第二部.戸惑いの火花
第69話.婚約者?の少女
エリオット・エニマは、長い廊下を歩いている。
国に戻ったばかりで、しかも魔法省への報告を終えたばかりだ。
身体は疲労しているが、エリオットにとっては慣れた場所だ。誰の案内が無くとも彼女はスイスイと進んでいき、目当ての部屋の前に到着した。
何度かノックをしたが、応答は無い。
悪いとは思いつつ、ドアを少しだけ開けてみると――鍵はかかっていなかった――部屋の中からは、愛らしい泣き声が響いてきていた。
「シャロン!」
エリオットは我慢できず部屋へと飛び込んだ。
「大丈夫!? シャロン!」
「……エリちゃん……」
果たして、目的の人物はベッドの上で膝を抱えていた。
涙に濡れた痛々しい少女の顔が、青白い月の光に照らされていて……エリオットは思わず顔を歪める。
(ひとりで泣いていたのね……)
これでも仕事を早めに切り上げてはきたのだが、もっと早く駆けつけてあげられれば良かった。
歯噛みしながらも、シーツの上に座ってシャロンの表情を覗き込む。
「心配したのよ、【通信鏡】で何度呼んでも答えてくれないし……」
「ごめんなさい……」
悄然と謝るシャロンはとにかく可憐で、エリオットは不思議と自分が彼女をいじめているような気持ちになってくる。
その柔らかな桃色の髪を優しく撫でてやると、シャロンは嗚咽を堪えるように愛らしく鼻をすすった。
(……本当に、シャロンは可愛い子だわ)
家族から、周囲から愛され、慈しまれ、蝶よ花よと育てられてきた令嬢。
エリオットにとってもシャロンは大切な友人で――だからこそ、こんな風にシャロンがひとりで泣いているという現実が、エリオットには許せない。
次第に落ち着いてきたのか、ゆっくりと顔を上げたシャロンが小さな唇を動かす。
「ねぇ、エリちゃんは……知ってる?」
「何を?」
「帰国されたルキウス様が、夢中になっている令嬢が居るのですって」
「……風の噂で聞いただけだけど」
そう言いつつ、実際の所エリオットには心当たりがあった。
確か名前は――。
「……ルイゼ・レコット。元魔法省大臣のガーゴイン・レコット伯爵の、娘なのですって」
そうだった、とエリオットは頷く。
魔法省職員であるエリオットにとって、ガーゴインは尊敬するに足る実力を持つ上司だった。
しかしその双子の娘に関してはどうだろう。
("才女"と呼ばれていたリーナ・レコットと、"無能令嬢"と嘲笑われていたルイゼ・レコット……)
ルイゼが幼少の頃から婚約していた第二王子フレッドは、彼女との婚約破棄を口にした次の瞬間にはリーナとの婚約を宣言していたという。
だが、そんなフレッドとリーナの婚約関係も既に解消された。
その理由については機密扱いではあるが、エリオットは知っている。
というより、魔道具研究所に赴き現場調査を行ったのがエリオットなのだ。
(研究所に不法侵入したリーナ・レコットが爆発事故を起こして、その責任を取るという形で婚約が白紙に戻された)
リーナは病気療養するガーゴインと共に表舞台から姿を消したため、貴族の間では様々な噂や憶測が飛んでいる。
その理由も当然、エリオットは把握していた。ごく一部の職員しか知らないことではあるが。
そしてリーナの姉であるルイゼ・レコットは、帰国した第一王子ルキウスに目を掛けられている女である。
王都でもふたりを目撃したという声があったり、魔道具研究所にもふたりで足繁く足を運んでいたのだとか。
(第二王子にフラれてすぐ、第一王子に取り入るって……よほど男好きする女なのか)
しかもフレッドはといえば、リーナとの婚約破棄をされた後からはルイゼへの謝罪を繰り返す奇行がたびたび目撃されている。
仕事の都合上、王宮に出仕することも多いエリオットも何度かそれを見ていた。見ていたというか、信じられずに二度見三度見した。
だって信じられるだろうか。
自分の生まれた国の王族が、何も無い虚空に向かって膝を地面につけ、頭を下げ続けているだなんて。
(フレッド殿下は、悪魔に取り憑かれたのかと思った……)
正気に戻ったのか、悪魔祓いされたのか最近ではその光景は目撃しなくなったが。
あれを思い出すと今でも頭痛を覚える。しかし彼の叫んでいた内容が話題になったことで、結果的に世間がルイゼを見る目というのはかなり軟化したようだ。
エリオット自身にとっては、ルイゼ・レコットへの評価というのはまだ定まっていない。
実際に彼女に会ったこともなければ、話したこともないからだ。
だからそれまでは、判断は下さないつもりだったが――。
「ルキウス様は、わたしにはちっとも会いに来てくださらないの……」
気がつけばまた、シャロンの大きな瞳から涙がこぼれ落ちている。
「帰国を記念した夜会にも、わたしは行くつもりだったのに、なぜか父と母が行ってしまったのよ」
「あのときは……シャロンは体調を崩していたから、仕方が無いことだわ」
シャロンは緩く首を横に振る。
そのたびに美しい涙の粒が散り、シーツに黒い染みを作った。
「それでも、わたしはルキウス様に会いたかったわ。だって」
悲哀に溢れた声音で、シャロンが呟く。
「わたし――――ルキウス様の婚約者、なのに」
(ああ……可哀想なシャロン)
エリオットはシャロンを抱きしめる。
小動物のように小さな身体が震える。エリオットはますます腕の力を強めた。
「大丈夫よ、シャロン。いつもみたいにあたしが何とかしてあげるから」
「……ほんとう? エリちゃん……」
「本当よ。今まであたしが嘘を吐いたことがあった?」
シャロンが首を横に振る。そうでしょう? とエリオットは微笑んだ。
「全部、あたしが何とかしてあげる。だから心配しないでね」
エリオットは思い出す。
魔道具研究所から送られてきた、今秋から採用となる新入職員たちの
その中に、シャロンを苦しめる女の名前があったことを――。
(そうよ。あたしがシャロンを守ってあげなくちゃ)
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