第40話.忍び寄るリーナ

 


 昨夜、王妃オーレリアによって告げられた婚約関係の解消。

 それにより、王宮から退去するようリーナには命令が下ったのだが――当の本人は、それを拒絶していた。



「どうしてわたくしが、出て行かなくちゃならないのよ!」



 地団駄を踏むリーナを、白けた目で見るのは六人の侍女たちだ。

 もともとリーナの侍女として仕えていたくせに……実は全員がオーレリアによって放たれた密偵だったのだ。


(許せない。このわたくしを、騙すだなんて!)


 立場を弁えない侍女たちにも――そして巫山戯ふざけた真似をしてくれたオーレリア・アルヴェインにも、リーナは強い怒りを感じていた。

 そして……もちろん、フレッドにもだ。


 数時間前にオーレリアから届いた手紙に、フレッドのことが記されていた。

 その内容は要約すれば――『フレッドはルイゼのところに向かった』というものだったのだ。


(信じられない。信じられない! あの男!)


 ギリ、とリーナは歯軋りをする。

 魔法学院に通っていた頃から、どれだけ微笑みかけ、愛想を振る舞ってやったと思っているのだ。

 すべてはルイゼから婚約者を奪ってやるためだった。その企みは見事に成功し、ルイゼは何もかもを失い、リーナはそれ以上のものを手に入れたはずだったのに。


 今さらルイゼのところに戻ったというフレッドに、リーナは心底幻滅していた。

 その血だけが優れているとされるフレッド・アルヴェイン。つまらなくて情けない、愚かな王子。


(わたくしのような可憐で賢い女には、本来なら相手にされないレベルの男のくせに)


 ふつふつと煮えたぎるような怒り。

 爪を噛みながら、恨み言をブツブツと呟き続けるリーナの様子にぞっとしたのか……侍女たちがひそひそと囁く声も、集中する彼女には聞こえない。


 リーナは考えていた。

 この状況から逆転するにはどうすればいいのか。

 どう立ち回れば、理想の場所にたどり着けるのか。



 必死に考えていると――ふと天啓がひらめき、リーナは小声で呟いた。



「――ルキウス・アルヴェインの婚約者になればいいんだわ」



(……やっぱりわたくしは、才女だわ)


 リーナは密かに口元に笑みを形作った。追い詰められてもどこまでも冴えている。

 所詮は第二王子であるフレッドと異なり、第一王子であるルキウスの方がよっぽど王位を継ぐ可能性が高い。


 そして彼は――リーナさえも、思わず見惚れてしまうほどの美貌の持ち主だった。


 だが夜会の一件がある。リーナ・レコットとして、彼に近づくのは難しいだろう。

 それなら方法は一つだけだ。





 完璧だ。完璧すぎて笑いが込み上げそうだ。

 同じ顔のルイゼがルキウスに気に入られたのならば、リーナにできないはずがない。

 なぜならリーナはルイゼよりよっぽど優れているのだから。


(本当は、ルイゼなんかの振りをするのは虫唾が走るほど嫌だけど)


 背に腹は代えられない。

 それに、いつもリーナはルイゼを名乗っていた。

 今回はその延長線上だ。リーナの名を捨て、ルイゼとして成功を手に入れるだけ。

 そう思えば、何も大したことではない。


 リーナはこちらを窺う侍女たちを振り返った。

 そうしてできるだけ、悲しげな顔をしてみせて言う。


「王宮を出る前に少し庭園を散歩したいわ。ドレスを着替えたいのだけど、いいかしら?」


 それくらいなら、と了承する侍女たち。

 リーナは衣装棚の中から、なるべく簡素で地味なドレスを選んだ。

 化粧は一度落としてから薄く施し直し、アクセサリーの類も次々と外していく。羽をもがれていく蝶々のような気持ちになるが、今ばかりは致し方ない。


「では、少し出てくるわ。すぐに戻るから……」


 そうして部屋を出たリーナは、颯爽と東宮に向かって歩き出した。




 東宮に着くと、警備の詰め所には二人の兵士の姿があった。


 リーナがそこに近づいていくと、彼らの顔が次第に晴れやかになっていく。

 リーナも自然と二人に微笑みかけた。常日頃の、自信たっぷりのそれではなく――弱々しく、不幸を背負った女の表情を演じて。


(……ルイゼは普段から、ここに来ているみたいね)


 信じられないことだが、本当にルキウスに気に入られているのか。

 どうやって取り入ったかは知らないが、あの惨めったらしい姉のことだ。恥ずかしげもなく、ルキウスの同情を引くような振る舞いをしたに違いない。


「本日はどうされました?」


 話しかけられたリーナは、初心に頬を染めてみせた。


「お二人とも、お疲れ様です。ルキウス様は今どちらに?」

「殿下なら執務室で仕事中ですが」

「そうだったんですね。すぐにでもお会いしたいのだけど……いいでしょうか?」


 おずおず、と問うリーナ。

 二人の兵士は顔を見合わせ……やがて頷き合うと、朗らかな笑みをリーナに向けた。


「もちろんです。では自分が執務室までご案内します」

「ありがとう」



(――ほら、簡単じゃない!)



 もはやリーナは大声で笑い出したい気分だった。


 ルイゼとリーナの外見は、そもそもが他人には見分けがつかないほど瓜二つなのだ。

 ルイゼと馴染みらしい兵士たちもまったく気づかず、リーナに明るく話しかけてくるのがその証拠だ。

 相手がルキウスだろうと造作なく騙せるだろう。リーナにはその自信があった。


 兵士のひとりに案内されながら、東宮の回廊を進んでいく。

 途中、何度か事務官や騎士ともすれ違ったが、その度に彼らはリーナに笑顔を向け頭を下げた。

 リーナはそれらに、口元を緩め「こんにちは」と返していく。


 執務室の前に辿り着くと、兵士が扉をノックした。

 数秒後、中からはすぐに返事があった。


 リーナはそうっと扉を開け……執務室の中へと入る。

 部屋の奥の椅子には、リーナが待ち望んだ麗しい銀髪碧眼の男の姿があった。


 リーナは心の中で、熱っぽく囁きかける。



(――ようやく会えたわ。わたくしの……わたくしだけのルキウス様)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る