第47話.地下室のリーナ

 


 ルキウスの配下によって捕らえられたリーナは、閉じ込められた地下室で呆然と時を過ごしていた。



 たった一つの【光の洋燈ランプ】が照らす狭い部屋は薄暗い。

 扉は一つきりだが、手足に拘束具をつけられたリーナはその表面を叩くこともできない。

 何度も「出せ」と怒鳴りつけても、一向に要求は聞き入れられず……結局、無駄な体力を浪費しただけだった。


 ――ここで何日を過ごしただろうか。

 陽光の射し込まない地下では、時間の経過がよく分からない。


 だが決して、環境自体は極悪というわけではなかった。取り調べは一日に数時間だったし、非道な手段は取られていない。

 またリーナへの配慮なのか、湯浴みや着替えは侍女らしき女が担当しているし、食事も運び込まれているが――そんなことは、リーナにとってはどうでも良いことだった。



(どうしてわたくしが、こんなところに閉じ込められなくちゃならないの!?)



 リーナほど高貴な人間など他に居ないのだ。

 それを地下に閉じ込め、拘束して罪人のように扱うなどと……よくも神をも恐れぬ所業をしてくれたものだ。


 飾り気の無いワンピース姿で冷たい床に座り込んだリーナは、身体を震わせる。

 怒りのあまり噛み続けた爪は一部が剥がれ、無惨な有り様となっていた。


 もちろん、リーナは騎士たちに何を訊かれても頑として答えなかった。


(ハリーソンやフォル公爵家がどうなろうと、わたくしはどうでも良いけど)


 だがその罪状のひとつでも明らかになれば、リーナ自身も窮地に追い込まれるかもしれない。

 そう思えば、迂闊な発言は出来るわけもなかった。だが……地下での監視された生活は、リーナを苛立たせて仕方が無い。


 隠し持っていた魔道具も、ここに入れられる前に奪われてしまった。


(そうよハリーソンよ。アイツ……一体なにをしてるのよ?!)


 鳶色の髪の毛を掻き毟りたくなる。

 リーナは彼の願いを何度も聞いてやった。それなのにこんな地下室なんかに閉じ込められたリーナを、いつまで経っても助けに来ないなんて。


(フレッド様だって……)


 認めたくは無いが、リーナにとって婚約者となったフレッド・アルヴェイン。


 訳の分からない書類仕事をリーナ任せにしたり、頼まれてもいない魔道具研究所に無理やりリーナを連れて行ったりして、本当に最悪の男だった。

 そうやって今まで散々、リーナに迷惑を掛けてきたくせに……最後に少しでも役に立とうとは思わないのだろうか。


「!」


 リーナはギィ、と音のした方へと目を向けた。


 鉄製の扉から、長身の男が入ってきた。

 色素の薄い茶髪をした青年だ。取り調べの担当とは違うが、見覚えがある気がする。


(何回か王宮で、見かけたことがある……)


 外見の整った男というのは幸運なことに、それだけでリーナの印象に残るのだ。

 しかし名前は知らないし、興味がなかった。というのも爵位を持つ文官や武官は、肩に家紋の腕章を入れているものなのだが、その男の腕章にはさっぱり覚えがなかったからだ。


 きっと地方の下級貴族なのだろうと、当時のリーナはすぐに見切りをつけた。

 少し顔が良いだけの男に構うほど、リーナは相手に困っていない。


 部屋に入ってきた彼に、リーナは嫌々ながらも自分から話しかけた。



「……ルキウス・アルヴェインは?」



 そう。リーナをこの地下室に閉じ込めたあの男は、未だに一度もその姿を見せていない。

 だが目の前の男は、目を少しだけ見開いてから――食えない笑顔で微笑んだ。


 恐ろしく、冷たい目だった。



「レコット伯爵令嬢。殿下はあなたに時間を割けるほど、お暇な方ではないのですよ」



(…………なんて無礼なの、この男)


 リーナは信じられない思いで目を瞠った。

 しかしうまく、言葉は出てこない。


 イザック・タミニールという名の、ルキウスの右腕たる文官の迫力に気圧されたなんてことは――リーナ自身は、まったく認めたくないことだったが。


「それで? 少しは知っていることを話す気になりました?」

「…………」


 リーナは黙って、抱えた膝ごとそっぽを向く。

 男が小さく苦笑する。その視線は、手の掛かる子供を眺めるようなもので――ますますリーナの苛立ちは増していくばかりだった。



「……本当に、顔だけはそっくりだな」



 そのとき、ぽつりと。

 何気なく呟かれた小さな一言に、リーナは大きく振り返った。


 リーナに聞かれるとは思っていなかったのだろうか。男の方は、リーナの過剰な反応に驚いているようだった。


「……アンタ……ルイゼの知り合い?」

「知り合いというか、私は勝手に親しい友人だと思っていますけど」

「……アンタも、ルキウスも、本当にどうかしてるわね!」


 リーナは思わず笑い出す。

 腹を捩って笑いたいくらいだった。それくらいに、男の言い様はおかしかった。


「あんな女を友人だとか何だとか――頭がおかしいとしか思えないわ。哀れな女を見ると同情したくなるのかしら?」

「…………えーっと」

「ッふふ、うふふ、惨めな人間に手を差し伸べてやるのが楽しいんでしょう? わたくしには理解できない、高尚なご趣味だこと!」

「……あー、すまん。言っている意味が分からん」

「は? だから……」


 言いかけたリーナを手で制し、男は困惑顔に少しの笑みを載せた。



「オレの知るルイゼ・レコットは、頭の回転が速いし、ルキウスのどんな表情でも引き出しちまうし……それに、とびきり面白い良い女だ。だから、お前の言っているのが誰のことだかさっぱり分からん」



 言葉を失うリーナに、さらに男が飄々と言う。



「それとも今の言葉が、ってことなら――そう自虐に明け暮れてないで、さっさと罪を白状した方がいい。今から間に合うかは、微妙だけどな」



 言いたいことを好き勝手に言い放ち、男が部屋を出て行く。


 リーナはそれをただ見送った。

 怒りのあまり、頭が真っ白になったためだった。


「…………」


 噛みしめすぎて皮膚が切れた唇から、だらだらと赤い血が溢れる。

 白いだけのワンピースの上に、血液が散る。リーナはそれを、しばし見やり――それから、低く掠れた声音で呟いた。


「…………殺してやる」


 ルイゼも。ルキウスも。そしてあの、ルキウスの側近らしき男も。

 絶対にタダでは生かしておけない。それほどの屈辱だった。許しがたい蛮行だった。


 リーナは金切り声で叫んだ。



「殺してやる! お前ら全員!!」



 そうして正気を失ったように叫び続けながらも……ギラつく目を、扉へと向ける。


(――こんなところで、わたくしは終わったりしない)


 扉が開くタイミングで、いつも密かに確認していた。

 地下の見張りは交代制で、常時二人は立っているようだ。


 頼みの綱である魔道具は奪われた。今のリーナは何も持っていない。

 それでも何か手はあるはずだ。この地下室から脱出して、形勢を逆転する目が。



「ここから出てやるわ……絶対に……」



 リーナはそのときを、血走った目で虎視眈々と狙い続けていた。



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