第66話.別れと、始まり

 


 リーナは素っ気なく顔を背ける。

 兵や治療師の女性は見える位置に控えているが、少しルイゼたちから距離を置いてくれていた。


「……数日ぶりね、リーナ」


 気遣いをありがたく思いながら、ルイゼはリーナに話しかけた。

 数日前もガーゴインとリーナの見舞いに治療院を訪れたばかりだ。

 そのときはリーナが露骨に嫌がったので数分、顔を見たくらいだが。


 リーナは鳶色の髪の毛を肩ほどの長さで切っていた。

 髪を切った理由を聞いたら「もう演じられるのはウンザリだから」と言っていたが……その言葉が本心なのかどうか、ルイゼには分からなかった。


 だから、今日彼女が治療院を旅立つタイミングを見計らってルイゼは会いに来たのだった。

 治療師たちは親切で、ルイゼにだけはその日付と時刻をこっそりと教えてくれていたから。


「大丈夫? ひとりで……不安ではない?」


 ルイゼがそう言うとリーナは目を眇めた。


 ガーゴインの検査入院はまだ続いている。

 リーナに比べて衰弱がひどいためだ。まだ数日間は安静が必要なため、彼は今も治療院で休んでいる。

 本当なら父と共に出立したかったはずだ。ひとりで心細いのではないかとルイゼは心配だった。


「…………ハァ」


 このまま無視していても、しばらくは解放されないと察したのか。

 リーナは深い溜め息と同時に、車椅子の手すりに憮然とした面持ちで頬杖をついた。


 未だに、ルイゼの方を見ようとはしないまま。


「どうせわたくし、いつ死ぬか分からない状態なんでしょう? 不安も何もないわよ。死ぬまでレポートだか報告書だかを書くし、実験でも何でもやってやるってだけ」


 ひどく投げやりな物言いだった。

 ルイゼは言葉に詰まりながらも、どうにか会話を続けようとする。


「……自分から、その役を志願したって聞いたわ」

「はん! その方がマシって思っただけよ。人道的にモルモットにされるか、非人道的にモルモットにされるかの違いでしょっ?」


 やはりリーナには取り付く島もない。

 今すぐにでも、車椅子のハンドルを使ってこの場から走り去りそうな勢いだ。


 だがそれ以上、ルイゼも何と話しかければいいか分からなかった。


(話したいことは、あったはずなのに……)


 何度も、何度も考えていた。

 朝起きてから、夜眠るまでの間。気がつけばそればかりを考えていた。


 リーナに言いたいこと。

 リーナに言うべきこと。

 リーナに訊きたかったこと。


 会いに行くのは正しいことなのかと悩みもして、それでも、今を逃したら二度とリーナと向き合えない気もして。


 でも――口を開けても、何も言えなくて。

 どうしても、言葉は形にする前に喉の奥に引っ込んでしまう。


 そうして暗い顔で黙ってしまったルイゼに、リーナが淡泊な声音で言う。


「ねえ、ルイゼ。ひとつだけいい?」

「……なに? リーナ」


 ようやくリーナは、刺々しい目つきながらルイゼのことを見遣った。

 それにほっとした直後だった。




「わたくし、アンタのことが本当に大嫌いよ」




 踏みつけるように。

 せせら笑うように、リーナは言った。


「本当に、本当に大嫌い。今すぐ死んでほしいって思うくらい」


 ……そのとき、ふと。

 リーナの望む答えが、ルイゼにははっきりと分かった。

 もしかしたらずっと前に、十年よりもっと前に、そう伝えるべきだったのかもしれないと思うほどに。


 だからこそ、ルイゼは迷わず言い返した。





「ええ。私もあなたが嫌いよ、リーナ」





 ――静かに、涙がこぼれ落ちた。


 声もなく泣いていたのはリーナだった。


 しばらく、ルイゼはそんなリーナと見つめ合う。

 同じ顔をした双子の姉妹だというのに――こんなにも長く目を合わせたのは、あるいは生まれて初めてのことだったかもしれない。


 それほどに長く、永遠に感じられた時間にはやがて終わりが来た。


 リーナは乱暴に、入院着の袖で頬を拭う。

 数秒後に腕が退いたときには、既に涙の面影は跡形も無く消えていた。

 いっそ幻かと思うほどに。


「…………あっそ。じゃあ、もう行くわ」


 リーナが背後に合図すると、治療師の女性が近づいてくる。

 彼女が車椅子の向きを変える最中に、リーナが早口で言ってくる。


「二度と、アンタには会いたくない。もうわたくしに顔を見せに来ないで」

「……ごめんなさい。それは、約束できないわ」


 だがルイゼが拒否すると、一瞬だけ目を見開いて。




「……本当に、馬鹿なお姉様」




 小さく掠れた声で、リーナは最後にそう言ったのかもしれない。


 物々しい数の警備を引き連れて、リーナの姿が遠ざかっていく。

 その後ろ姿が見えなくなるまで、ルイゼは見送った。


 涙は出なかったが、その背中はどこか霞んで見えた。



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