第65話.これからのこと

 


 それから一ヶ月が経った。

 近頃は暑さも少しずつ和らいできて、日中も過ごしやすい季節になってきている。


 ルイゼはたった今、魔道具研究所に挨拶を済ませたところだった。


 傍に護衛騎士たちの姿はない。当面の危機は去ったとして、ルキウスが護衛の任を解除したからだ。

 実際はルイゼが「もう大丈夫ですから」と懸命にルキウスを説得したのだが……護衛騎士の面々も責任感が強いためか任務の継続を申し出たりして、納得してもらうのはかなり大変だった。


「お、ルイゼ嬢」

「タミニール様」


 研究所を出ると、片手を挙げてイザックが迎えてくれたのでルイゼは目を丸くした。

 何事かと思えば、どうやら彼は王宮を抜け出してきたらしい。


「ぶっちゃけ忙しすぎて死にそう! ちょっとでいいからオレの息抜きに付き合ってくれ!」


 と両手を合わせて訴えられれば、無下には出来ず。

 というわけでサボり魔の彼と共に、しばしルイゼは馬車に揺られることとなった。




 ――ルキウスが真実を明らかにしたことで、王宮は大きく揺れ動いた。




 ガーゴインは魔法省大臣を解任されることが発表された。

 表向きは病気療養のための辞任ということになっている。だが、長くその役を務めた大臣が唐突に退くことには、魔法省を中心に動揺の声が広がった。


 フォル公爵家は爵位を剥奪され取り潰しとなったが、その理由は公には明かされなかった。

 というのも、暗黒魔法には未知の部分が多く……公爵家については情報統制が敷かれているのが現状だ。

 公爵家の屋敷からは使用人がひとり行方をくらませているそうだが、それと事件の関係も分かってはいない。


 ハリーソンは黙秘を続けている。

 研究所地下で捕らえた人々については、ほとんどが何の事情も知らない平民ばかりで、多額の報酬に釣られて働いていただけだと訴えているそうだ。しかも人員は数ヶ月ごとに入れ替えられていたという。

 魔法学院の教師でセオドリクの息の掛かっていた者たちも、何も知らなかったの一点張りらしい。


 この十年間で密造された魔道具の大半も、何処かへ運び出された後だったが――その道程ルートを割りだそうと、ルキウスの指示の下で王国騎士団はさっそく動き出している。


 ――ルキウスはいずれ、セオドリクが隠した全てを解き明かす心積もりだろう。

 そして彼ならばきっと成し遂げると、ルイゼも信じている。


(……でも、どうしてだろう)


 あれから一ヶ月が経っても、ルイゼの胸にはずっと不安が燻っている。

 言いようのない焦燥感のようなものが。



「しっかしルキウスもそうだが、ルイゼ嬢も相変わらず忙しそうだな……」



 車輪のガラガラという音に紛れ、イザックがぼそりと呟く。

 ルイゼは窓の外から視線を戻した。

 今回の騒動はあまりに規模の大きい話で――ルイゼが頭を悩ませても仕方の無い問題ではあるのだ。


「忙しいというかは分かりませんが……先々週は国王陛下と王妃殿下にお会いして、先週はフレッド殿下にお会いしました」

「おおー……! あの噂マジだったんだ」


 イザックが感心したように息を吐いたので、その反応に「えっ」とルイゼは目を瞬かせた。


「噂になっていたんですか?」

「そりゃあ王宮中で。ルイゼ嬢が王族に挨拶回りするってことは、そういうことなのかぁ――、と」


 その返答にルイゼは苦笑する。

 どういう誤解を受けているのか何となく予想はついた。だが、事実はまったく異なる。


「国王陛下と王妃殿下とは、畏れ多いことですが……お互いに謝罪をしたんです」

「謝罪?」

「お二方からは、噂を鵜呑みにして息子の婚約者を放置し、申し訳なかったと。私からは――替え玉を演じてフレッド殿下や周囲を欺いたことをお詫びしました。……父や妹のことに関しても」


 今まで、オーレリアからは何度かフレッドの婚約者として、個人的なお茶会などに招待され話したことがあった。

 だが国王であるフィリップと対面して、挨拶以外の会話をした経験はなく……緊張したルイゼだったが、会ってみると意外にも、国王は話しやすい人だった。


 ガーゴインとは古くからの悪友――もとい親友だったのだという話はとても面白かったし、それに。


(何というか……国王陛下はフレッド殿下に、すごく似ているから)


 正しくは、フィリップに息子のフレッドがよく似ているのだと思う。


 感情の機微が激しくて。

 すぐにおろおろしたり、焦ったり、戸惑ったりするフィリップを、その隣で優雅に微笑んだオーレリアが、


「落ち着いてくださいフィリップ陛下。ルイゼが困っています」


 穏やかな口調ながらぴしゃりと叩くと、若干だがキリッとした顔つきになる。

 たぶんそんな風に、オーレリアは今までも妻として、国母として夫を陰日向に支えてきたのだろう。


 容姿だけだと、成長したフレッドとルキウスが目の前に居るようにも感じて――ルイゼは何かと不思議な心持ちになったのだった。



(本当はそのときオーレリア殿下にも、『ルキウスとはどうするの?』と微笑みながら訊かれてしまったけど……)



 不敬だと承知した上で、ルイゼは無言を貫いた。

 しかしそのことは、イザックにも話すべきではないことだ。


「フレッド殿下とは?」

「彼とは……これからのことを少し」


 フレッドは王位継承権を放棄するつもりだったらしい。

 しかしルキウスに止められて、その話は立ち消えたそうだ。


 フレッドはルキウスから今回の事件のあらましだけを聞いたという。

 と言っても、主にリーナの行いに関連する部分だけだったそうだが……フレッドはそう、照れくさそうにルイゼに教えてくれた。


「フレッド殿下には、新しい夢が出来たんだそうです」

「夢?」


 現在、王位継承権第一位であるルキウスを阻むものは何もない。

 彼は十数年後には国王として即位することになるだろう。



『そのときに兄上を――いや。国王陛下を支えられるだけの臣下になりたいと、そう思ったんだ』



 そう語るフレッドは、さっぱりとした顔をしていた。

 兄を蹴落として国王の座に就きたいと憎々しげに語っていたときよりも、ずっと。


 リーナの要請に従って王宮から追い出したという側近たちも、ひとりずつ呼び戻している最中らしい。

 全員が頷いてくれたわけではなく前途多難だと言っていたが、これからもフレッドは少しずつ、王族としての道を進んでいくのだろう。


(『これから、何か困ったことがあれば僕の名前を使っていい』なんて、フレッド殿下は仰ったけれど……)


 出来れば今後、そんな差し迫った事態は訪れてほしくないと思う。


「ちょっとはまともになったんだなぁ、あの毎日土下座王子も……」


 うんうん、とイザックが腕組みをして頷くのに、ルイゼはきょとんと首を傾げるのだった。




 +++




 イザックと別れ、ルイゼがやって来たのは王宮にある王立治療院の前だった。

 ルキウスとの待ち合わせまでまだ時間がある。その間に向かうべきはここだと最初から決めていた。


 今日は、検査入院を終えたリーナが辺境――ヤズス地方にある、エラの町に旅立つ日なのだ。

 静養地での療養という名目になっているが、それと同時に。



(お父様とリーナは……暗黒魔法の謎を解明するため、魔道具研究所に協力することになった)



 しかもそれは国王やルキウス、研究所からの提案ではなく――リーナ自ら、そう志願したのだという。


 暗黒魔法については、その成り立ちから仕組みまで、分からないことがあまりに多すぎる。

 魔道具の構造、発動条件、具体的な効果作用、効果の有効期間……挙げるとキリが無いが、不明な点だらけなのだ。

 だが、既に国内に死者も出ている以上、未知の代物だからと放置するわけにはいかなかった。


 そしてリーナと同時に、父であるガーゴインも協力を申し出た。

 状況によっては、暗黒魔法を実際に使う必要も出てくるかもしれない。

 ルキウスに誓った言葉通り、命を賭して贖罪を果たすとふたりは決めたのだ。


 だが困ったのは、未知の魔法に侵され続けていたガーゴインと、その操り手であるリーナを長く王宮に留めることは出来ないという点だった。



 そこで白羽の矢が立ったのが、辺境伯ロレンツ・カーシィだった。



 機密レベルの高い暗黒魔法に関連する以上は、信頼のおける人物に協力を仰ぐ必要がある。

 その点で、ロレンツを上回る適役は居なかった。いざというときは【ゲート】を使って瞬時の移動も可能である、とルキウスが国王に説き、この案は内密に受理されることとなった。


 ロレンツ自身も、ルキウスからの達しに迷うことなく頷いたそうだ。

 人員も監視役を含め十名足らずで事足りる。順調に準備は整っているという。


 ロレンツの長子の妻であるケイトからも、ルイゼの元に一通目の手紙が届いていた。

 その手紙には、まだリーナに会うのは怖いが、いずれ落ち着いたときは挨拶をしたい旨などが綴られていた。


 そして魔法省の上層部はと言えば、ガーゴインとリーナの身柄を預かる権利は自分たちにこそ認められるとルキウスに主張したという。

 魔法省とは、魔法が正しく使われるために設立された組織であるために、未知の魔法が関わるのであれば自分たちの領分だと。


 だが、彼はそれを突っぱねた。

 代わりと言っては何だが、ハリーソンの身は魔法省に引き渡すことになったそうだ。そのことを教えてくれたとき、ルキウスは苦々しげな様子だった。



(それでも、その交渉に応じてくれたのは、父のためであり、リーナのためであり……きっと、私のためだった)



 大臣であったガーゴインはともかく、彼に危害を加えた張本人であり、未知の魔法を使えるリーナの場合――魔法省で、果たしてどんな扱いを受けるのか。

 それを恐らく、ルイゼよりもずっと具体的にルキウスは知っている。だからこそ、魔法省からの不利な取引にも頷いてくれたのだ。


「あ……」


 王立治療院の玄関に立ち尽くしていたルイゼは、扉が開いたのに気がついて振り返った。

 思った通り、そこから――警備の兵と治療師に付き添われ、車椅子に乗った人物が姿を現した。



「リーナ!」



 ルイゼが駆け寄ると。


 リーナは途端に顰め面になり、そっぽを向いた。



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