第68話.あなたへの告白

 


 爽やかな緑の芝生の上を、ルキウスの後ろについて進む。

 大きな一本木の幹の前で彼が止まると、その数秒後にルイゼも足を止めた。


「……懐かしいな」


 振り返った彼に、「はい」と頷く。


(ここで初めて、ルキウス様に出逢った)


 お茶会から抜け出してきて。

 知らない道を歩いて辿り着いたこの場所でーー欠伸を漏らしながら本を読む、ひとりの少年に出逢った。


「ルキウス様」


 ルイゼが呼ぶと、ルキウスはじっとこちらを見つめる。

 緊張で、ルイゼの身体は強張っていた。


 それなのに、自分でも驚くほどにすんなりとーーその言葉だけは自然と口を突いて出た。



「私は、あなたのことが好きです」



(…………ようやく、お伝えできた)


「ずっと、ずっと、ルキウス様のことが好きでした」


 輝くようにきれいで、凛として格好良くて。

 笑った顔がかわいい、年上の男の人。


 彼と魔道具の話をしたあの日から、ルイゼの世界は瞬く間に広がった。

 不安なときも、尻込みするときも、彼との小さな思い出があったから前を向いていられた。


「……そうか」


 なら、とルキウスが言葉を紡ぐ。


「ルイゼ。俺の妻になってくれるか?」


 その真っ直ぐな言葉に応えようとしてルイゼは口を開いた。


「ーーーー、……」


 しかし、その思いが形を辿る前に……唇をゆっくりと引き結ぶ。

 ルイゼは、深く頭を下げた。


「…………申し訳ございません」


 そのときいったい、ルキウスはどんな表情をしていたのか。

 頭を下げたままのルイゼには分からなかったがーーそれでも、血を吐くような声音で続ける。


「父と妹が……罪を償う日まで、私には許されないことだと思っています」


 きっと、王妃を始めとして……良いと、許されると言って受け入れてくれる人たちは居るだろう。

 父とリーナの罪は王族や国の中枢を担う人々、魔法省の上層部くらいにしか明かされていないのだから。


 でも、その道は選べない。


(亡くなった魔術師の方々が居る。巻き込まれて傷ついた人たちが居る。それなのに自分だけ……ルキウス様との幸せを、選び取ったりなんてできない)


「それは、君の責任では無いのに?」

「……いいえ」


 ルイゼは顔を上げて、まだルキウスの顔は見られないままに首を左右に振った。


「私は、ガーゴインとリーナの、家族ですから」


 はっきりと、そう言葉にする。


「それに私、夢が出来ました。……魔道具研究所で働きたいんです」


 ルキウスは何も言わない。

 でも彼ならばきっと真剣に聞いていてくれると信じて、続ける。


「治癒魔法では治せなかった母や、ケイトの顔の傷を治したくて……今までは漠然と、治療用魔道具を造りたいと思っていました」


 自分ひとりの力ではどうにもならなかったからこそ、幼い頃のルイゼはその夢を掲げた。

 魔法では治らない病気や傷だって、魔道具なら何とかなるかもしれないと思ったのだ。今もその気持ちは変わってはいない。


「でも今は、それだけじゃないんです。私はーー暗黒魔法から人々を救う魔道具を、造りたい」

「…………!」


 ルキウスが鋭く息を呑んだ気配がした。


 父にも、そしてリーナにも後遺症が残っていると治療院の人々から知らされたのは、数週間前のことだ。


 リーナは時折、唐突に鼻血を噴いたり意識を失うことがあると言う。

 ガーゴインは心身の衰弱が激しく、時々何かを叫んだり、正気を失うことがあるそうだ。記憶の混濁も見られるという。


(それが、暗黒魔法の所為ならば)


 今回の一連の事件の首謀者とされるセオドリクは死んだが、運ばれた魔道具の行方はようとして知れない。


 恐らくだが、まだーー何も終わってはいない。

 今後も……否、もしかしたら今この瞬間も、暗黒魔法によって苦しんでいる人が居る。


(……私に出来ることなんて、これっぽっちも無いのかもしれないけれど)


 それでも、そんなルイゼに手を差し伸べてくれた人たちが居た。

 だからこそ魔道具研究の道に本格的に進みたいと思ったのだ。

 どんなに長くて遠い道のりだとしても、そこに向かって歩き続けたいと。


 たったひとりでも。



「暗黒魔法の治療用魔道具を造りたい。それが今の私の、いちばんの夢なんです」



 長い沈黙が、ふたりの間に訪れた。


 生ぬるいはずの風も、髪の間を通り抜けるたびに一層冷たく感じられる。

 ルイゼはそれでも、ルキウスの答えを待った。どんなに小さな声でも聞き逃さないように耳を澄ませて。


「分かった」


 やがて、そんな呟きが聞こえて。


 ルイゼが顔を上げると、ルキウスはほのかに笑っていた。

 その表情は、ルイゼの想像したどんなものとも違っていて。


「なら俺は、君の夢が叶う日を待つ」

「え……?」

「いつまでも待つよ。君の近くで」


 それも、まったく予想外の言葉だったものだから。

 ルイゼは目をぱちくりとして、唖然としてーー思わず声を上擦らせた。


「でもっ、完成しないかもしれないのに」

「随分と弱気だな」

「だって! その間にルキウス様は……」

「俺は?」

「…………きっと、心変わりしてしまいます」


 口にするだけで身体に戦慄が走るほど、その未来は恐ろしかった。

 それでも、それが十二分にあり得ることだとーーむしろ、疑う余地もなくその可能性があるのだとわかりきっている。


 ルキウスの周囲にはきっと魅力的な女性がたくさん居て。

 その中で、自分こそが彼に相応しいのだと無根拠に叫べるだけの美しさも強さも、ルイゼには無いから。


 だが静かに震えるルイゼを見下ろし、ルキウスは小さく吐息を吐く。


「……念のため言っておくと、万が一にも俺にそんな日は来ない。俺も全ての力を以て君の研究を手伝うし……どんな手を使ってでも、治療用魔道具を完成させ、暗黒魔法のことも解決させる」

「ルキウス様が……?」

「そうだ。……だからもうそんな風に泣かなくていい」


(え?)


 伸ばされた指が、ルイゼの頬の表面をそっと撫でた。

 それでようやく、頬を伝い続けていたその気配を感じ取ったルイゼだが……だからこそ言葉に詰まった。

 こんなにも眩しい人を涙で引き留めようとするなど、あまりにも愚かしく思えて。


 でもルキウスにとっては、そうじゃなかったらしい。

 彼は眉を下げて、弱ったように言うのだ。


「君が泣くと、どうしていいか分からなくなるよ。俺は」

「……泣いてなんて、いません」


 強がるルイゼに小さく笑うと。

 彼はルイゼの頬に手を添えたまま、顔を近づけてーー濡れた目元に、そっと唇を落とした。


「っ」


 唐突な感触に、ぴくっとルイゼが震えると……くすりと柔らかく、ルキウスが笑った。

 その吐息さえ、ルイゼの睫毛を震わせる。


「しょっぱい。……やっぱり泣いているな」

「ーーーーっ」


 堪えきれなくなって。

 ルイゼはルキウスに抱きついた。


「わっ」


 相当驚いたのか。

 勢い余って、ルキウスが尻餅をついた。

 それでもルイゼが何も言わずに抱きつき続けると……ルキウスの腕が背中に回される。 


(あなたが好き)


 それだけで嗚咽が漏れそうになって、ルイゼは震え続ける唇を噛み締めて、ますます強くルキウスにしがみついた。


(あなたのことが大好き)


 狂おしいほどに切なくて、苦しくて、胸がぎゅうと痛くて。


(私がどんなにあなたのことをお慕いしているか。どんなにか想っているか)


 気がついたら涙が勝手に零れて、暴れ出しそうな熱でいっぱいになっている。


(目の前に、この心を取り出して……お見せできれば良かったのに)


「顔を見せて、ルイゼ」


 でもそんなことは出来るはずもないから。

 ルキウスの言うとおりに、ルイゼはおずおずと彼の胸元から顔を上げた。


 涙で濡れたひどい顔だっただろう。

 それなのにルキウスは愛おしげに目を細めて、泣き続けるルイゼの目元をやさしく拭った。


「告白を……いや。プロポーズを言い直すよ」

「…………」

「君の夢が叶ったら、俺と結婚してくれるか?」


 ルイゼは泣き笑いしながら、答えた。




「…………はい、ルキウス様」




 唇を、驚くほど柔らかい二度目の感触が包んだ。

 目を閉じて、ルイゼは彼のことだけをただ全身に感じる。


 このまま時間は、止まってしまうかのように思われたがーーやがて目をゆっくりと開くと、彼も同じタイミングで目を開いていたから。

 紫水晶アメジスト灰簾石タンザナイトと穏やかに溶け合って、同時に笑った。


「……プロポーズが成功したら、渡そうと思っていたんだが」


 そうしてルキウスが取り出したリングケースに、ルイゼはびっくりして固まった。

 しかし軽い音を立て開いたケースの中、納まっていた指輪を見て呆然とする。


(これは……私が以前持っていた……?)


 その指輪は、ルイゼが大事にしていた【眠りの指輪】によく似ていた。

 というか、ほぼ同じデザインだと思う。しかし中央に嵌まった紫色の宝石は以前の物より高級なのか神秘的に輝いているし、全体的に真新しく見える気がする。


 そうして、どういうことかと首を傾げていると。


「あのときは君の瞳の色に似ていると言ったが、やはり君の瞳の方がずっと美しいな」

「…………えっ?」


 ルイゼの目を覗き込んで、ルキウスが悪戯っぽく笑う。


「な、ルーちゃん?」


 彼がそう言ったその瞬間だった。


「…………っっっ!!」



 頭の片隅に、ふわっと記憶の欠片のようなものが閃いてーーーー。



(ああ。何で……)


 思い出した。

 あんまり美しくて女の子と見違うほどの少年のことや、彼と交わした言葉や、無理やり繋がせた手の感触や……。


 それに、そうだった。

 離れるのは嫌だと我儘を言うルイゼに、その少年が、きれいな指輪をプレゼントしてくれたのだ。


(私……何でこんなに大事なことを、ずっと忘れていたの……っ!)


 羞恥のあまり悲鳴を上げそうになったのをどうにか耐えて。

 ルイゼは真っ赤になりつつも必死に呼吸を整える。


 だって何だか彼は期待するような顔で、こっちをじいっと見つめているから。


「……ルーくん」

「うん?」

「この指輪……ひ、左手の薬指に……つけてくれますか?」

「喜んで」


 ぎくしゃくと掲げる左手を、彼が宝物のように大切に取って。



 誰かと誰かが結ばれたのか。

 どこか遠くから風に乗って、教会の鐘の音が祝福のようにきこえてきた。



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