第58話.これは最後の
「……ねぇ。この魔道具、何個かわたくしがもらってもいいわよね?」
数分が経つと。
そわそわした様子のリーナがそんなことを言った。
予想通りの言葉だ。リーナは今や魔道具の虜になっている。
(お前はこれが無ければ、何も出来ないからな)
ハリーソンは顔に笑みを貼りつけて「もちろん」と頷いた。
「胡散臭い闇の魔術師たちから、魔力は奪い取れたみたいね」
「思う存分な。これもお前の父親の威光のおかげだ」
「わたくしのおかげ、の間違いなんじゃない?」
「ハハ。そうだな」
おあつらえ向きに。
リーナがハリーソンに何の警戒心もなく背を向ける。
そんなリーナに、ハリーソンは背後から音もなく手を伸ばした。
(……リーナ・レコット。お前は本当に)
愚かで、間抜けで。
(実に可愛い――操り人形だったよ)
伸ばした指先が、その細い首に差し掛かろうとしたとき。
「――――――はい、そこまで」
ハリーソンは唖然とした。
先ほどまで黙々と作業をしていたはずの黒フードのひとりが、横合いからハリーソンの腕をがっちりと掴んでいるからだ。
「『もし彼女に汚い指の一本でも触れれば、分かっているな?』というのがオレの怖ぁい主のお言葉なんでな……オレ自身もそんな事態は勘弁だから、ここらで止めさせてもらう」
どこかで聞き覚えのある声だったが、そんなことはどうでもいい。
ギロリ、とその男の顔のあたりを睨みつける。
「……誰に口を利いている?」
「誰って、公爵家の取るに足らないお坊ちゃんだろ」
「……貴様」
同志のひとりと言っても、もはや生かしておく価値は無さそうだ。
「おい、この錯乱した男を今すぐ取り押さえろ」
ハリーソンは鋭く命じた。
周りの黒フードたちは、黙って頷くとハリーソンの命令通りに動き出した。
そのはずだった。
「…………待て、何をしている?」
しかし結果的に、彼らの腕は無礼な男ではなく――ハリーソンへと迫ってきた。
ぎょっとして抵抗しようとするが無駄だった。
三人がかりで床に抑えつけられ、あっという間にハリーソンの両手は後ろ手に拘束される。
「お、お前ら!? いったいこれはどういうつもりなんだ! おい!!」
「言っておくが、ここにお前の味方はもう一人も居ないぞ」
そんなことを嘯きながら、フードを外した男の顔を目にして……ハリーソンの声は裏返った。
「い――イザック・タミニール!?」
(馬鹿な。何故ルキウス・アルヴェインの懐刀がここに!)
それにイザックだけではない。
周りの男たちも、次々とフードを外していくが……それらは全て、ハリーソンの知らない顔で。
愕然とするハリーソンを尻目に、がっちりと肩を押さえ込んでくる巨体の男がイザックに話しかけている。
「……イザック殿」
「おう。どーしたテル」
「自分たち、大層驚いているのですが……えっと、ここに居る彼女の正体は、本当にその」
「皆まで言うな。オレも同じ気持ちだから」
そのやり取りを聞きながら、恐る恐るとハリーソンも目の向きだけを持ち上げた。
イザックに庇われた少女――リーナを見上げる。
だが、一目見てすぐに気がついた。つい数十秒前までと、リーナの纏う雰囲気がまるで違うのだ。
むしろ、豹変と言い換えた方が近いかもしれない。
しとやかで、確かな気品を感じさせる佇まい。
凛とした意志を感じさせる
「……すみません。妹から正体が露見しないよう振る舞えといつも言われていたので」
長い睫毛を伏せ、その少女が言うと……「とんでもない!」と周囲が一斉に首を振る。
「むしろ新しい扉が開けそうでしたから!!」
「ウィリー、お前は喋るな。馬鹿がバレる」
「いやー、オレも何回か手元が滑りそうだったわ。ルキウスが見たらビックリしすぎて気絶するかもしれんけど」
「ルキウス様にはさすがに、お見せできません!」
慌てる少女にイザックは笑い、それ以外の男たちはにへらっとだらしなく顔つきを緩める。
ハリーソンもそれでようやく察した。正しくは、察せざるを得なかった。
先日も街中で、ハリーソンは間違えたのだ。
だがあのときとは違う。この場所ではさすがにハリーソンの警戒心も強まっていた。
そのはずなのに。
(まさか。まさかまさかまさか――――)
「お前――ルイゼ・レコットなの……か?」
半信半疑で口にした。
するとその少女は、きょとんと首を傾げて言うではないか。
「そうですよ。だってあなたが、
「……ッッ!」
皮肉だらけのその台詞に、ハリーソンの表情が思い切り引き攣る。
何も言い返せないハリーソンを見下ろし、美しい顔をした少女は淡々と言ってのけた。
「これが最後の"替え玉"です。……ハリーソン・フォル」
+++
「か、替え玉……? 最後のって……」
ハリーソンは何が何だか分からない様子で狼狽えている。
その様子は、さすがに演技とは思えず……ルイゼは目を細める。
(……やっぱり、この人は知らなかったんだわ)
そもそも、彼らがルキウスの教えてくれた大きな陰謀のために動いていたとして。
リーナが
(魔法省や魔法大学への
それにしては先週、ルイゼをリーナと誤解して話しかけてきたハリーソンの言葉は不自然だった。
(それが彼らの計略の一部だったなら、『第二王子に捨てられて落ち込んでいる』なんてことは言わないはず)
つまり、第二王子の婚約者になったのはリーナの独断だったということだ。
思考を巡らすルイゼを見上げ、ハリーソンは唇を震わせている。
「じゃ、じゃあ何だ? さっき地上でお前が追い払ってた女が――」
「ええ。そちらが本物のリーナですよ」
「馬鹿な……! あ、あっちがルイゼ・レコットだろう、そうとしか思えなかったのに!」
(――それは、私がそう見えるように仕向けただけです)
先週も、ハリーソンはルイゼのことをリーナだと誤認して街中で話しかけてきた。
学院時代のときも何度かダンスの相手を務めたが、ハリーソンはそのときも気づいていないようだった。
だから。
――表情を。
――目線を。
――声色を、呼吸を、仕草を、言動を、歩き方を、クセを、ルイゼが
(それでも、ルキウス様なら)
彫刻のように整った横顔を脳裏に思い浮かべる。
きっと彼ならばすぐ、あのほのかに甘い声でルイゼのことを呼んでみせるのだろう。
(だから――私も、この役を務めたいと言い出せた)
本来のルキウスの筋書きならば、ルイゼは最後までそこに登場しなかった。
今頃はここにリーナとハリーソンが転がり、イザックや騎士たちを睨みつけていたはずだ。
だが、ルイゼの提案によってその策は一部変更された。
最後までルキウスは反対していたが、それでもルイゼは初めて、自分の意志でリーナの替え玉を演じた。
楽しいことなど何一つ無い。だが、そうすることが
(…………リーナ)
たったひとりの妹の顔を、ルイゼは苦々しく思い出す。
その合間にも、床の上に転がされ、縄で縛られたハリーソンが必死にもがこうとしていた。
「そ、そうか。リーナが"才女"だとか言われてたのは、学院でお前と入れ替わっていたからか!? なんで教師どもはそんなことも報告しないんだ、畜生!」
「それはきっと、リーナ・レコットが『ハリーソン・フォルからの密かな指示だ』とか言い張ってたからじゃねぇか?」
「っ、黙れ秘書官風情が!」
唾を飛ばして怒鳴るハリーソンに、イザックがやれやれと肩を竦めている。
ルイゼは改めて周囲を見渡した。
(まさかこんな場所で、魔道具の密造が行われていたなんて)
ルイゼたちが立つ場所。
ここは、
十年前までは製造部署の一部の所員たちが使っていたそうだが、魔法省大臣ガーゴインの指示によって封鎖され、それからは使われていなかったという。
だが実際は、ずっと人知れず稼働していたのだ。研究所に続く煉瓦の舗装路――その左右に広がる森の中に、地下へ続く抜け道を作って。
そして本来は研究所に入るべき予算の一部を、ガーゴインが横流ししていた。
ここで働いていた人数は全部で八名で、全員が地下で暮らしていたらしい。
そして彼らと、魔道具の輸送のために待機していた馬車の御者たちは数時間前に、ひとり残らずイザックたちが拘束していた。
リーナが逃げ出す日付までもルキウスは事前に推測していた。今日こそが、彼らを一網打尽にするための大詰めだったのだ。
だからこそ力不足が悔やまれ、ルイゼはイザックに頭を下げた。
本当ならもっと、ハリーソンから情報を聞き出すつもりだったのに。
「タミニール様。大した情報を引き出せずすみません」
「いや、上出来だルイゼ嬢。おかげで貴重な録音もできた」
「録、音……だと?」
胸元からルイゼはそれを取り出す。
それ自体は一見すると、ただの首飾りだ。だが、ぶら下がっている黒い水晶玉のような物体には亀裂が走っている。
これは先ほど、机の上で作業員に扮したイザックたちが箱に仕舞っていたのとまったく同じものだ。
「私があなたに見せたこの魔道具は、リーナが持っていたものの模造品です。……この水晶玉の中に、【録音機】を仕込んでおいたんです」
「は……? 【録音機】は、もっと巨大な魔道具のはず……」
「市販品はそうです。でもこの上には――魔道具研究所があります」
ルイゼは頭上を指さす。
そして誇らしい気持ちで、告げた。
「これはルキウス様と第三研究室の皆さんが協力して造り上げた、【録音機】の新型です」
「な、んなんだよ……」
「研究所の方々は、あなた方よりよほど優秀だということです。人を傷つけるだけの兵器を造る、あなた方とは違う」
冷たい目で見下ろすルイゼを、ハリーソンはギラつく目で睨みつける。
「黙れっ……! すぐに父が報復するぞッ、お前らは全員終わりだ!」
すかさずルイゼとハリーソンの間に割り込んだイザックが、哀れみの滲んだ声で言い放った。
「ここで残念なお知らせだが、お前の大好きな父親も今頃はルキウスの部下たちが取り押さえてる頃だぞ」
「――」
「数週間前からこっちに一名、フォル家に一名潜伏しててな。その様子じゃ、お前も気づいてなかったみたいだが」
「……そんな……そんなこと、あるわけが……」
ブツブツと呟くハリーソンの口に、テルたち――ルイゼの護衛騎士でもあった彼らが、猿ぐつわを噛ませる。
イザックがルイゼを振り返った。
「馬を出すよルイゼ嬢。この坊ちゃんは鞍に括りつけて連れていこうぜ」
さすがにその言葉は冗談だったろうが、ハリーソンの顔が瞬く間に青ざめていた。
「よろしくお願いします、タミニール様」
そしてルイゼはイザックと共に、地上への道を引き返す。
確かめなくてはならないことは、まだ残されている。
そこにきっと今、父と――リーナも居る。
(――私の家に、戻る)
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