第49話.ルイゼの魔法

 


【冷風機】を完成させた後。

 魔法学院に用があって戻るというアグネーゼを、ルイゼは出入口まで見送ることにした。


 もちろん、三人の護衛騎士たちも文句ひとつ言わずルイゼの後をついてきてくれる。


 魔道具研究所の隣には魔法のエキスパートが揃う魔法省があり、研究所の出入り口は警備も増えている。

 そう滅多なことは起こらないとは思うのだが……先日その研究所で爆発騒ぎがあったばかりなので、用心に越したことはない。


 研究所を出ると、ウィン家の迎えの馬車はまだ着いてはいないようだった。

 夕方といえども、まだ外はかなりの熱気が篭っている。


 所内で待ちましょうかと提案しかけたルイゼだったが――それより先に、アグネーゼがどこか一点を注視していた。


「…………あれは」

「え?」


 アグネーゼはそれだけ呟き、小走りで花壇の方へと近づいていく。

 ルイゼもアグネーゼに戸惑いながらついていき……その直後に思わず口元を覆った。


 茂みの中に、痩せた白猫が蹲っていた。



(……ひどい)



 馬車に轢かれたのだろうか。


 白猫は、未だ胸が上下しているのが不思議なほどの状態だった。

 お腹から背にかけて、大量の真っ赤な血で毛が染め上がっている。

 ひしゃげた後ろ足は、もう二度と大地を踏みしめることは叶わないだろう。


「可哀想だけど……このままじゃ、じきに」


 鳴きもしない猫を見下ろし、アグネーゼが掠れた吐息を吐く。


 彼女があっさりと見切りをつけるのも、当然といえば当然だった。

 非常に珍しいとされる闇魔法の使い手以上に、光魔法――つまり、治療魔法の使い手の数は少ない。


 治療魔術師が在籍する中央教会に行くにしても、ここから馬車で三十分近くはかかる。

 白猫の呼吸は弱々しい。もう間に合わないとアグネーゼは判断したのだ。

 護衛騎士たちも、困惑したように顔を見合わせているだけだった。


 だがルイゼは――そんな猫を見つめたまま、硬直していた。


(……私…………)


 立ち尽くす間に、遠くから馬の蹄の音が響いてくる。

 王家の紋章つきの黒塗りの馬車は、ルイゼとアグネーゼより後ろで止まった。


 そこから降りてきたのはルキウスだった。


「……どうした?」


 アグネーゼが礼を取るが、ルイゼはまともに振り返ることもできなかった。

 様子がおかしいと察したのだろう。ルキウスは近づいてくると、茂みの中を見遣り――それから、ルイゼに向かって淡々と言った。



「ルイゼ。治せるか?」



(…………え?)


 そんなルキウスの言葉に。

 ルイゼは一瞬、呆けた顔をしてしまった。


 それが、ルイゼを責めるような響きに聞こえたのだろうか――窘めるように、アグネーゼが苦言を呈す。


「お言葉ですがルキウス殿下。ルイゼさんの治療用魔道具は、完成してませんわよ?」

「いえ。俺が言っているのは魔道具ではなく、ルイゼの魔法の話です」


 ルキウスの反論に目を見開いたアグネーゼは、彼女にしては珍しく、少し強い語気で言い返した。



使。双子の妹であるリーナさんも、同じ。お父上であるレコット伯爵の遺伝でしょうね」



 アグネーゼの言うとおりだった。


 ルイゼが使えるのは闇魔法だけだ。

 ――正しくは、魔法学院の登録上はそういうことになっている。


(でも。でも、私ならこの子を……)


「……ルイゼさん? 何を」


 青白い顔で茂みの前に膝をつくルイゼを、アグネーゼは唖然として見つめている。

 何を馬鹿なことをしているのだと、きっと呆れられている。救える術を持たないくせにと。


 ルイゼ自身が白猫にかざす両手も、恐ろしいまでに震えていた。



(――――怖い)



 額に、じっとりとした汗を掻く。

 噛み締めた唇の感触がない。

 そんなルイゼの目の前で、白猫の呼吸はどんどん弱々しくなっていく。


(怖い。だって。だってまた、……)



「――ルイゼ」



 震え続けていたルイゼの片手を、ルキウスの手が握りしめる。

 その冷たいひんやりとした温度が、緊張と恐怖に震えていたルイゼを少しだけ落ち着かせた。


 さらにルキウスは、優しく落ち着き払った声で言う。


「君なら、治せる」

「……!」


 彼の目を見る。

 幻想的な灰簾石タンザナイトの瞳と、間近で見つめ合った。



(……どうして、ルキウス様は知っているんだろう)



 誰も――家族や一部の使用人以外は誰も、知らないはずだ。


 ルイゼは、六歳のあの日からその力を一度も使っていない。

 自分には大した力はないのだと、誰も助けられはしないのだと思い知って、すべてを諦めたから。


 それでも、そんな情けないルイゼの手のひらの下で――ほとんど虫の息に近い猫の口が、ほんの僅かに動いていて。

 ルイゼは眉を下げる。迷っている暇はない。


 何故ならば、


(この子は、必死に生きようとしている)


 苦しいだろうに、もがき続けている。

 だとしたら、たとえまた挫折を味わうとしても、ルイゼにはやるべきことがある。


「……このまま、手を」

「ん?」

「……手を、触れていてくださいますか」

「ああ。構わない」


 頷いたルキウスが、骨張った指先を動かす。

 あっという間に、ルイゼの小さな手はすっぽりと彼の大きな手に包み込まれてしまった。


 その感触にほっとして、ルイゼは深呼吸をした。

 目を閉じる。集中力を研ぎ澄ましていく。

 手のひらの中に、力の波動を収束させるようにして。


(どうかもう一度、あなたが――自分の足で歩けますように)


 祈るように、その言葉を唱える。



「……『ヒール』」



 かざす両手の中から、黄金色の光が生まれた。


 そのまばゆいほどの光は、白猫の身体の上に降り注いでいき……数秒の後には、その身体を痛めつけていた傷跡は無くなり、潰れた後ろ足までもが元の形へと戻っていた。

 どこか不思議そうな顔をして白猫が起き上がる。


 ルイゼはそこまでを見守ったところで――肺に溜まった息を吐き出した。


(良かった。成功した……)


 そんなルイゼを見つめ、呆然とした声でアグネーゼが呟く。


「ルイゼさん。あなたは……闇魔法のみならず……」

「……黙っていて、ごめんなさい。アグネーゼ先生」


 そんな人間たちの事情は知らぬ存ぜぬ様子で。


 にゃあ、とかわいらしく鳴きながら、白猫が身体をすり寄せてルイゼに甘える。

 差し出されたふわふわな頭を、おずおずとルイゼは撫でた。

 柔らかく、心地よかった。



 ……気がつけば、瞳からは涙があふれ出ていた。

 次々と、頬を熱いものが伝っていく。止めようとしても、どうしようもなく。



(助けられた……ちゃんと、私にも出来た……)



 声もなく雫を落とすルイゼの頭ごと、薄手のコートが包む。

 その香りは、ルイゼのよく知っているもので。


「…………すみません、ルキウス様」

「気にしなくていい」


 一度離れてしまった手は、さらに強く握られる。

 そんなふたりの様子を眺めながら……ふう、とアグネーゼが息を吐く。


「――レコット伯爵夫人は、光魔法の使い手だったわね……」


 そう呟いてから、穏やかに微笑むと。


「それじゃああたしは帰るわね、ルキウス殿下。ルイゼさん」

「アグネーゼ先生……」

「そんなに申し訳なさそうな顔をする必要はないわ。ただ、また……あたしにも話せるときが来たなら、教えてちょうだい」


 迎えの馬車はすでに到着している。

 アグネーゼがそれに乗って去って行くと、ルキウスが後ろに佇んでいた護衛騎士たちに鋭く目線をやった。

 無言の圧力で『わかってるな?』と告げられた彼らは、首が外れないか不安になるほど激しく頷いている。


 涙を拭いつつ、ルイゼは考えていた。



(――もう、逃げるわけにはいかない)



 ルキウスはいつも、ルイゼとまっすぐに向き合ってくれた。

 ルイゼの弱さや、情けないところや、恥ずかしいところを見ても、それを決して笑ったりはせず……ただ傍にいてくれた。


 彼に言えないことがあるルイゼから、強制的に事情を聞き出すことだって出来たはずだ。

 ルキウスは王族なのだから、彼がそれを命令するのならば、ルイゼが従わない理由はなかったのだから。


 それでも一度だって、ルキウスは無理強いなんてしなかった。


(この方に、背を向けるように生きたくはない)


「ルキウス様」


 ルイゼは呼びかける。

 そして、もう震えてはいない声で伝えた。


「すべてを、お話します。……今までルキウス様に隠してきた、私のすべてを」



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