第57話.嗤われるリーナ

 


(本当にこの女は、間抜けだな)


 たった今。

 リーナの後頭部を眺めながら、ハリーソン・フォルはそんなことを考えていた。


 リーナ・レコットが現れたと配下から報告を受けたのは、ほんの数分前のことだ。

 いつもの豪奢なだけで品の無いドレスと違い、リーナは簡素なワンピースを着ていた。地下から着の身着のまま逃げ出してきたようだった。


 その後、地上では少し騒ぎがあった。

 だが面白い見世物もすぐに終わった。

 ハリーソンとしては、しばらく眺めていたかったのだが……現状、そんな暇がないのも事実だった。



「……それにしても、似てるな」



 先ほどのことを思い返しながら、ハリーソンがぽつりと呟くと。

「はあ?」と素っ頓狂な声を上げたリーナが振り返り、目じりを吊り上げる。


「ああ――アンタ、前にもルイゼに会ったんだったわね。ルキウスが言ってたわ」


(やっぱりあれは、ルキウス・アルヴェインの手の者だったか)


 ハリーソンは思わず苦い顔をした。

 リーナだと誤解し、同じ顔の少女に迫ったとき……突然、身体に風魔法を叩きつけられたことがあったのだ。


 慌てて逃げ出したが、あれは恐らく、ルイゼとその護衛だったのだろう。


(あのときの女が、本物のルイゼ・レコット)


 いま思い返してみれば。

 どこか儚げな、たおやかな雰囲気を持つ少女だった。


 魔法学院では同級生ではあったが、ハリーソンはルイゼと個人的な関わりを持ったことはない。

 公爵家の子息であり、魔法学院学長の息子でもあるハリーソンには、"無能令嬢"と嘲笑われるルイゼとの接点など無かったからだ。


(実の家族に目の敵にされ、周囲からも笑いものにされ……なんとも不憫な女だ)


 そんなことを思いながら、ルイゼの姿を思い浮かべる。

 ハリーソンが触れるたびに身体を震わせ、目線を逸らして怯えていた――嗜虐心をそそる表情を思い出して舌なめずりをする。


「愛らしい顔をしているし、体つきもそれなりだ。どうせなら僕の女にしてやっても良かった」

「……趣味が悪いわね」

「リーナ。あれは君と同じ顔をした姉だろう?」

「……ちょっと! わたくしのことはルイゼと呼んでと言ったでしょうっ?」

「いいだろ、今は僕らの他には誰も聞いてない。いつものように街中じゃないんだから」


 ますますリーナは不機嫌そうになった。

 その顔を見て、ハリーソンは嫌な予感を覚える。


 長い付き合いなのだ。その予感は当たっていたこともすぐに証明された。




「――そもそも何で、とっとと迎えに来なかったのよ?!」




(……またいつもの発作か)


 リーナが癇癪持ちであるのには慣れているが、うざったいことに変わりはない。

 溜め息を隠して、ハリーソンは困ったような薄笑いを浮かべてみせる。


「このわたくしが、地下なんかに捕らえられていたのよっ!? 才女であるこのリーナ・レコットがっ!」

「ごめん。でも知らなかったんだよ」

「知らなかったで済む問題じゃないわ!!」


 きぃきぃと耳障りに喚くリーナに、「ごめんごめん」とハリーソンは形ばかりの謝罪をする。


 実際は、その言葉は嘘だ。

 ハリーソンは歴とした公爵家の人間だ。本気になれば、王宮内部の情報にだって手が届く。

 リーナが東宮に拘束されていたのも知っている。そしてそのとき、所持していた魔道具を押収されていることも。


(本当に、馬鹿な真似をしてくれた)


 おかげで父は激怒し、ハリーソンが宥めようとしても手がつけられない状態になった。

 それもそのはずだ。あのルキウス・アルヴェインを敵に回して脳天気でいられる人間など居ない。


 居るとするなら、それはルキウスを超える天才かただの馬鹿だ。

 そしてリーナの場合は間違いなく後者に該当する。


(御しやすいのは助かるが――ここまで愚かだと、引き入れたのは間違いだったのかと思えてくる)


「……ルキウス・アルヴェインに、魔道具も奪われたんだよな」


 低い声で呟くと、さすがのリーナもぎくりとしたようだった。


「……だ、大丈夫よ! ちゃんと取り返してきたんだから」


 リーナが胸元から取り出してみせる壊れた魔道具を、ハリーソンは冷めた目で見遣る。


「ルキウスも抜けてるわよね。地下の独房の傍の棚に、無造作に置いてあったのよ。うふっ、このわたくしに取り返されるとも知らないでね!」

「…………」


 それで汚名を返上したつもりなのだろうか。

 リーナに聞こえないよう、ハリーソンは溜め息を吐く。


(今さら取り返しても何の意味もない。とっくに、分析され尽くしただろ)


 ルキウスは稀代の天才だ。

 魔道具に関連する分野では、もはや右に出る者は居ないとさえ言われる。

 リーナが地下に捕らえられて今日で七日目だった。

 これほどの時間があれば、魔道具の秘密はすべて露見したと見るのが普通だ。


(知られたところで、全てが終わるわけじゃないが)


 暗い道を歩いている内に奥の部屋まで辿り着いた。

 ハリーソンは壁に背を預ける。忙しく動き回るフードを被った作業員たちの姿を、リーナは欠伸をしながら眺めていた。


 本来ならここではある魔道具の製造を行っているのだが、今日の作業はそれを急いで片づけることだけだ。

 乾燥したシロツメクサを梱包材として使い、魔道具を丁寧に箱の中に仕舞っていく。

 これが活躍するのは、まだ少し先のことだ。それまでは大切に保管しなければならない。


 手持ち無沙汰になったリーナが、髪の先をくるくると指に引っかけながら「これからどうするのよ?」と訊いてくる。


「しばらく身を隠す。目的を達成した以上、ここに長居する理由はないからな」

「……そうよね。十年も、わたくしだって協力してきたんだし」


 十年。

 そうだ。人生の半分以上の時間を費やして、ようやくここまで来たのだ。


「……そうだな」


 リーナは「うふふ!」と声を出して笑う。


「ああ、本当に傑作だわ! 公爵の言うとおりにしたら、本当にお父様はわたくしの操り人形みたいになっちゃうし……ルイゼのことも大嫌いになってくれたんだもの!」

「お前、本当に姉のことが嫌いなんだな」

「当たり前じゃない! だからわたくし、とびっきりの"魔法"を授けてくれた公爵には感謝しているのよ。もちろんあなたにもね、ハリーソン」


 リーナが熱を帯びた瞳でハリーソンを見上げてくる。


「学院でも、あなたはわたくしに手を貸してくれたわ」

「僕というよりは、父の手が回った教師たちだろう?」

「それも含んで、あなたのおかげって言ってあげてるの」


 ハリーソンはリーナの腰を抱こうとした。

 だがその前に、リーナが胸を張って言う。


「でもここを出てどこに行くっていうの? 王都は流行最先端の街よ。まさか田舎町にでも隠れるわけじゃないわよね? わたくし、そんなのウンザリなんだから!」


 ……思わず噴き出しそうになって。

 口元を必死に覆いながらハリーソンは答えた。


「そうだな……父にも言っておくよ。お前が気に入るような場所に行こうって」


(相変わらず、お前は間抜けだよリーナ)


 手のひらの下で、滑らかに口端を吊り上げる。


 既に用無しとも知らず、のこのこと自ら火の中に入ってきた。



(これから――この僕に殺されるとも知らないで)



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