第39話.蠢く影2
ルイゼは王宮に一度戻り、ルキウスと相談することになった。
ハリーソンの言葉の意味については、ルイゼは何も思い当たることはなかったが、ルキウスは考え込む仕草を見せていた。
そしてその結果……ルイゼはしばらく安全のため、魔道具研究所の寮に寝泊まりすることになった。
というより、実は彼は元々ルイゼにそう提案するつもりだったらしい。
王立図書館でフレッドが騒ぎを起こしていると聞きつけ、急いで駆けつけたのだが、そのときには既にルイゼの姿がなかったために王宮の外まで追ってくれたのだという。
(リーナが、家に戻ってくるから)
リーナがフレッドと婚約を解消していたという話はフレッド自身も、ハリーソンまでも口にしていた。
つまりリーナは王宮から出て、レコット伯爵家に戻ってくる手筈になっていたのだ。
ルキウスはルイゼとリーナが鉢合わせになるのを避けるために、寮に部屋を確保してくれていたらしかった。
そして――ハリーソンに言い寄られ、恐怖に震えていたルイゼを……救い出してくれたのも。
(――またルキウス様が、助けてくれた)
「警備の人数が多いですね」
ミアの声に顔を上げると、馬車の窓の外にはすでに魔道具研究所の建物が見えてきていた。
建物の正面玄関の前には、四人もの警備兵の姿がある。不法侵入者が爆発を起こしたとかで、それからは倍の人数が配置されるようになったのだ。
身の回りの世話のため、侍女の中からは代表してミアがついてきてくれることになった。
家の執事を通して父には承諾を得てくれたと聞いたが、普段の父ならばルイゼが一時的にでも家を出るのを許したとは思えない。
(……やっぱり今日は、おかしなことばかり起こる)
「ルイゼお嬢様、大丈夫ですか?」
小さく溜め息を吐くルイゼを、心配そうにミアが見てくる。
ただでさえ不安をかけっぱなしなので、ミアには詳しく事情を話していない。
しかし、ミアはルイゼが物心つく前から世話をしてくれていた母親代わりの侍女だ。ルイゼの様子がおかしいのをすぐに察したのだろう。
でも、だからこそ余計な心配は掛けたくなかった。
「……大丈夫。ありがとうミア、私は平気よ」
「でも……」
「ほら、馬車が着いたわ」
ミアはまだ物言いたげだったが、ルイゼは気がつかない振りをした。
そして先導していた馬車からは、すでに颯爽と護衛騎士たちが降り立っていた。
三人もの屈強な男性たちは、何者かと言えば――実は、ルキウスがルイゼの護衛として派遣してくれた騎士たちである。
東宮に立ち寄った際に見た顔もある。つまり、ルキウスにとって信頼できる人物ばかりが選抜されたということなのだろう。
研究所自体も警備が以前より厳重になり、ルイゼ自身にも護衛が三人もついてくれる。
ルイゼはすっかり安心したが、ほんの少し、心細い気がするのも事実で。
(『俺が四六時中、一緒に居られるのが一番いいんだが』って……ルキウス様は言っていたけれど)
ルイゼはほんのりと頬を染める。
(私もそう思います――なんて言ったなら、やっぱり困らせてしまったかしら)
……もちろん、そんなことを率直に伝えられるわけもないのだが。
「レコット伯爵令嬢、お手をどうぞ」
「ありがとうございます」
騎士の手を借り、ルイゼは馬車から降りる。
研究所の建物を右回りしてやって来たのは、その裏手にある職員専用の寮の前だ。
巨大な研究所と比べると大きさは半分ほどだが、その石造りの建築物は愛らしい印象がある。
職員の中には家から通っているという人も居るそうだが、ルイゼが出入りしている第三研究室の面々は全員が寮住まいらしい。
騎士たちに囲まれつつ寮の受付に行ってみると、すぐに管理人らしき女性が対応してくれた。
尋常でない雰囲気を感じ取ってか、緊張しきりの様子だったのが申し訳なかったが……手続きは滞りなく終わり、「先にお部屋に荷物を置いてきますね」とミアが廊下の角に消えていく。
その数秒後――ばたばたと足音を立てて、
「ルイゼちゃん、大丈夫だった!?」
と大声で叫びながら、入れ違いで寮の中からやって来たのはイネスだった。
「ルキウス殿下に聞いたわよ。得体の知れない不審者に絡まれたんですって?!」
(得体の知れない不審者……)
一応ハリーソンは名だたる公爵家の長子なのだが、ルキウスに言わせるとただの不審者に成り下がってしまうらしい。
「イネスさん、ありがとうございます。でも平気で……」
「平気なわけないでしょう! アタシがその男をぶん殴ってくるわ!」
騎士たちも唖然とする勢いでそのまま寮を飛びだそうとするイネスを、ルイゼは慌てて引き留めた。
「へ、平気ではないですけれど! でも大丈夫ですから!」
「アタシは心配すぎて気が狂いそうよ……!」
ぐぬぬ、と犬のように低く唸るイネスを見て、騎士たちがゴクリと唾を呑み込む。命の危険を感じたのかもしれない。
しかし言葉の限りに
彼女に案内されながら廊下を進んでいくと、突き当たったところに三部屋の客室が並んでいた。
左はミア、中央がルイゼ、右に騎士たちがそれぞれ部屋を割り当てられているようだ。
客人に対応するために普段は空き部屋になっている区画だそうだが、毛足が短い絨毯が敷かれた廊下には塵一つない。
「今日は疲れてるだろうから、もう部屋で休んだ方がいいわよね。明日にでも設備を紹介するわ」
「はい、ぜひお願いします」
「それにアタシはさっき通り過ぎた部屋の住人だから。うふふ、寂しかったらいつでも訪ねてきてくれていいわよ」
それを聞いたルイゼはおずおずと口にした。
「あの、イネスさん……」
「なあに?」
「今日は突然すぎて迷惑だと思うので、明日にでも……お邪魔してもいいですか?」
ただの社交辞令かもと心配しつつ、そう訊いてみると。
――ぎゅううっと、それはもう力強く両腕を握りしめられた。
「良いに決まってるでしょ! ほんっともう、ルイゼちゃんは可愛い!」
「か、かわ……っ?」
言われ慣れていない言葉にルイゼが目を白黒とさせると、イネスが急に「ひゃっ」と悲鳴を上げて飛び退った。
「ルイゼちゃん見て! この人たち、アタシを斬ろうとしてるんだけど!」
指さすイネスの目線を追えば、騎士たちは三人とも躊躇いつつ腰に下げた剣の柄に手を添えていた。
「優秀じゃない……さすがねルキウス殿下、護衛として申し分ないわ」
「それはつまり、ご自身が不審者だと認めているという……」
「違うわよ! 失礼ね!」
言い合うイネスと騎士に頭を下げつつ、ルイゼは自分用に用意された部屋へと入る。
ミアはちょうどクローゼットにルイゼの衣装を仕舞い終えたところだった。
「どうされますか? お休みになるようなら、すぐ湯浴みの支度を……」
「いいえ。まだいいわ。用が出来たらすぐ呼ぶから」
「かしこまりました」
ミアが下がると、ルイゼは備えつけのソファに背を預けて座り込んだ。
しばらくそのまま、ぼうっとする。目眩を起こしているような感じで、ずっとクラクラしていたのだ。
それほど、今日ルイゼの周りでは劇的な事件ばかりが発生していた。
試しに目を閉じてみても、安らぎは少しもなく。
昼間のことを思い出すと、恐ろしくて身体が震えて……ルイゼは、自分を抱きしめるようにして腕を回す。
「…………ルキウス様」
それでも、彼の名前を囁けば、澄んだ水が器に満ちていくように少しずつ安堵が広がっていく。
ルキウスはルイゼを守るための策を講じてくれた。
イネスは、普段よりも明るく振る舞ってルイゼを案じてくれた。
ミアは、何も聞かずに傍にいてくれて。
……それなのに拭い去れない恐怖があるのは、ルイゼ自身が
いつも笑顔でルイゼの大切なものを奪っていく。
容赦なく踏みにじり、嘲笑い、蔑ろにする――そんな、妹のことを。
(リーナは……今頃、何をしているのだろう……)
双子の妹が、いったい何を考え、何をしているのか。
考えようとしても答えはまったく出ずに――ルイゼは、震える吐息を零すのだった。
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