第56話.与える罰

 


「……それからのことは、ルイゼお嬢様もご存知の通りです」


 頬を流れ続ける涙をハンカチで拭いながら、涙声でケイトが呟く。


「謝ったところで、許されることとは思いません。ですが……本当に、申し訳ございませんでした」


 話を聞き終えたルイゼはしばらく黙っていたが、やがてケイトに訊いた。


「弟さんの病は無事に治ったの?」

「……は、はい。ルイゼお嬢様と同い年でしたから……今は十六歳で、気難しい時期ですが元気にしています」

「そう。……それなら良かった」

「ルイゼお嬢様!」


 ケイトが悲鳴を上げるように叫んだ。


「私は許されないことをしました。たった六歳の女の子だったあなたを追い詰め、苦しめて、挙げ句の果てに――お金だけをもらってあの屋敷から出て行きました!」


 泣き叫ぶような声が、ルイゼの鼓膜を打つ。

 それを、ただ黙ってルイゼは聞き続けた。


「いつか、あなたに罰される覚悟をしていました。でも、でも、いざあなたの顔を見たら……思わず逃げ出してしまった。怖くなって逃げ出したんです!」

「お前はルイゼからの罰が欲しいのか?」


 初めて言葉を発したルキウスを、ケイトが驚いたように見遣る。

 王都から遠く離れた町に、さすがに王族が居るとは思わなかったのだろう。

 ルイゼ付きの護衛か何かだと認識したらしく、ケイトは躊躇いがちながら顎を引いた。


「……そうです。私のような汚れた人間は、罰されるべきです」

「罰…………」


 ルイゼは胸に当てた手を拳の形に握り締める。


(……恐ろしい言葉)


 もしもレコット家と――リーナや、ルイゼと関わらなければ。

 ケイトだってこんな目には遭わなかっただろう。彼女は家族を想う気持ちを利用されただけに過ぎない。


 だからルイゼはただ、首を横に振ろうとした。

 だが、寸前でそれを思いとどまる。



(……それなら)



「それなら、一つだけ」

「……何なりと、お申し付けください」

「私に手紙を書いて」


 ケイトが唖然とした顔をしていた。隣のルキウスも、ルイゼのことを見つめている。

 ルイゼはルキウスに頷くようにしてから、ケイトに視線を動かした。


「きっとケイトは、私のことを……レコット家のことを思い出すだけで辛いでしょう。でも、私に手紙を書いて。私はそれにお返事を書くから、また手紙を書いてほしい。それがあなたへの罰よ」

「ルイゼお嬢様、それは……」

「あなたが死ぬまで続く罰よ。どんなに苦しくても、私に手紙を書き続けて」


 ケイトは俯きがちになり、しばらく沈黙する。

 ルイゼはただ、彼女の返事を待った。


 森から吹いてくる風はどこまでも涼やかだ。

 小鳥の囀る声が風に乗って聞こえてくる。

 やがてその声が止むと、ケイトが小さく口を開いた。



「……ルイゼお嬢様に伝えたい言葉は、あの頃からいくらでもありました」



 目が合うと、ケイトは泣き笑いのような表情を浮かべる。


「心からの謝罪と……それと、お礼です」

「お礼?」

「私の十歳の誕生日に、こっそりと砂糖菓子の包みを贈ってくださいましたね」


 そのときのことは、ルイゼも覚えていた。

 ケイトだけではなく、すべての使用人たちに、ルイゼは誕生日の贈り物をしている。


 あのときは確か、ミアに頼んで侍女の居室の、ケイトのベッドの上にラッピングした小箱を置いてもらったのだ。

 名前は書かなかった。リーナに知られれば、ケイトが何か言われるかもしれなかったからだ。


「ただの侍女見習いの、故郷の弟や妹たちの分まで。……ルイゼお嬢様のお気遣いが、本当に私は――涙が出るほど、嬉しかったんです」


 どうにか微笑んで。

 そんな風に呟いたケイトのことを、ルイゼは近づいて抱きしめた。


「…………っ」


 息を呑んだケイトの腕が、恐る恐ると……ルイゼの背中にも伸ばされる。


「ルイゼ、お嬢様……っ」


 嗚咽を漏らしながら、しがみついてくるケイト。

 ルイゼよりも身長は高かったが、彼女の身体はひどく細かった。

 

 小さい子供をあやすように、ルイゼはケイトの頭を何度も撫でた。


(…………話してくれて、ありがとう)


 とても、勇気が要ることだっただろう。

 家族を人質に取られ、罪の意識に怯えながら、それでもケイトは真実を教えてくれた。


 それからようやく、落ち着いてきたのか、ケイトが掠れた声で囁いた。


「……ルイゼお嬢様。ひとつ、お伺いしてもいいですか?」

「ええ。何かしら」


 少し身体を離して至近距離から覗き込むと、涙に光るケイトの目には、ルイゼへの――それ以上に、彼女がかつて仕えた家への心配と配慮が窺えた。


 そして最後に、彼女は言ったのだ。


「レコット伯爵は、未だリーナお嬢様の闇に囚われていらっしゃるのですか?」




 +++




「ルイゼ。あれは罰とは言わない」


 ケイトと別れ、カーシィ家の客館に戻る道中。


 はっきりと言うルキウスにルイゼは苦笑した。


「私はそうは思いません、ルキウス様」

「……君は他人にばかり甘すぎる」

「ルキウス様が私に甘すぎますから、ちょうどいい塩梅かもしれません」


 ルキウスはすっかり渋い顔をしている。

 しかし何を言っても、ルイゼは譲らないと彼も気づいているのだろう。


「ケイトのことを調べたと、ルキウス様は仰いましたよね。ケイトや、彼女の家族のことを教えていただけませんか?」


 ……ふう、とルキウスは息を吐いた。


「伯爵家から出た手当金と、それに恐らくはリーナ・レコットから支払われた報酬を手に、ケイト・クロムは約十年前に実家に戻っている。十分な量の薬を買い、その一年後には弟は自力で起き上がれるようになったそうだ」


 ルイゼは頷く。

 ケイト自身が言っていたことだ。薬のおかげで、彼女の弟は助かった。


「ケイト・クロムは、昨年までは家から一歩も出られなかったらしい」

「……!」

「そうして九年近く、家に籠もり続けたが……昨年、良縁に恵まれて結婚した。相手はロレンツの息子だ。彼女がテラスで話していた相手の中にも、ロレンツの娘が居た」

「……そうだったんですね」


 彼女の左手の薬指に光っていた指輪の輝きを、ルイゼは思い返す。


 十年間、ずっとケイトも苦しみ続けていたのだろう。

 嘆いて、後悔して、悪夢に怯えながら、いつか来るかも知れない裁きのときに震え……たったひとりで戦っていた。


 その結果、彼女が幸せを掴むことができたのならば、ルイゼは心からそれを祝福したい。



(それに、立場が逆だったら――私は、どうしていただろう)



 もしも母を治すことができると、誰かから交渉を持ちかけられたとしたら。


 他ならぬ家族のためならば……ルイゼはきっと、頷いてしまったはずだ。

 だから、恨むべきはケイトではない。


 ルイゼははっきりと口にした。



「私、リーナのことを許せません」



 立ち止まったルキウスを、ルイゼは見上げる。

 その煌めく瞳の中で、目の合った自分自身は、覚悟を決めた顔をしていた。


「だからどうか、教えてください。ルキウス様」

「…………」

「リーナのこと。それに父のことを。……私に、すべて教えてください」


 ルキウスが何かを言おうとする。

 しかしそのとき、彼の懐から何か小さな音が鳴った。


「……すまない。通信だ」


 ルイゼに断って【通信鏡】を取り出したルキウスが、「何だ」と短く呼びかける。

 そこから、イザックの声だけが聞こえた。



「リーナ・レコットが逃げ出した」



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