第53話.新たな魔道具

 


 翌日の朝。

 懐いた白猫を抱いて微睡んでいたルイゼは、ミアの「殿下がお呼びです」の一言で起き上がった。


 すぐさま身支度を整え、足早に魔道具研究所へと向かう。

 指定された場所は、ルキウス専用の研究室だった。


 魔道具研究所特別補助観察員としての認定証を与えられたルイゼは、研究所の五階以下の部屋であれば常時立入りを許可されている。

 ルイゼについている護衛騎士たちも同様だ。特別にルキウスが許可を取ってくれたそうで、ルイゼが向かう先であれば立入りが許されている。


 また、六階以上はすべて魔法省役員用の執務室や会議室、それに魔道具開発者の専用研究室が用意されているそうだ。


 ルキウスの研究室は八階にあるというので、ルイゼは【昇降機】を借りることにした。

 前にも一度、ルイゼが乗りたがっているのを察してルキウスが付き合ってくれたことがあったが……



(うう。これ、やっぱりすごく楽しい!)



 音も立てずにぐんぐんと昇っていく景色に、ルイゼは表情を弾ませる。

 するとそれを見ていた護衛騎士たちも、ほのぼのと顔を綻ばせていた。


「ルイゼ様は、本当に魔道具がお好きなんですね」

「ええ、それはもう! テル様もこの魔道具にはワクワクしませんか?」

「そうですね、自分はこういうのはあまり……」

「テルは冒険魔道具のことばかりですよ、ルイゼ様。私はこの魔道具好きですけどね!」

「おい、分かりやすく点数稼ぎするな。ルキウス殿下に言いつけるぞ」

「それだけは絶対やめろ!!」


 ルイゼはくすっと笑みを零す。

 当初はルイゼに対して余所余所しいというか、距離を取っていた三人だが……毎日多くの時間を過ごしていたおかげか、最近はこうしてたまにだが、何気ない雑談もできるようになっていた。


 話している間に八階に到着したので、【昇降機】を降りたところで……。


「あら?」


 ルイゼは小首を傾げた。

 すぐ目の前に扉が一つあるものの――見渡す限り、この階にはその他の扉が見当たらないのだ。


 他の階とはまったく違う様子にルイゼが不思議がっていると、厳つい顔のテルが遠慮がちに、


「ルイゼ様。実は研究所の八階はすべて、ルキウス様の研究スペースなのです」

「……そうだったんですね」


(さすがルキウス様……)


 扉が一つしかないのも納得だ。

 すでに圧倒されつつも、認定証をかざして扉のロックを解除する。


 振り返ったルキウスが、無表情ながらもどこか温かな声色で迎えてくれた。



「ルイゼ。来てくれたか」



 昨日の出来事を思い返すと、ルイゼはそれだけで赤面しそうになるのだが、どうにか堪えて彼に微笑みかけた。


「ルキウス様、遅くなりすみません。……ここが、ルキウス様の研究室なのですね」

「ああ。ほとんど何もないが」


 ルキウスの言うとおり、室内にあまり物は置かれていない。

 というかそれよりも、壁がすべて抜かれて吹き抜けの空間が広がっている様は、


(もはや、研究室というよりダンスホール……?)


 などと思ってしまうルイゼ。

 圧倒されっぱなしのルイゼの様子を眺め、護衛騎士たちはまたにへらと表情筋を緩めていたのだが。


 それに一瞬にして気がついたルキウスが眉間の皺を深くした。



「……彼女への好意を持つのは人として当然の帰結だろうが、騎士職にあるものが護衛対象に向ける目としては感心しないな」



(目……?)


 ルイゼはといえばまったく意味が分からず、首を傾げてしまう。


 ルキウスの言葉の意味を理解するために三人のことをじっと見つめてみると――ひどく慌てた様子で「決してそのようなことは!」と三人が同時に首を横に振った。


「お前達も騎士であるならば、ルイゼの安全を最優先にしろ。広い範囲の警戒を怠るな」

「はっ!」


 敬礼のポーズを取った三人は、冷や汗まみれになりつつ、そろそろと少しずつ後ろに下がっていく。

 ルキウスは溜め息を吐きつつも、「ルイゼ、こっちへ」とルイゼの右手を取った。


 それがあまりにも自然な動作だったので、ルイゼがまともな反応を返すには約二秒を要した。


「っ、ルキウス様……っ」

「――そうだ。君に触れるときは許可を求めると決めたんだった」


 我に返ったように呟いたルキウスが、くるりとルイゼを振り返る。

 その整いすぎた麗しいかんばせで何を言い出すかと思えば、



「ルイゼ、君の手に触れてもいいだろうか」



 ……なんてことを真摯に言ってしまうので、ルイゼは目の前がくらりとした。


(しかもほんのりと顔が赤いのが、ずるいです……!)


 無論、こんな誘いを素気なく断れるはずもなく。


「い、嫌なんてことはありえません。……少し、驚いただけですから」

「そうか。なら次からは、手を繋ぎたいときは繋いでいいか?」


 もはやルイゼの方はまともに答えられない。


(『怒っています』なんて、言うんじゃなかったかも……!)


 こんなに恥ずかしい問答を繰り返すことになるとは、思ってもみなかった。

 しかも後ろに控えている騎士たちが気まずげに目線をあちらこちらにやっているのが、何とも言えない。


「そ、それで本日はどうされたのですか?」


 ルイゼが逃げると、ルキウスがひとつ頷く。


「これを見てくれ」


 そうして彼は、壁際に立てかけてあった何やら大きなシルエットから、黒い布を取り払った。

 それを見上げ、ルイゼは大きく目を見開く。


「ルキウス様。これは……」

「俺が造った新しい魔道具だ」


 一言で言えば、それは"門"だった。

 ほとんど装飾はなく、門扉もないが、堅固な門柱によって支えられている。

 そして門の先の空間は、白く発光しているように見えるのだ。


(一体どういう仕組みなのかしら? 鏡、ではないし……)


 あらゆる角度から魔道具を観察するルイゼを眺めながら、ルキウスが説明する。


「これは空間転移を可能にする魔道具だ」

「空間転移……ですか?」

「といっても、どこにでも自由に移動できるわけではなく移動先の登録が必要になる。部下に命じて、いくつか国内には連携する魔術式を刻んだ中継地点を構築済みだ」


 事も無げに言うルキウスだが――ルイゼは聞けば聞くほどに、身体に震えを覚えてしまう。

 それはすでに、便利を超越した奇跡の類だ。


「大学を出てくる前に試作して、とりあえず持ってきた」

「試作して、とりあえず……」


 ルキウスが規格外なのは重々承知していたが、これはもう、その領域を遥かに超えている気がする。


「どういう名前の魔道具なんですか?」


 名は体を表す。魔道具名には開発者のこだわりやアピールポイントが明示される場合も多いので、ルイゼとしては気になるところだ。


 だがルキウスは口を閉ざした。

 その何とも言えない表情に、すぐさまルイゼは察知する。


(たぶんまだ、決めていらっしゃらないんだわ……!)


 ならば、と素早く頭を回転させる。


「……【ゲート】、というのはどうでしょうか?」

「門……出入り口か。良いな、それにしよう」


(採用されてしまった……)


「それでルキウス様。この魔道具、もしかして私も使わせていただけるんですか?」


 瞳を輝かせて問うルイゼに、ルキウスが首を捻る。


「君ならいくらでも使ってくれて構わないが、別に大して面白いものではない」

「そんなことはありません!」


 ルイゼは勢いよく言い放った。


「ルキウス様が十五歳の時に開発された【通信鏡】も、"世界を繋ぐ"と謳われましたが――この【扉】は、遠隔地と遠隔地を文字通り繋いでしまうんでしょう? それはもう、この世の常識そのものを作り替えてしまう魔道具と言っても過言ではないです!」

「…………」

「遠く離れてしまった家族や恋人同士だって、この【扉】によってほんの数秒で巡り会うことができます! 人だけではなく品物の運搬が出来るならば、大量の氷を使わずとも短時間で名産物や特産品だって運べますし! それにそれに――」


 ……ルイゼははっとした。


 先ほどからルキウスは一言も喋っていない。

 ルイゼが彼の発明品について不用意に語り出したせいで、呆れられてしまったのだろうか。


「す、すみません。はしゃぎすぎました……」

「いや……構わない」


 しかしルキウスは口元を抑えてそう言った。

 どうやら呆れているわけではないらしいと、ほっとするルイゼ。


「君の言うとおり、人の行き交いや貿易の観点で見るなら間違いなく世間の常識を塗り替える魔道具にはなるだろう。使いようによっては、戦争のあり方自体を変えかねないものでもある。……だが実際は、コストが大きすぎて常用できるものではないんだ」

「そうなんですか?」

「人間をひとり、この魔道具に通すだけで光と風の魔石を合計十キロほど消費する」

「十キロ……」


 途方も無い数字に閉口するルイゼ。

 魔石は決して安くはない。しかも光の魔石は非常に高価だ。

 それを考えると、確かに実用化するのは難しいだろう。


「しかも一度に通過できるのは二人までだ。……というわけで、当面の間は個人的な使用のみに控えるつもりだ。君も、気が向いたときにでも使うといい」


 ルキウスがそんなことを言うので。

 ルイゼはぽつりと呟いていた。



「それなら私は、この魔道具を使ってルキウス様といろんな場所に行ってみたいです」

「――――」



 それを隣で聞いた人物の表情にはまったく気づかないまま、ルイゼは喜色の滲む声で続ける。


「でも、馬車に乗って遠出をするのも楽しそうですし、王都内でも他に行ってみたい場所が…………あっ! も、もちろんルキウス様はお忙しい方ですから、そんなお時間が無いことは――」

「時間などいくらでも作る。……君となら、どこだって楽しいだろうから」

「ルキウス様……」


 ルキウスがそんなことを言ってくれるとは思わず、ルイゼは驚いた。

 ルキウスは、それから改めてルイゼを見つめて言った。


「ただ、今回は残念ながら違う用事に使うつもりだ。……ヤズス地方に行く」

「え?」


(ヤズス地方って)


 その辺境の名前を聞いた途端に、胸がざわつく。

 脳裏にひとりの少女の――包帯まみれの姿が、浮かんだからだ。


 そしてルイゼの予想通り、ルキウスの口からはその少女の名が飛び出した。


「ケイト・クロムに会いに行く」

「!」

「イザックからの報告で、彼女のことは知っていたが……君の話を聞いて、早急に確かめたいことができた」


 それきり、ルキウスは何も言わなかった。

 その理由は、すぐにルイゼも分かった。


(……私に、決めさせてくださるのですね)


 いつもルキウスはそうだ。

 何かをルイゼに無理強いしない。必ず意志を尊重してくれる。


 そんなルキウスだからこそ、ルイゼは答えた。



「私も一緒に行きます、ルキウス様」



 どこか心配そうに見てくるルキウスに、強がりを隠してにこりと笑いかける。


 ケイトは今、ちょうど二十歳を迎える年頃のはずだ。

 もう結婚していてもおかしくはないだろう。だが顔にあの傷がある限り、彼女の縁談が上手くまとまるとは思えない。


 ケイトに会うのは恐ろしくもあったが――ルイゼに出来ることは、まだ残されているかもしれない。


「私も、今なら小さい頃よりは落ち着いて、治癒魔法が使えるかもしれませんから」


 明るく言ったつもりなのに、ルキウスは何故かその言葉には返事をくれなかった。


「……行こうか、ルイゼ」

「はい」


 ルイゼは頷いた。

 魔道具の運用上、護衛騎士たちは留守番と聞いて少し悄気ていたが、ルイゼとしてはルキウスが居てくれるなら安心だ。


 そしてふたりは、光り輝く【ゲート】をくぐったのだった。



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