第42話.もう少し前の、出逢いの日1

 


 初めてルイゼに出逢ったのは、ルキウスが十三歳の頃のことだ。


 まだその頃のルキウスは東宮を与えられてはおらず、本宮の一室で読書にばかり明け暮れていた。

 魔道具研究所には五歳の頃には専用の研究室を与えられていたので、そこで研究に取り組むこともある。それに観察員としての認定証も持っているので、他の研究室の様子も自由に観覧することが許されていた。


 だが先日、初めて魔道具を完成させたもののその出来は満足にはほど遠く――共同研究した所長に名義は預け、ルキウスは次なる魔道具開発に取りかかっている最中だった。


(……やはり、国内での研究には限度がある)


 パタン、とルキウスは溜め息と共に本を閉じる。

 アルヴェイン王国の魔法研究・魔道具研究の分野が、他国に比べ大きく劣っているわけではない。

 しかしイスクァイ帝国と比較すれば、その差は歴然だ。そしてその要因は、優れた教育機関の有無が大きい。


(イスクァイ帝国の魔法大学……)


 難関だとされる大学への入学。

 周囲はルキウスほどの頭脳であれば大学に入学できるかもしれない、と持て囃すのだが、ルキウス自身その未来には何の疑いも持っていなかった。


 入学することは夢でも何でもないし、称賛されるべきことでもない。それはただの手段に過ぎない。

 そこで何を学び、何を得て、どんな結果を残せるか――全ては、ルキウスの努力にこそ懸かっている。


 気分転換をしようと窓の外を眺めたルキウスは、そこで見慣れない白いなにかが動いているのを発見した。

 王宮の中庭をちょこちょこと歩き回っているフリルの塊……らしきものを注視して、その正体に気がつく。


「子供、か?」


 どうやら年端もいかない少女らしい。

 危なっかしくふらふらと中庭を歩いている。その周囲に視線を走らせても、保護者らしい人影はない。


(何故、子供がこんなところに)


 王宮の警備は厳重だ。ただの子供が迷い込めるような場所ではない。

 すぐに警備兵が駆けつけるだろうと思ったが――その白い生き物が石畳の上で転んでいるのを見て、ルキウスは部屋を足早に出たのだった。




(……俺が足を運ぶ必要はあったのだろうか)


 部屋を出てすぐ、ルキウスは自分の選択を後悔しかけたのだが……今さら後には引けず、致し方なく中庭へと向かった。

 護衛騎士は数人、距離を取ってはいるがついてきている。止められはしないので、特に問題は無いということだろう。


 中庭へと降りたルキウスは、きょろきょろと辺りを見回した。

 バルーンシルエットのドレスを着た、その小さな少女は――未だ転んで立ち上がれずにいたので、見つけるのは容易だった。



「……おい」



 その不機嫌そうな声音は、おそらく子供に向けるには相応しくないものだっただろう。


 だが子供との話し方など、ルキウスはよく知らない。

 年の離れた三歳の弟と、数回だけ対面したことはあるが……いつも弟はおどおどしているだけで、ルキウスも自分から話しかけるタイプではないのでまともな会話をしたこともない。


 そもそも、弟のことだけではなく……ルキウスは他人というものに興味がないのだ。


(よっぽど、魔道具のことを考えていた方が楽しい)


 すり寄ってくる大量の笑顔の裏側も。巧みな言葉に隠された本音も。

 王族の一員として、それらを読み取る術は物心つく前から教えられ、たたき込まれてきた。

 だが、そんなつまらないことに気を取られるよりも――魔道具の研究に試行錯誤する時間の方が、ルキウスにとってはずっと輝いていて。


「へいき!!」


 そんなことを考えていると――むくり、と目の前の少女が起き上がった。

 年の頃は三歳くらい。おそらく、フレッドと同い年くらいだろう。


 赤みの強い鳶色の髪をした少女で、紫水晶アメジストの瞳には涙が浮かんでいたが……服の袖でそれをごしごしと拭うと、立ち上がってスカートの埃を払う。


「いたくない! ……です、から」


 それから少女はルキウスを見上げ――呆気にとられたような顔で、舌足らずに小さく付け加える。

 恐らく、知己の人間とルキウスを間違えたのだろう。急に心許ない表情になってしまった。


 ――ハァ、とルキウスは溜め息を吐いた。

 痛くないと言い張っていても、その白い膝からは血が流れ続けている。

 さすがにこのまま放っておくのは寝覚めが悪い。医務室に連れて行った方がいいだろう。


「お前が痛くなくても、俺には痛そうに見えるが」


 だがルキウスがそう言うと、少女は驚いたように目を見開き――小さく頷いて見せた。


「……それなら、なんとかします」

「は?」



 ……だがその後。

 少女は本当に、その傷をどうにかしてしまったのだ。



 その光景を、ルキウスは驚愕と共に見守った。


(…………奇跡の業)


 ふぅ、と小さく吐息を吐いたときには、少女の膝には傷の一つもない。

 そしてそんなものを見せつけられた以上は、ルキウスのように研究者肌の人間が黙っていられるはずもなく。


「名前を教えてくれ」

「私? ルイゼ……です」


(ルイゼ……)


 その名前には何となく聞き覚えがあった。

 情報を記憶の海からたぐり寄せるには苦労がいったが、ルキウスは数秒の間にその答えに辿り着く。


「そうか。お前、ガーゴインの娘か」

「お父さまをしってるの!?」


 ぱぁっと少女が顔を輝かせる。喜びのあまりか、たどたどしい敬語も剥がれていた。

 よくよく見れば、その髪色は病弱なレコット伯爵夫人によく似ている。


「お父さまがおしごと行くっていうから、ルイゼもついてきたの」


 ……でも、と少女が黙り込む。


「お父さま、どこか行っちゃって……だからしんぱいで、さがしてて」


(おそらく、ガーゴインも今頃は同じことを思っているだろうが)


 ガーゴイン・レコット伯爵は宮廷伯にして、魔法省大臣の地位を持つ人物だ。

 非常に優秀な頭脳を持つ男で、アルヴェイン王国にとってはなくてはならない男である。


 ルキウスに研究所の一室を与えるという話も、父である国王は遠回しに反対していたのだが、ガーゴインが説得に当たってくれたおかげで頷いたのだった。信頼するガーゴイン以外の者の言葉では、父は納得しなかったはずだ。


 しかし、身元が分かれば話は容易い。


「ガーゴインの居場所なら見当がついている。俺が連れて行ってもいい」

「ほんと!?」


 ルキウスが提案すると、ルイゼは舞い上がるほどに喜んだ。

 迷子に同情したわけではない。ただ、少女の持つ力のことが気になっただけだ。


 しかし歩き出しても――ルイゼはついてこようとしなかったので、ルキウスは不審に思い振り返った。

 何かと思えば、その子供は笑顔で片手を差し出している。意味が分からず、ルキウスは眉をひそめた。


「おてて、つないで」

「……何故」

「どこか行っちゃったらこまるから!」

「…………」


 元気いっぱいに返事をされ、それはお前の方だと抵抗するのも馬鹿らしくなり――ルキウスは、ルイゼの手を取った。

 といっても、身長が百六十七センチあるルキウスに対し、ルイゼの方は一メートルにも満たない。


 結果的に、少し屈んだルキウスの指先を、ルイゼがぎゅうっと片手で握りしめたような……そんな不格好な状態で歩き出す。

 それでもルイゼは上機嫌そうに鼻歌を歌っている。

 いつも無表情で冷たいと評されるルキウスに、ここまで物怖じしない相手というのも初めてだ。


(……小さな手だな)


 弱々しくて、柔らかい手だった。

 少し力を込めただけで、壊してしまいそうで心配になるほどに。


 そうしてルキウスがなるべく慎重に振る舞っているというのに……ルイゼの方はそんなことはお構いなしに無邪気に話しかけてくる。


「ねぇ。おなまえ、なんて言うの?」

「……ルキウス」

「んー……じゃあ、ルーくんってよんでもいい?」


 何がどうしてそんな発言が飛び出たのか理解できず、しばしルキウスは沈黙した。


「ねぇ、ダメ? ダメだったらべつのかんがえる」

「別にいい。……なら、お前はルーちゃんか」

「……ルーちゃん?」


 下らない戯れ言のつもりだったが、なぜかルイゼは満面の笑みを浮かべた。


「ルイゼ、ルーちゃんなんだ!」

「そうだな」

「ルーくんとルーちゃんでおそろいだね!」

「……よく分からないが」


 ルキウスが首を捻っている間にも、興味の移りやすい子供らしくルイゼの話題はどんどんと切り替わっていく。

 フレッドと同い年くらいに見えるのだが、ルイゼはよほど活発な気質のようだ。


「ルーくんのすきなものって、なあに?」

「魔道具」

「まどうぐってなあに?」

「魔石と魔術式を用いて動く道具」

「へー。……あ! おへやにあるランプとか、そう?」


 きれいに光るんだよ、とルイゼが空いている方の片手を振ってみせる。


 ルキウスは目を瞠った。すぐにルイゼが思い至ったのが意外だったのだ。

 人間は便利さの虜だ。生まれたときから傍にあるのが当たり前の物に、わざわざ目を向け直したりはしないし、その意味を改めて考えたりはしない。


 まして、ルイゼのように年端のいかない子供ならば尚更のこと。


「ランプ作った人、すごいねえ」

「そうだな。【光の洋燈ランプ】は尊敬すべき発明の一つだ」

「あんなに光るから、光のランプ?」

「そうだ。分かりやすいだろう?」

「うん! ルーちゃんも分かった!」


 ルイゼがコクコク、と激しく頷く。

 それがあまりにも機敏で真剣な動作だったので、思わずルキウスは笑いかけて――口元を手で覆った。


「ルーくんどうしたの?」

「……何でもない。それより、お前のことを訊きたいんだが」

「えー、ルーちゃんのことよりルーくんのことおはなししてよ」


 ルイゼが唇を尖らせたので、ルキウスは「まぁ、それでもいいが」と頷いた。

 人に話せるような大した話題はないし、子供にとって面白い話が出来るとも思えなかったが。


「なんでルーくん、まどうぐすきなの?」

「それがある方が便利であり、生活が豊かになるからだ。文化の発展にも貢献度が高い」

「そうなんだー。まどうぐって、どんなのあるの?」



(……本当に、子供の相手は疲れるな)



 そんなことをそれっぽく思ってみたりもしたが、実際はそうでもなかったのは――ルキウス自身が自覚していることだった。



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