第37話.お断りします

 


 数秒の沈黙を経て。



「……おやめください。一体どういうつもりですか?」



 ルイゼはフレッドに問うた。

 するとフレッドは顔を持ち上げ、よくぞ聞いてくれたというように早口で話し出す。


「ああ、このポーズのことか? 本で読んだんだがこれは土下座と言ってな――」

「知っています。東洋の国で深い謝罪の意を示す際に用いられる礼のことでしょう?」


 フレッドがぱぁっと顔を輝かせる。


「そ、そうなんだ。僕は最近、よく読書もするようになって」

「本題を伺ってもよろしいでしょうか」


 しかしルイゼが素っ気なく話を遮ると、フレッドは蚊の鳴くような声で言った。


「……リーナとの婚約関係を解消した」


 ルイゼは固まった。


(どうして?)


 数週間前の夜会でも、フレッドとリーナは連れ添っていた。

 それなのに、どうして急にそんなことになったのか。だがフレッドはその理由まで語るつもりはないようだった。


「それで僕は、今まで身の回りで起きた出来事を振り返ってみたんだ。そしてようやく気がついた」

「……何にでしょう」


 フレッドはこちらを見る受付や利用客を、チラッと見てから――ルイゼにだけ聞こえるよう、小さな声で言った。



「――魔法学院で才女と呼ばれていたリーナは、君なんだな、ルイゼ」

「!」

「"才女"は、君の方だったんだ。……そうだろう?」



 問いかけの形を取っていても、それはほとんど確信に近い響きを持っていた。

 黙り込むルイゼに、さらにフレッドが畳みかけるように叫ぶ。


「謝っても許されるようなことではないと、分かっているっ。それでも僕は、君に謝りたいしっ……君とやり直したいと、再婚約をしたいと――っそう思っているんだ!」


 また、絨毯に額をこすりつけるような謝罪が始まる。


(……再婚約って……)


 想像の範疇を超えた申し出に、ルイゼは呆然とする他なかった。

 夜会の場で、大勢の人々の前で、一方的に婚約の破棄を宣告し、侮辱しながらも――復縁を望むとは。


 フレッドの態度と言葉の影響か、受付の方は既にかなり騒ぎになっているし、他の利用客も大きくざわついていた。


 ……当たり前だ。

 仮にもフレッドは王族。それがただの伯爵令嬢を相手にうずくまって頭を下げ、謝罪を繰り返し、挙げ句の果てに君とやり直したいとまで言い出したのだから……悪目立ちしないわけがない。


 ルイゼはだんだんと頭が痛くなってきた。


(むしろ、嫌がらせだったらまだ気が楽だったのに)


 だが、こうして舞台の上に引っ張り出された以上――この場を逃げ出すわけにもいかない。

 ルイゼは落ち着いて呼吸をする。


 そして真っ向から切り出した。


「フレッド殿下は、どうしてで私に謝罪されるのですか?」

「え……」


 フレッドはぽかんと間の抜けた顔をしてから、薄笑いを浮かべてみせる。


「それはその、君がよく図書館に姿を見せると聞いたから」

「つまり、図書館という公共の場所であれば私が逃げられないと踏んだからですね?」


 ルイゼは冷たくフレッドを見下ろす。


「そして少なくは無い人目の前で頭を下げてみせ、私がお申し出を断りにくい状況を作り出した」

「……っ!」


 フレッドの顔色が青くなる。

 ただでさえ王族からの要求なのだ。体裁が悪くなるのはルイゼだと判断して、公の場で謝罪に乗り出したのだとしたら――フレッドのやっていることは、ほとんど脅迫である。


 それを自覚させられれば、と思った。

 以前までのフレッドならば、そんなことを指摘されれば怒りでいっぱいになっていたはずだから。


「……わ、分かっている。自分が卑怯な真似をしていることは」


 だがフレッドは引かなかった。

 唇を噛み締めつつも、真剣な瞳でルイゼを見上げる。そんな表情をしていると、彼はルイゼのよく知る青年と少しだけ似ているようだった。


「だが、僕はこうする以外に思いつかなかったんだ。君に謝りたかったし、もう一度、君と――新たな関係を築きたいと思ったから」

「…………」


 どんな顔をするのが正解なのか、ルイゼには分からなかった。


(たぶん、本当に……悪意がないんだわ)


 思えばフレッド・アルヴェインという人は、昔からそうだった。


 素直ではあるが融通は利かなくて。

 真面目であっても正義とはほど遠くて。


 だから彼は、成績が悪く欠席ばかりを繰り返すルイゼを教室の真ん中で注意した。

 自身は優秀で通るリーナと関係を深め、彼女とばかりファーストダンスを踊った。


 衆目の中でルイゼに婚約破棄を言い渡し、その場でリーナとの婚約を発表したのも。



(……フレッド殿下ひとりが、悪いわけじゃない)



 立場で言えば、彼は被害者とも言える。

 ルイゼがリーナの替え玉を演じていなければ、未来はきっと違っていたのだろう。


 そんな思いが、ルイゼに口を開かせた。


「……そんな風に謝っていただく必要はありません。私も、あなたを騙していたのですから」

「そ、それならっ――」

「――――ですが、申し訳ございません。フレッド殿下との再婚約はできません」


 しかし、絆されてやるつもりもない。


(だからと言って……彼にされた全ての仕打ちが、消えて無くなるわけじゃない)


 ルイゼはフレッドを見下ろした。



「必要であれば、土下座をお返しいたしましょうか」



 ……本を読んだというフレッドならば、ルイゼの言葉の意味がよく分かっただろう。


「……いや、いい。悪かった」


 数秒の沈黙を挟んで、フレッドが首を横に振る。


「君のことを信じられず、馬鹿だと無能だと、そう罵るばかりで……リーナの言葉だけを信じ、鵜呑みにした。そんな男とやり直す気なんて起きないのは、当然だな」

「……フレッド殿下。ひとつだけ、訊いてもいいですか?」

「何だ?」

「どうして……私を婚約者に選んだのですか?」


 ずっと、機会があれば訊いてみたいと思っていた。


 初対面の頃からフレッドはリーナと気が合う様子だった。

 それなのに彼は、なぜかルイゼに婚約を申し込んできたから。


 フレッドは未だに床に座り込んだまま、「ああ……」と視線を彷徨わせた。


「子供の頃……六歳の頃のお茶会のことを、覚えているか?」

「ええ。もちろん」

「あの日の君は、なんだか悲しそうな顔をしてすぐ会場を出てしまっただろう? 実は僕は、気になってしまって……君の後をこっそりと尾けていたんだ」

「……!」


(知らなかった……)


 驚くルイゼに、フレッドが眉を下げる。


「君を笑わせてやりたいなと、思ってさ。ノコノコと行ってみたんだよ。そうしたら、君は――」


 なぜか、眩しいものを見るような顔をして……それから、小さく苦笑を零す。


「……いや、悔しいからこれ以上は言わない。やっぱり、もう終わった話だからな」

「そう……ですか」


 フレッドが何を言いかけたのかは気になったが、ルイゼもそれ以上は問わないことにした。

 それでも何となく、その場から動けずにいると――囁くように小さな声音でフレッドが言った。


「いいよ、もう行ってくれ。でも僕はここで、君がいなくなっても頭を下げ続けるが」

「何故そんなことを?」

「……謝りたいと言ったのは本当なんだ。これが君の名誉回復の一助になるなら良いんだが」


 フレッドが大きく息を吸う。




「――リーナとの婚約は解消したんだッ!」




 目を見開くルイゼの前で、さらに。


「僕は本当に馬鹿な男だった! 僕がすべて悪かったんだ! 君はなにも悪くはなかった!!」


 大声でフレッドは叫び続ける。

 すでに図書館の外にも、何事かと人垣が出来ていて――しかしそれを分かっていて尚、フレッドはルイゼへの謝罪を何度も繰り返す。


「僕ともう一度、婚約してくれ! 君とやり直すチャンスをどうか与えてくれ、ルイゼ!!」


(……フレッド殿下……)


 ようやく彼の意図が分かった。

 でも、やはりその感覚は根本的にずれていると思う。正しくはないし、ありがたくもない。



 それでも彼が――心の底からルイゼに悪いと思っていることだけは伝わってきて。



(これが、フレッド殿下のけじめだと言うならば)


 ルイゼもまた覚悟を決め、ハァと溜め息を吐いてみせた。


「殿下。申し訳ございませんが、お断りします。私はあなたの相手をしてる暇はありませんので」

「そんな冷たいことを言わなくてもいいじゃないか! 僕は君に申し訳ないと思って、土下座までしているんだぞ!?」

「……王族の権威が損なわれますので、そのようなことは今すぐにおやめください。それでは、私はこれで失礼致します」

「ルイゼ! ルイゼッ! 行かないでくれ!」


 乱心かと誤解されるほどの音量で叫び続けるフレッドを置いて、ルイゼは歩き出す。

 周囲の人々は、冷めた目でフレッドを見下ろしている。すぐにこの話は王宮のみならず王都中を駆け巡ることになるだろう。


 フレッド・アルヴェインという愚かな王族の笑い話は、人々の酒の肴にされるのかもしれない。

 それでも、ルイゼが振り返ることはなかった。



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