第43話.もう少し前の、出逢いの日2

 



 今日は、王宮の会議室にて各省の大臣を招集しての定例会議が開かれる予定だった。

 差し迫った議題があるわけではないので、ガーゴインがせがむ娘を連れてきたとしてもおかしくはない。

 そう睨んでいたのだが――その予感は的中したようだった。


 本宮の前で暗い顔で側近と話していたガーゴインだが、ルキウスと手を繋いだルイゼに気がつくと。


「ル――っルイゼ!!」


 くわっと目を見開くと、年齢には合わない速度で走り込んできた。


「お父さま!」


 ルイゼの方も危なっかしい足取りで駆け出す。ルキウスは転びはしないかと後ろでヒヤヒヤしていたのだが、そんなことはなく……数秒後、無事にルイゼは父親に抱きかかえられていた。


「ずっと探していたんだぞ! どこに行っていたんだ!?」

「さがしてたのはるいぜのほうだよ!」

「そうなのか……!?」


 お互いに迷子だと思っていた親子が、そろって愕然とした顔をしている。

 側近たちも、その様子を見て胸をなで下ろしている様子だ。お転婆娘のお目付役を任されながらも、ちょっと目を離した隙に見失って困り果てていたのだろう。


 もう心配なさそうだと思い、ルキウスは一言だけ忠告しておくことにした。


「次からは気をつけろよ、ガーゴイン」

「ルキウス殿下!?」


 慌ててその場に居るガーゴイン含めた全員が最敬礼の姿勢を取る。

 ルイゼだけは、何が何だか分からない様子できょろきょろしていたが……周囲の大人の真似なのか、今さらになってスカートの裾を引きルキウスに頭を下げている。


「娘を送り届けていただきありがとうございます! 殿下のお手を煩わせ、何と謝罪したら良いか……!」

「散歩ついでだ、気にするな」


 その場から立ち去ろうとするルキウス。

 しかし、数秒後……服の袖を誰かに掴まれ、思わず立ち止まる。


 振り返らずとも、その弱い力で誰なのかはすぐに分かった。



「……やだ。ルーくんといっしょがいい」



 じわぁ、と紫水晶アメジストの瞳に涙の膜を浮かべ、ルイゼが訴える。

 ルキウスは困惑した。ルイゼの涙の意味がよく分からなかったのだ。


(……そこまで懐かれるようなことをした覚えがないが……)


 それにルイゼの後ろのガーゴインも気が気でない様子だった。


「こら、ルイゼ。やめなさい」

「やだ……」

「申し訳ございません、ルキウス殿下。普段はこのような我儘を言う娘ではないのですが……」


 不憫になるほどガーゴインは焦っている。

 そんなガーゴインとルイゼの顔をそれぞれ見遣って……ふぅ、とルキウスは嘆息した。


 そして服のポケットの中から、目当てのものを探り出すと――その場に屈んで、べそを掻くルイゼに差し出す。


「ルイゼ、これをやる」

「……なあに、これ」

「魔道具だ。俺が造った」

「ルーくんが!?」


 ルイゼの顔が驚きに染まる。


 ルキウスの手にあるのは【眠りの指輪】――その、初めての試作品だ。

【眠りの指輪】は安眠用の魔道具だ。生活の些細な困り事に寄り添うような魔道具はこれまでに無かった。その効果自体は大した注目を受けなかったのだが、その着眼点自体は学会ではかなり驚かれたという。


 まだ効果は弱いのだが、今後は魔道具研究所で改良を重ねていき、いずれ生産に踏み切る予定だ。


「しかもルイゼの瞳の色と同じ宝石を使っている」

「わあ」


 ただの偶然だったがそんなことを言ってみると、ルイゼは夢中で宝石を見つめだした。


「お前にやるから、指に嵌めてみろ」


 食いついているのを確認して、そう提案してみたルキウスだったが――目の前におずおずと差し出されたルイゼの指は、親指から小指に至るまであまりに小さかった。


(そうか。子供用のサイズも必要か……)


 ふむ、と顎に手を当てていると、ルイゼが待ちかねたように大きな声で言う。


「左手の、くすりゆび!」

「……俺は構わないが」


 左手の薬指というのは、アルヴェイン王国では大きな意味を持つ。

 未婚の女性に指輪を贈れば求婚を意味し、花婿が花嫁に指輪を贈るのは永遠を共にする誓いとなる。


 そもそもこれは魔道具なので、そのような情熱的な意味合いはまったく持たないのだが。

 と思いつつチラリとルイゼの後ろを見てみると、ガーゴインが実にぎこちない笑顔を浮かべていた。


(……一応、父親からの了承は得たということでいいか)


 小さな小さな左手の薬指に、ルキウスはそっと指輪を通してやる。

 やはり細すぎる指でサイズが合わないようだったが、ルイゼは右手で左手を包み込むと、それは嬉しげに顔を綻ばせた。



「ありがとう、ルーくん! 大切に……」



 言いかけながら、彼女の瞳がまどろむ。

 ふらり――と倒れかけた身体を、慌ててガーゴインが抱き留めた。

 父の腕の中で、ルイゼはすぅすぅと穏やかな寝息を立てている。


「殿下、確かそれは……」

「ああ、【眠りの指輪】だ。眠気を誘う程度の効果しかなく身体に害はない。数時間もすれば目を覚ますだろう」


 恐らくだが、ルイゼは指輪を着ける前からだいぶ眠たかったのだ。

 知らない場所で一人きりになり、父親を探して歩き回っていたのなら無理もない。


(それにしても、あまりに効果が出るのが早い気がするが)


 子供だから魔術の効きが強いのか。あるいは――


「ガーゴイン。そなたの娘は、以前から眠りが浅いのか?」

「……仰る通りです。こんなに安心しきった様子で眠っている娘を見るのは久方ぶりで、私も驚きました」


 やはりとルキウスは頷く。

 ならばルキウスの発明は――この利発な少女に、少しくらいは安らぎを与えられたのだろうか。



(…………それなら、良かった)



 ルキウスが立ち上がると、ガーゴインは再び頭を下げた。

 娘を抱きかかえているため、その角度は先ほどよりも控えめだった。


「ありがとうございました、ルキウス殿下。娘が怪我もなく帰ってこられたのは殿下のお心遣いあってのことです」


 実際はルイゼは転んで怪我していたのだが、それは言わないことにしておこうとルキウスは思った。

「んー……」とルイゼが唸ると、ガーゴインが微笑む。

 その緩みきった顔は完全に、娘を溺愛する父親のものだった。


「とても可愛がっているんだな」


 ルキウスがそう言うと、ガーゴインは目尻を緩めた。


「ええ。私にとっては目に入れても痛くはないくらいに――可愛い娘たちです」




 その翌日。

 どこからかその話を嗅ぎつけたらしいオーレリアがわざわざルキウスの元へとやって来た。


「まさかあのルキウスと、三歳の女の子の仲睦まじいエピソードを聞くなんて思いもしなかったわ」


 鉄面皮で迎えたルキウスだったが、にこにこと語るオーレリアにはげんなりとしてしまった。


「わたしのために開発してくれた【眠りの指輪】をその子にもあげちゃった、なんて聞いたときはちょっぴり妬けたけれど――」

「別に王妃殿下のために造ったわけではなく、眠りの浅い人に役立つものをと考えただけです」


 それは紛れもない本心だった。最近王妃の眠りが浅いと国王が嘆いているのを聞いて、アイデアとしてもらったのは事実だったが。


 しかしルキウスの言葉は聞こえない振りをし、オーレリアは名案が浮かんだとでも言いたげに両手を合わせる。


「そうだわ、ルキウス。せっかくだしルイゼちゃんをお嫁さんにもらってはどうかしら」

「……何を馬鹿なことを」


 ルキウスが舌打ちすると、オーレリアは「あら、そう?」と残念でもなさそうに笑っていた。


「何歳だって、女は女なのよ?」


 ただの冗談なのは明らかだったが、この人が言うと洒落にならない。主に、周りの人間をその気にさせる場合が多いからだ。




 +++




「――ご、ごめんなさい」

「………………」



 それから三年後。

 外で寝転がって読書をしているルキウスの前に、あまりにも唐突にその少女は現れた。


(………………ルイゼ?)


 そういえば今日は、六歳を迎えた子息令嬢が王宮に招かれてお茶会に参加する日だった。

 だから伯爵家の娘であるルイゼが招待されていたとしておかしくはない。


 だが再会したルイゼは、以前よりも弱々しい印象だった。

 眉が下がっていて、不安そうで。どこか人の顔色を窺うような。


 そして、当然かもしれなかったが――彼女はルキウスのことを覚えてはいなかった。


(当たり前か。あの頃のルイゼはたった三歳の子供だった)


 別にその事実に、何も思うところはない。

 ただ一度きり、偶然会って少し話をしただけ。ルキウスとルイゼはそれだけの、取るに足らない関係だった。



「……あの、私ルイゼといいます。何の本を読んでいるんですか?」



 それでも。

 ルイゼの瞳に宿る、燃えるような好奇心は三年前と何一つとして変わってはいなかった。

 そしてルキウスが魔道具の一覧リストを見ていたのだと返事をすると、ますますルイゼは瞳を輝かせた。


 ルキウスの知らない間に、彼女はすっかり魔法や魔道具の虜になっていたらしい。


「じゃあ【眠りの指輪】は?」

「……不眠症に役立つ魔道具か。またマイナーなものを」


 驚きのあまり少し返答が遅れたのには、どうやら気づかれなかったようだ。


(いの一番に、その名前を出してくるとは)


 三年前と同じく、ルイゼはルキウスの正体にはさっぱり思い当たっていない様子だ。

 そして【眠りの指輪】の開発者は、表向きはルキウスではない別の人間として登録されている。


 つまり、ルキウスの興味を引くためや、媚びを売るためではなく――ただ単純に、この少女にとって最も縁のある魔道具が【眠りの指輪】なのだろう。



(……それは、悪くはないな)



 その後もルイゼと話し、ルキウスは彼女の子供離れした知識量と、魔法学への飽くなき探究心に驚かされた。

 ルキウスが何気ない褒め言葉を放っただけで泣き出したのには、驚いたが……貴族令嬢である以上、彼女も周囲から何かと厳しい目を向けられてきたのかもしれない。


(だが。……ルイゼには、才能がある)


 ほんの数十分、話しただけだったが、それをルキウスはひしひしと肌で感じ取っていた。

 このまま勉学に邁進すれば、いずれルイゼは魔法学院でも優秀な成績を残し、魔法大学への入学の座を射止めることだってあるかもしれない。



 そのとき彼女に――実は君が三歳の頃に会っていたんだ、なんて明かしてみたら、果たしてどんな顔をするのだろう。



(十年後まで、そのときを大学で待つというのも……面白いかもしれない)


 ルキウス自身、そんなことを思う自分が不思議だった。




 ――その日の夜。

 ルキウスが部屋に戻ろうと回廊を歩いていると、フレッドとすれ違った。


 一瞥し、去ろうとしたルキウスだったが――珍しくその日はフレッドから話しかけてきた。


「兄上。ぼく、あの子を婚約者にすることにしました」

「……? 誰のことだ?」

「ルイゼ・レコット――伯爵家の娘ですっ!」


 ルキウスは一瞬だけ、小さく目を見開いた。


「そうか。それはおめでとう」

「え……」

「用はそれだけか? なら俺は行くが」


 焦るようなフレッドの声が追いかけてくるが、ルキウスはそれを無視して部屋に戻った。


 フレッドが何を勘違いしたかは知らないが、ルキウスは十六歳の男だ。

 すでに成人した身で、十も年が離れた少女を相手に何を思うこともない。


 政略結婚として、二十や三十の年の差婚自体は王族では珍しくはないのだが――誰が相手だろうと、ルキウスが恋情を抱くこと自体があり得ないのだ。


(そんなことに気を取られている場合ではない)


 来月には大学への留学が決まっている。

 遊んでいる時間などルキウスには無かった。



 ……だが。

 それから十年の時が経過しても、ルイゼ・レコットは大学に姿を現さなかった。



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