらしい。
「またお目にかかれた際には、ぜひ一曲お相手を。それでは」
腕を離すと、彼は笑みを残して去って行く。
広いパーティー会場にぽつんと取り残されたルイゼは、肺の中に溜まっていた空気をゆっくりと吐く。
(……最低だわ、私)
エリオットの居ない場所で、彼女のことを勝手に聞いてしまった。
そんな罪悪感が胸の内に湧き上がる。だが、今さら後悔しても致し方の無いことだ。
「居た居た、レコットさん。そろそろ帰ろうかぁ」
ちょっぴり足元が覚束ない様子で赤い顔のフィベルトが近づいてくる。
ルイゼはそんな彼に目を細めた。
「……フィベルト室長、だいぶ飲んでますね?」
「えぇ? 気のせいだよぉ」
いつも以上に間延びした語尾で話しながら、フィベルトがにへらと笑う。
主人に飲ませすぎないでね、と夫人からも見張りを頼まれていたのだが……ごめんなさい、とルイゼは心の中で彼女に謝った。
明日は仕事なので二日酔いが心配だ。酔い止めを飲ませなければと給仕係を探しつつ、ルイゼはふと思う。
賑わう人混みの中に、もしも――と、その人のことを考えてしまう。
(……ここに、あなたが居てくれたら)
最近はいつもそうだった。気がつけば、居ないはずの彼の姿を目で探している。
特別補助観察員の認定証を返却して、彼はルイゼにとって、より遠い存在になってしまった。
今のルイゼには、暗黒魔法と関わる資格さえ与えられていない。
必死に、少しでもその隣に近づけるようにと思っていたのに、以前は隣に居てくれた彼は……今は近くに居ない。
(ほんの二週間前に、顔は見られたのに)
ひかりに溶けるような銀色の髪と、吸い込まれそうな
甘やかに掠れた声も、自分を見る眼差しの温かな温度も、その腕の優しさだって……薄れるわけもなく、覚えているのに。
それなのに、無性に――思った。
(ルキウス様に、会いたい…………)
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