第64話.家族
ふらつきそうになる彼の肩を、隣でルキウスの配下だろう騎士が支えている。
それも暗黒魔法の影響なのだろうか。
数日前に見かけたときより一層、ガーゴインはひどく痩せ細っているような気がした。
(きっとルキウス様の指示で……寝室でずっと、話を聞いていたんだわ)
「…………ルイゼ」
そしてルイゼの名を呼ぶガーゴインの声に、以前までは必ずと言っていいほど篭もっていた凄まじい怒気は欠片も見当たらない。
ガーゴインを操っていたリーナの暗黒魔法は、既に解けているのだろう。現に彼女の使用していたという首飾り型の魔道具は壊れてしまっているのだから。
彼は騎士に断り、覚束ない足取りながらもひとりでルイゼの目の前まで歩いてきた。
まだ年齢は四十代半ばだというのに。
老人のように疲れ、落ち窪んだ眼窩がルイゼを見つめる。
ルイゼは何も言えず、父を正面から見つめ返した。
すると枯れ果てたように見えた、彼の二人の娘と同じ
「ルイゼ……謝って済むことではないが、本当に、本当に――すまなかった」
深く頭を下げたガーゴインの目元から、いくつもの涙が落ち、絨毯に黒い染みを作る。
声は嗄れていて聞き取りにくかったが、ルイゼの心に突き刺さるように聞こえた。
「幼かったお前を、理不尽に責め立て……辛い思いばかりをさせた。不甲斐ない父で、すまなかった……」
(お父様は、悪くない)
暗黒魔法が父を縛り、その意志とは無関係に操っていたのなら。
悪いのは魔法で、父ではない。
それでもルイゼの口からは、うまく許しの言葉が出てこない。
「ルイゼ」
そのときだった。
声が聞こえて、ゆっくりと振り返ると……ルキウスが、ルイゼのことをまっすぐに見ていた。
「――無理に言う必要は無いんだ、ルイゼ」
「……っ」
それだけで涙が出そうになったのを、どうにか堪えて。
「……お父様、ごめんなさい。今はうまく、……言葉が出てきそうにありません」
ルイゼがそう言うと、ガーゴインが顔を上げた。
ひどく憔悴しきった彼に、どうにか笑いかけてみる。
「でも、お父様とこうしてお話することができて……私は、嬉しいです」
ルイゼは、ガーゴインに抱きついた。
やがて父の手も、躊躇いがちにルイゼの背中に伸ばされる。
(…………子供の頃よりずっと、ぎこちないかも……しれないけれど)
たった数秒間の短い抱擁。
だが、ルイゼにとってはそれで充分だった。
身体を離すと、ガーゴインは尚、心配そうな顔つきをしていたが――ルイゼが退いた奥に、もうひとりの娘が蹲っているのに気がついたらしい。
「――――……リーナ」
ガーゴインが呼びかけると一際強く、リーナの身体が震える。
「お、お父様……っわたくし……わたくしは……」
「…………すまなかった、リーナ」
床に膝をついたガーゴインが、痛々しく傷ついたリーナの頬を優しく撫でる。
光を失っていたリーナの瞳に、ガーゴインの顔が映し出された。
「どうして……どうして、お父様が謝るの……? だって悪いのは……!」
「私こそ、お前が苦しんでいるのに気がついてやれず……こんなになるまで、放っておいて……」
「――お……お父様ぁっ……!」
リーナは大粒の涙を零しながら、ガーゴインの胸に飛び込んだ。
嗚咽を上げるリーナの頭を撫でながら、ガーゴインもまた身体を震わせている。
窓際からは嘘のように明るい陽光が射し込んで、抱きしめ合って涙するふたりの姿を照らしていた。
その光景を眺めて、ルイゼは心から思う。
(…………良かった)
十年間の苦しい記憶が、これで帳消しになったわけではない。
ひどく苦しんで、泣いて、傷つき続けて。
ボロボロになって過ごしてきた日々の痛みは、確かに今もあって――
(それでも……確かに、救われたものだってある)
「ルイゼ」
いつのまにか傍に居てくれた。
彼の大きな手のひらが、ルイゼの手を包み込む。
それでようやく、ルイゼは自分の手が小刻みに震えていることに気がついた。
「……ルキウス様。ありがとうございました」
「俺が勝手にやったことだ」
指を絡めて、強く繋ぎ合う。
ルイゼの震えごと守るように、ルキウスはどこまでも優しくて。
「ルキウス様が居てくださったから。私……」
(あなたが、居たから――私は、救われたんです)
その小さな声が聞こえたのかは分からなかったが。
ルキウスはルイゼに微笑みを残して、ゆっくりと離れていく。
次の瞬間には、ルキウス・アルヴェインとして。
ひとりの王族として、彼はどこまでも冷徹な眼差しでガーゴインとリーナを見下ろしていた。
「ガーゴイン」
温度の無い呼びかけにガーゴインは、リーナから身体を離し「はっ」と深く頭を垂れた。
取り残されたリーナはまだ呆然としていて、ルキウスとガーゴインの間で視線を往復させている。
「分かっているだろうが。お前にも、リーナ・レコットにも清算すべき罪がある」
「……承知しております」
「十年間、未知の魔道具に操られていたんだ。言いたいことはあるだろうが」
「……いいえ。私から弁解すべきことは何もありません、ルキウス殿下」
「そんな! お父様は……っ」と叫びかけたリーナの肩を顔を上げずに軽く叩き、ガーゴインが言う。
「私は国王陛下より、魔法省大臣という重大な役目を仰せつかった人間です。この度の不始末、この命だけで償えるものではないでしょうが――どのような罰も、いかなる処遇も甘んじて受けます」
「そうか。それは、お前の娘であるリーナ・レコットもか?」
名を呼ばれたリーナが縮み上がる。
固く張り詰めた声音で、ガーゴインは返した。
「無論、娘のリーナも、同様です」
「っ!」
リーナは、父に裏切られたと感じただろうか。
そうルイゼは思ったが、リーナはぎゅっと唇を引き結び……ガーゴインの隣で慣れない様子で頭を下げた。
「……はい。わたくしも、悪いことをしました。この、い、命も――差し出します。わたくしも、罪を償います」
その拙い言葉には、リーナの覚悟が詰まっているようで……ルイゼも眉を下げる。
平伏するふたりに、ルキウスが何かを言いかけたときだった。
前にも聞いたことのある音がした。
ルキウスが【通信鏡】を取り出し、開いたコンタクトに呼びかける。
「イザックか。どうした」
『すまんルキウス。さっき報告が入ったんだが――』
悔しそうな声で、イザックは続けた。
『セオドリク・フォルが毒をあおった。……ヤツの部屋に踏み入ったときには、既に息が無かったそうだ』
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