第54話.真相の行方

 


 ――ぐら、と景色が歪むような感覚があった。


 思わず目を閉じるルイゼの、その腕を誰かが引き寄せる。

 目を閉じていてもすぐに分かる。ルキウスの腕に、ルイゼもぎゅっとしがみついた。



「……ルイゼ。もう目を開けて大丈夫だ」



 そんな声に促されて、恐る恐ると目を開けると――


「ここは……」


 ルイゼは見覚えの無い部屋の中に立っていた。

 豪華ではないが、品のある調度品で整えられた空間だった。

 そう広くはないが、落ち着いた雰囲気がある。


 振り向くと、すぐ後ろの壁付近には先ほど研究所にあったのと同じ【ゲート】があった。


「ここはエラの町と付近の町の領主である、辺境伯ロレンツ・カーシィの管理する客館だ」

「エラの町……」


 聞き覚えがあったのは、ケイトの口から故郷の町としてその名を聞いたことがあるからだ。


(本当に田舎で、昼も夜も虫が多く出るんですよって、確かケイトは話していたわ……)


 つまり【ゲート】での空間転移は、無事に成功したのだ。


(本当にすごい魔道具だわ。現実の物ではないみたい……)


 考えれば考えるほど落ち着かない気持ちになる。

 まるでおとぎ話か何かのようだ、とすら思う。


(移動先の登録が必要だって、ルキウス様は仰っていたわ。各地に【扉】を設置することで、全部の【扉】の先が繋がるようになっているのかしら? それとも研究所にあったものがオリジナルの【扉】で、行き先を指定できるのはオリジナルのみになっているとか? いえいえ、それよりも)


「……ルイゼ。しがみつかれるのは嬉しいが」

「っ!」


 なんて頭を悩ませて真剣に考えていたら、戸惑うようにルキウスに言われてしまい。

 ルイゼは慌てて手を離した。



(――ルキウス様にしがみついたままだった!)



 しかも、まるで恋人同士がする――腕を組むような格好になっていたのだ。


「も、申し訳ございませんルキウス様……!」

「……謝る必要はない。俺は嬉しかった」


 あう――とルイゼは言葉に詰まった。

 頬に熱が集まる感覚があったので、慌ててそっぽを向く。


(深呼吸、深呼吸……)


 気を取り直して振り返る。

 何やらルキウスの頬が緩んでいる気がするが、気づかない振りをして話しかけようとして。


 軽いノックの音がして、ルイゼとルキウスは同時にそちらに目を向けた。


 開いた扉の先には――立派な髭を蓄えた、武人のような筋肉質な体つきの男性が立っていた。

 部屋に入ってくるなり、彼は一礼してみせた。


「ルキウス殿下、お久しゅうございます。それにお初お目に掛かります、レコット伯爵令嬢。わたくしめはロレンツ・カーシィと申します」

「初めまして、閣下。ルイゼ・レコットと申します」

「ロレンツで結構ですよ、お美しい方」


 ロレンツは薄く微笑むと、それからルキウスを見て破顔した。

 ルキウスの方もリラックスした様子だ。それだけで、ふたりの信頼関係が見て取れるようだった。


「昨夜にご一報いただいたときは、驚きましたぞ。まさかこうして本当にお目にかかれるとは」

「ロレンツ。すまないが、事前の達し通り挨拶の暇は無いぞ」

「承知しております。館は人払いしておりますので、さ、こちらからどうぞ」


 ロレンツに案内され、ルイゼとルキウスは客間らしき部屋を出る。


「それにしても――こうしてお忍びで、ルキウス様が恋人の女性を連れて遊びに来てくださるとは。いやあ、長生きした甲斐がありました」

「長生きも何も、まだ五十そこらだろう」


 軽口を叩き合うふたりは楽しそうな様子だ。

 年は離れているし、纏う雰囲気はまったく違うのだが、


(きっとおふたりの間には、強固な信頼関係があるんだわ)


【扉】は便利だが、軍事運用される可能性があり危険だとルキウスは言っていた。

 しかしその危険性を考慮した上で、ロレンツの管理の元に【扉】のひとつを設置したのだ。

 つまりそれは、第一王子であるルキウスから、臣下であるロレンツ・カーシィへの信用の証なのだろう。



 そしてルキウスにそれに足ると告げられたならば、全身全霊で応えたくなる気持ちというのは――少なからず、ルイゼにもよく分かる。



 裏口から客館を出ると、「気をつけて」とロレンツは見送ってくれた。

 それに軽く片手を振ったルキウスが、懐から取り出した【認識阻害グラス】を片手で装着する。


「行こう、ルイゼ」


 ルキウスの言葉に、ルイゼは頷いた。




 +++




 ケイトを見つけるのに、そう時間は掛からなかった。


 というのもエラの町は小さかった。

 村の片側は伐採の進む森に塞がれており、もう片側には小高い丘と、その先の町への一本道が続いている。


 ルキウスと共に、町の中央にある喫茶店の付近を探していると――木製の爽やかなオープンテラスに、ルイゼは彼女を見つけた。

 友人たちに囲まれ、笑顔で談笑している。ルイゼは目を細め、その姿を見つめた。


(……ケイト……)


 彼女を見るのは十年ぶりだった。

 あの頃よりは当然ながら随分と大人びている。

 しかし、特徴的なウェーブがかった灰色の髪を見た途端にすぐに分かったのだ。


 そしてその顔に――ひとつの傷も無いことも、一目見てみれば明らかで。


(……良かった……)


 ルイゼは心からそう思った。

 本当に心底、思ったが……ふとケイトはルイゼの居る方を見た。


 しばらく、彼女は訝しそうな顔をしていた。

 だが数秒も経てば、次第に蒼白な顔色になっていき……慌ただしく立ち上がると、テラスから飛び出していく。


 思わずルイゼは呼びかけた。


「ケイト!」

「…………ッ!」


 ケイトは表情を引き攣らせながら、脱兎の如く走り出す。

 間髪入れずルキウスが言い放った。


「走れるか、ルイゼ?」

「はいっ……!」


 ルキウスが差し出してくれた手を、迷わず掴む。


 町外れの森まで、ケイトはドレス姿で逃げ続けた。

 その途中、何度も足を縺れかけさせながらも、必死に逃げ続けるケイトをルイゼもまた追った。


 先に音を上げたのはケイトの方だった。

 木の幹に寄りかかり、ぜえぜえと肩で息をしながらも決して振り返ろうとはしない。


 なるべくケイトを刺激しないようにと注意しながら、ルイゼは彼女に話しかけた。


「ケイト、久しぶり」

「…………っ」


 躊躇いながら、ルイゼは言った。


「傷、治ったのね。……本当に良かった」


 その言葉を合図にするように。

 大きく、ケイトの肩がびくりと震える。


「…………違う、んです」


 か細い声で、ケイトが否定する。

 ぶるぶる、と身体を震わせながら彼女は必死に言い募った。


「申し訳ございませんでした、ルイゼお嬢様。私……私は……」

「落ち着いてケイト」

「っさ、最初から怪我など、して――おりませんでした。あれは私の、狂言だったんです」


 その言葉を。

 衝撃ではなく、ルイゼは……ただ、事実として受け止めた。



(――ルキウス様の、言うとおりだった)



 ケイトを探し歩く道中に、ルキウスが話してくれた。


 傷ついた白猫を癒したルイゼの能力は、神殿の治療士に匹敵するレベルだったと言う。

 顔に硝子で傷を作った少女のことも、きっと当時も問題なく治せたのではないかとルキウスは述べた。


 たとえルキウスの言うことだとしても、信じたくはなかったが――。


(……もう、疑いようは無い)


 ルイゼは意識的に息を吸い、吐くと……。

 そっと、ケイトに訊いた。


「……あなたにそれを命じたのは、リーナなのね?」


 やがて、数分にも感じられる沈黙の後に、ケイトが振り返った。

 彼女は目に涙を浮かべながら、「はい」と確かに頷いた。




「私は、リーナお嬢様の口車に乗って……ルイゼお嬢様を、罠に嵌めたんです」



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