第41話.一瞬での看破
「――――来ると思っていた」
リーナを部屋に迎え入れた第一声。
ルキウスのそれを聞くと同時に、リーナはほのかに微笑んだ。
「嬉しいです、ルキウス様」
(やっぱり、本当によく整った顔……)
ルキウスの容貌をうっとりと鑑賞しつつ、扉を後ろ手に閉じる。
あの憎きオーレリア・アルヴェインによく似た顔立ちなのは、別として――やはり、ルキウス・アルヴェインという男は彫刻のごとき美しさと輝きを放つ。
それはリーナの胸をときめかせるには充分だった。
(ルイゼなんかには、勿体ないわ……)
強い光に吸い寄せられるように、リーナは執務室の真ん中まで歩み出る。
そして机に向かってペンを走らせるルキウスの正面に立った。
「今日もお忙しそうですね、ルキウス様」
「…………」
「あの、お疲れではないですか? よろしければ侍女にお茶を淹れさせますが」
人の顔色を窺うのだけは得意の姉の真似をしながら、にこにこと可愛らしく笑うリーナ。
……しかし、ルキウスからの反応はない。彼はリーナなんか目の前に居ないように仕事を続けている。
(……アプローチの仕方が間違っているのかしら?)
ルキウスに対して、普段ルイゼがどのように振る舞っているのかリーナは知らない。
それならば、とリーナは執務机の後ろに回り込み……そっと、ルキウスの逞しい身体に腕を回した。
「ルキウス様……もう、意地悪しないでください」
あのみすぼらしい姉が、どうやって第一王子に取り入ったのか――考えてみれば、方法は一つしか無い。
(だってルイゼには、もう身体くらいしか使えるものは無いものね)
家では虐げられ、学院では無能として嘲笑われ、婚約者には捨てられた。
惨めなルイゼは、ルキウスの同情を引くには適していたのだろう。
艶っぽく吐息を吐きながら、彼の服の中に手を差し込もうとして――
「……先ほどから何をしている?」
「えっ? 何って、それは……」
ひどく不機嫌そうなルキウスの声が、室内に響き渡った。
「リーナ・レコット。俺は先ほどから何をしているか訊いているんだが」
「…………ッ!」
リーナは鋭く息を呑む。
(ウソ。気づかれてる? でも何で……)
看破されるような失敗はしていない。そのはずなのに。
しかし動揺を表に出せば、それこそ指摘が正しいと認めたようなものだ。
リーナはわざと、何も分からないように小首を傾げた。
「……ルキウス様。私はルイゼです。どうしてそんなことを仰るのですか?」
「猿真似はそれくらいにしろ。俺は今、極めて気分が悪い」
(――な――っ)
あまりの物言いに、リーナの頬が演技ではなく熱を帯びる。
手を離すと、彼は言葉通りに不快そうな目つきでリーナを見遣る。
その双眸に浮かんでいるのは、明らかな敵意で――リーナはひたすら困惑する他ない。
(どうして? 何で?)
こんなことは今までに一度も無かった。
ルイゼの友人をルイゼの振りをして呼び出し、頭に水をかけてやったり、雑言をぶつけて虐めてやったときだって、ちゃんと全てルイゼの所為になった。
今まで誰も、二人を見分けられる者なんて居なかった。
だって、
「……兵士や、それに事務官たちだって分からなかったのに」
リーナの呟きを聞き咎めたらしく、「ならば訊くが」とルキウスが口を開く。
「この東宮で、お前のことを『ルイゼ』と呼んだ人間が居たのか?」
「え……?」
思いがけない言葉にリーナは狼狽える。
そしてほんの数分前までの記憶を辿り……ようやく気がついた。
(――呼ばれてない。誰にも)
つまり、リーナが東宮に辿り着いたときから――東宮の全員が、リーナの正体を理解していた。
ルキウスから通達があったのだ。分かった上で、敢えて見逃し……リーナを油断させ誘い込んでいた。
(それに……それだけじゃない)
リーナが執務室に入室したとき、ルキウスは『
そのことに思い当たり、リーナは喉奥で低く笑った。
認めたくは無いが、どうやらこの男が思い描いた筋道通りにリーナは動いていたらしい。
「……王妃や侍女たちもグルだったと」
「最低限の情報提供はあったが……お前が東宮に来ずに王宮を大人しく退去していた場合は、お手上げだったな」
言葉とは裏腹に、淡々とした態度を崩さないルキウス。
実際に、リーナが王宮を出て行ったとして他の手は考えてあったと言わんばかりだ。
そしてそのとき、ルキウスが瞳に鋭い色を宿して言った。
「俺がお前に確認したいのは一つだけだ。ハリーソン・フォルとの取引の内容を教えろ」
その言葉で、ようやく――リーナはすべての合点がいった。
「ああ、そう……ルイゼがハリーソンに会ったのね」
あの男が、ルイゼと会ったとしたなら――どんな振る舞いに出たかは目に浮かぶようだ。
何せ、いつもリーナの胸元ばかりに視線を寄越していたような男だ。
ケラケラと、お腹を抱えてリーナは笑い出す。
「なぁんだっ――おかしいと思ったの! ルイゼは別の場所……この東宮の別室にでも居るんでしょう? それでわたくしが誰なのか、最初から分かってただけでしょう!?」
絡繰りが分かれば、何も不思議はない。
口では偉そうに言っているが、単にこの男はルイゼの居場所を把握していただけだ。
「っふふ! 見た目だけじゃ絶対に見分けられるわけがないものね! わたくしたちは実の双子なんだか――」
「自惚れるな」
冷たさを通り越して、氷のような声音がリーナの発言を遮った。
リーナは硬直した。恐る恐ると見遣ったルキウスの碧眼には、リーナへの侮蔑の色だけがあった。
「ルイゼとお前は似ても似つかない」
「な……何よ、それ……」
「俺はどんな状況だろうと、ルイゼがルイゼである限り――彼女を見つけるし、それが彼女だとすぐに分かる」
ルキウスが片手を挙げると同時。
背後の執務室の扉から、騎士たちが駆け込んでくる。
そして抵抗する間もなくリーナは捕縛された。あっという間の出来事だった。
呆然とするリーナの耳に、底冷えしたルキウスの声が響き渡る。
「その女の身体検査をしろ。念のため、同性の騎士に担当させろ」
「承知致しました」
後ろ手を縄で結ばれ、無理やり引き摺られ始めたところで……リーナの顔色はさぁっと青くなる。
「ふ、ふざけないでっ! わたくしを誰だと思っているの!?」
もはやルキウスは顔も向けない。再びペンを握り、書類にさらさらと走らせる。
「やめなさいと言っているでしょう!? わたくしは才女のリーナ・レコットなのよッッ!」
喚き立てながらも、ようやくリーナたちがその姿を部屋から消すと……ルキウスは深い溜め息を吐いた。
不愉快ではあったが、大して心は揺れていない。
ルイゼと同じ顔をしていようと、ルイゼの実の妹だろうと、リーナはルキウスにとって何の価値もない少女だ。
しかもルイゼのことを不当に傷つけ、虐げてきた女。同情の余地などあるはずもない。
だが、このことをルイゼが知ったとしたら、きっと彼女はひどいショックを受けるだろう。
自分がしでかしたことのように顔を青ざめさせ、華奢な身体を震わせ……そんな様子を想像するだけで、ルキウスは胸にひどい痛みを覚えた。
「見分けられるはずがない、か……」
リーナは確か、そんな言葉を叫んでいたが。
ルイゼならば、ルキウスが仕事をしていると知って『すぐに会いたい』などと言わない。
自身が立入りを許されていない執務室に入室しない。
お茶を淹れさせるために侍女を呼ぶなどと、不用意な発言はしない。
そもそも侍女や女官で、ルキウスの執務室に入室できる者は誰一人として居ないのだから。
――それに、ルキウスの目からすると何もかも違うのだ。
あの好奇心に溢れた鮮烈な瞳も。時折見せる憂いを帯びた表情も。
鈴を転がすような可憐な声音も。ルキウスにしがみつくか細い手の白さも。
懸命に前を向こうとする、凛とした佇まいも……すべて、ルイゼ・レコットだけのものだ。
そして、それだけではなく。
ルキウスは天井を仰ぎ見て、ゆっくりと目を閉じる。
「…………分からないわけがないだろう」
ルキウスは、ルイゼが彼を認識するよりずっと前から――彼女のことを知っているのだから。
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