第48話.秘書官は心配する
地下から戻ってきた後。
執務室に入室したイザックは、主にとりあえずの報告をしていた。
「ルキウス。お前の指示通り会ってきたっつうか――挑発してきたぞ、リーナ・レコット」
「そうか。ご苦労だった」
書類からちらりとだけ顔を上げるルキウス。
「それでどうだった?」
「お前の言った通り、何も話す気はないみたいだったな……オレが部屋を出た後もぎゃーぎゃー喚いてたみたいだし、これなら数日中に脱走するんじゃね?」
「そうだろうな。計算通りだ」
イザックはその返答に舌を巻く。
事も無げに言いながらもこの男は一体、何手先まで読んでいるのか。
(――オレだったら、絶対に敵に回したくない相手だね)
そんな男と真っ正面から敵対しているリーナ・レコットは、実は大したヤツなのではないかとさえ思う。
(ルイゼ嬢の振りしてルキウスに近づくって、悪手も悪手なんだが……いっそ尊敬しちまうというか)
あまりに怖い物知らずで、度肝を抜かれるというか。
それにリーナだけではない。
フォル公爵家の長子であるハリーソン・フォルも、ルイゼをリーナだと誤認して話しかけ、あまつさえ手を出しかけたというから――揃いも揃ってルキウスを怒らせる天才なのかと、イザックは疑いたくなるくらいだった。
(自分のことには無頓着だが、ルイゼ嬢のこととなるとルキウスはなぁ……)
ここ数日間、彼と相対した騎士の多くは、氷のような気配と視線だけで数人が体調を崩しかけたくらいだ。
自身も知らず身体を小さく震わせるイザックに、書類を捲りつつルキウスが、
「リーナ・レコットは馬鹿だが、ただの馬鹿ではない」
そんなことを呟いたので、イザックはぱちくりと瞬きをした。
「……悪知恵が働くって意味か?」
「それもある。だがそれ以上に、論理性がなさ過ぎて分析に迷うことがある」
(……つまり大馬鹿ってことか?)
一応、相手は伯爵令嬢なので、イザックはその言葉を口には出さなかったが。
それが最善手でないにも関わらず、平気で打ってくる――そういう相手は、確かにルキウスの不得意分野だろう。
「フォル公爵家の件はどうだ?」
「潜伏中の二人だな。【通信鏡】でのやり取りは今のところ問題ないぜ」
情報は順調に集まっている。
そしてルキウスの分析結果と同様であれば――あと三日か四日でリーナは地下から逃げようとして、
(うまく、ルキウスの筋書き通りに事が進むか)
何にせよイザックに出来るのは、ルキウスの指示通りに動きつつも状況を正しく見極めることだけだ。
イザックの返答に軽く相づちを打っていたルキウスが、温度のない声でさらに言う。
「フレッドはどうしている」
(……おお。珍しい)
ルキウスが血の繋がった弟のことを気に掛けるなんて、今までに無かったことだ。
と言っても、それもこれもルイゼに関連していることだからということなのかもしれないが……。
王族というのは少なからず、家族としての関係性が希薄な部分がある。
ルキウスの場合はそれが顕著だった。
幼い頃から、王宮の権謀術数に本人の意志とは無関係に巻き込まれ、自分を取り巻くすべてにうんざりしているような――魔道具以外の物には何の愛着も興味も示さないような、そんな少年だったのだ。
国王や王妃にも一定の距離を持って接していたが、弟のフレッドには尚更、興味がない様子だった。
イザックはルキウスと接しているとき、彼が自分に弟が居ることを忘れているのではないかと思うこともあった。
(まぁでも、良い変化か?)
そんなことを考えつつ、イザックはにかっと笑う。
「毎日、相変わらずの騒ぎを起こしてるらしいぜ」
「……そうか」
呆れを多分に含んだ嘆息と共に、ルキウスが立ち上がる。
公務はあらかた片付いている様子だ。だが、今日はこの後に謁見などの予定もないはずだった。
「どこ行くんだ?」
薄手のコートをまとったルキウスが、はっきりと口にする。
「ルイゼに会いに研究所に行ってくる」
……イザックはその宣言にちょっぴり感動した。
(ルイゼ嬢に会うのが完全にメインの用事になってる!)
しかもそれをイザック相手に口にしてしまうあたり、だいぶルキウスも素直になってきたのだろうか。
だが――それだけで浮かれるほど、現状が生やさしくないのも事実であり。
秘書官として、イザックはそれを訊かなければならなかった。
「ルイゼ嬢には全部話したのか?」
「……いずれ、話す」
ぼそりとした返事に、ハァ、と思わず溜め息を吐く。
「お前、ちょっと過保護すぎるんじゃねぇの?」
「…………」
「ルイゼ嬢は弱くて守られるだけの子じゃないだろ。むしろお前が話してくれるのをずっと待って――」
「分かっている。そんなことは」
苛立たしげな声音に、イザックの言葉は遮られた。
そんな風にルキウスが制御しきれない感情を表に出すのは、もはや珍しいどころの話ではなく……イザックはぽりぽり、と頬を掻く。
(ちょっといじめすぎたか?)
ルキウスの眉間の皺はますます寄っている。
イザックに言われるまでもなく、ルキウスはそんなことは百も承知なのだろう。
承知した上でルイゼに知らせたくないと思うのは――彼女が傷つくのを見たくないと、そう心から思っているからで。
(それでも、いずれ――そのときは来るんだろ)
しかも、そう遠くない未来に状況が動き出す。
その結果、ルイゼが泣くようなことも、ルキウスが苦しむようなことも、あってほしくないとイザックは思う。
他の人間よりもずっと、それだけを案じている。
(オレはねぇ、お前らふたりが心配なんだよ……)
余計なお世話なんだと理解しつつ、イザックは相好を崩してふざけた提案をしてみた。
「オレもついてってい?」
「…………」
「冗談です。行ってらっしゃいませ、殿下」
恭しくイザックが傅くと、ルキウスはさっさと執務室を出て行ったのだった。
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