第67話.残された謎と

 


 リーナを見送ったルイゼが、次に向かった先は王立図書館だった。


 分厚い歴史書が収められた本棚の前。

 そこでルキウスは本を立ち読みしていた。


 見惚れるほど美しい横顔は、作り物めいているほどで――けれどルイゼに気がついて顔を上げると、彼はふっと表情を和ませた。

 ルイゼが思わずどきりとしてしまうほどに、柔らかく。


(私がこの美貌に慣れる日は、ずっと来ないかも……!)


 赤くなりそうな頬を抑えつつ、ルイゼはルキウスにそっと話しかける。


「ルキウス様、お待たせしました」

「大丈夫、そんなに待っていない。……ところでアホな秘書官をどこかで見なかったか?」

「……えっと」

「そうか。やはり君のところに逃げていたか」


(ごめんなさいタミニール様!)


 今頃イザックは王宮のどのあたりを逃走しているのか。

 方向が分からなかったのでルイゼは心の中だけで彼に謝罪した。


「行こう、ルイゼ」


 ルキウスは床板の仕掛けを外すと、当然のようにルイゼの手を取った。

 ルイゼもまた、その手を握り返す。そしてふたりで、暗い隠し階段を進んでいく。


 乾いた土の香りと古書の匂いに包まれた禁書庫に辿り着くと、ルキウスがルイゼを振り返った。


「あれから何度かここには足を運んだか?」

「いえ。ルキウス様と行った一度きりです」


 ルイゼの答えは、少しルキウスには意外だったらしい。

 もちろんルイゼも、治療用魔道具のヒントとなる資料を探すに当たり、何度となく禁書庫のことを思い出していた。

 それにここの棚には、まだまだ読んでいない本だらけなのだ。欲を言うなら毎日でも通い詰めたいくらいである。


 それでも、地上の本を中心に借りていたのは――もう一度訪れるときは、必ずルキウスと一緒のときだと決めていたからだ。



(ここは"小さな大学"……ルキウス様と私の、大切な場所だから)



 ふたりで、いくつかの魔導書を選び取って席に着く。

 特に示し合わせたわけではない。それでも捲ったページに書かれた記述は、似たような部分で。


(……暗黒魔法)


 その魔法はもともと、闇魔法の深淵に位置するものだと人々に認識されてきた。

 人の心を操り、洗脳し狂わせる恐ろしい魔法。だからこそ闇魔法を使う魔術師は敬遠され、現代でも彼らは冒険者として活動するにも苦労している。


「ルイゼ。君は闇魔法が使えるが、ここに書かれているように――人の心を操る魔法が使えるか?」


 繰っていたページではなくルイゼのことを見つめ、ルキウスが静かな声で問うてくる。


「…………実は、その」


 歯切れの悪いルイゼに、ルキウスは何度か瞬きをしている。

 ルイゼは覚悟を決め、口を開き直した。


「試したんです。ここで禁書を読んだ後に、何度か」

「……何だって?」

「だって知らない魔法の使い方が、載っていたので……」


 解説を読んだら、試さずに居られないのが人の性ではないだろうか。

 しかも封印指定され焼き払われたはずの魔法について書かれた禁書があって。

 それはどうやら、自分の魔法適性であれば実現できそうでもあって。


(さすがにそれで好奇心を抑えるのは、無茶な話かと!)


 しかしルイゼも無論、考えなしにそれを実行したわけではない。

 何だか固まっているように見えるルキウスに、キチンと説明する。



「ご安心くださいルキウス様。誰かを巻き込むわけにはいきませんので、!」



 これなら何も問題は無い。

 と思って白状したのだったが――。


 音を立てて立ち上がった彼が、ルイゼの両肩をぐいと掴む。


「ルイゼ!!」

「っ!?」


 烈火の如く怒った様子のルキウスに、ぴえっとルイゼは飛び上がった。

 なまじ顔が整いすぎているが故に、ルキウスの怒った顔の迫力は凄まじいのだ。


「君というやつは……っ何を考えている! それでもし魔法が発動したらどうするつもりだったんだ!」

「あのっ……でも、発動しませんでしたし」

「それはただの結果論だ! 万が一の場合、無事で済まなかったかもしれないんだぞ!」


 本気でルキウスは怒っている。

 それをひしひしと感じ取ったルイゼは、反射的に謝ろうとしたのだが。


「研究者気質にも程がある。そんな危険な真似は今後一切禁止だ」


(そ、それはーールキウス様に言われたくないような!)


 なんて、反抗心が芽生えてしまった。


 黙り込むルイゼの顔を至近距離から覗き込み、ルキウスが念押ししてくる。


「……分かったか? ルイゼ」

「……本当にすみませんでした。でも」

「でも?」

「……ルキウス様も一ヶ月前に、ご自身を対象に暗黒魔法を掛けようとしたのでは?」


 そう。

 ルイゼに怒る彼だって一ヶ月前に、リーナから押収した未知の魔道具を修理して使おうとしたではないか。


 ルイゼがじっと上目遣いで見ると、ルキウスは何故か慌てたように口元を拳で隠した。


「それとこれとは……話が別だろう」

「まったく別ではありません。魔道具が発動していた場合もあったはずです」

「リスクは低いと判断して試したまでだ」

「御身を危険に晒していい理由にはなりませんっ」

「っだから俺は、自分のことなんかより君が心配だと」

「私だって、自分よりずっとルキウス様のことが大事です!」

「君が相手でもこれだけは譲れない。俺の方がずっとルイゼを案じている!」

「いえ! 私の方が――」

「俺の方が――」


 ……ぴた、と同時にふたりは黙り込んだ。

 気がつけば話がずれているというか、何というか、


(……このやり取りは、だいぶ、恥ずかしいのでは?)


 同時に気がついたルイゼとルキウスはしずしずと椅子に座り直した。

 ……お互いに顔が赤いのは、コホンと咳払いで誤魔化す。


「……君も発動できなかった以上、暗黒魔法と闇魔法はまったく別種の魔法ということになる」

「はい……」

「つまりーーこの魔導書に書かれた情報は間違っているということになるな」


 ルイゼが押し黙ると、ルキウスもまた深く沈黙した。


 その誤りが、著者の作為に依るものなのか。

 あるいは、何者かによってねじ曲げられた情報を信じ切って記したものなのか。


(魔術式も魔石も使われていない魔道具……)


 現代の魔道具の常識の範疇には収まらない代物。

 それを言い表す言葉を、ルイゼは一つしか知らない。



「この魔道具を造ったのは……失われた文明ロストテクノロジーを生きた人々かもしれないのですね」



「やはり、君も気づいていたか」


 ルイゼの呟きに、ルキウスが眉間の皺を深くする。


(でも……信じたくはない、と思ってしまう……)


 この"小さな大学"や【刻印筆こくいんひつ】くらいしか、ルイゼは失われた文明ロストテクノロジーのことを知らない。

 それでも、現代ではどうやって再現するのか想像もつかないような魔道具に胸躍っていたのは事実で……そんな人々が、人を傷つけるためだけの魔道具を造ったなんて思いたくはない。


「彼らも一枚岩では無かった、ということなのか……どちらにせよ、現時点では何とも言えないが」

「…………」


 ルイゼの胸中の思いを察したのか、そんな風にルキウスが言う。


 ルイゼにはもう一つ、ずっと気になっていたことがあった。


 『罪があるから、罰がある』のだと、幼いルイゼにティアは言った。

 ティアは血を吐いて、苦しんで苦しんで死んだ。ルイゼとリーナには見せられないからと父に部屋に閉じ込められたから、ルイゼはティアの死に目に立ち会うことはできなかったが。


 それでもルイゼは、何も知らないままで居たくはなかった。

 だからこそミアにせがみ、母の最期をこっそりと聞いたとき、母はいったい何の病に苦しめられていたのだろうとーールイゼは怖くて、不思議で……仕方が無かった。


(お母様は、もしかしたら……)


 しかしその想像には、何の確証もない。

 だから口には出せなかった。国を背負って立つ立場であるルキウスに、聞かせていい話ではないと思ったから。


(確信を持てたときに、ルキウス様にはお話するべきだわ)


 結局、その日は暗黒魔法の記述のある本を何冊か読みお開きにすることになった。

 ルキウスはたぶん、この国でも一二を争うほどに忙しい身の上だ。今日の時間を捻出するにも、かなり無理をしていたのだと思う。


「特別補助観察員の認定証を、ウィン先生に返したそうだな」

「はい」


 地上への階段を上りながら、ルキウスの言葉にルイゼは頷いた。


 すでに寮の部屋も引き払っている。

 今日、魔道具研究所に行ったのは最後の挨拶をするためだった。

 第三研究室の面々はルイゼとの別れを惜しんでくれたが、もう決めたことだった。


 そして、その話も含め、どうしてもルイゼはルキウスに伝えなければならないことがあった。

 緊張しながらも、口を開く。



「ルキウス様。……あの夜のお返事をしてもいいですか?」



 手を引いていたルキウスは、ぴたりと立ち止まってーールイゼを振り返る。

 頼りなげな【光の洋燈ランプ】に顔の半分を照らされたその人は、ちょっとだけ目を見開いていたが……やがて、軽く頷いてみせた。


「うん」


 繋いだままの手には、強い力が籠もっていた。



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