第36話.元婚約者の土下座
その日は、朝からおかしなことが起きた。
滅多に家には帰ってこない父が、珍しく家に帰ってきたかと思えば――玄関に座り込み、その場から一歩も動かないというのだ。
侍女のミアからその報告を受けたルイゼは、一瞬だけ「今日の外出は取りやめにしようか」と悩んだ。
それでも家を出ることにしたのは、単純に行きたい場所があったからだ。魔道具開発のための時間はいくらあっても足りない。尻込みしている暇はなかった。
「……お父様、ルイゼです。用事があるので、出かけて参ります」
玄関に赴き、丸まった背中に呼びかけるルイゼの声はわずかに震えてしまった。
父とこうして話すのは、婚約破棄された直後――家に帰った父に呼び出され数時間にわたり罵声を浴び続けた、あの日以来である。
(私の外出許可は、ルキウス様が取ってくださったと言っていた。まさか引き留められることはないだろうけれど……)
不安に思いつつ、父の返答を待つと……数十秒の沈黙の後に、窮屈そうな響きが返ってきた。
「……ああ……気をつけて行っておいで」
それを聞いたルイゼは、しばらく動けなかったのだが――慌てて家を出て、馬車に乗り込んだ。
それくらいに、父の言葉に驚いたからだ。
(私に対して「気をつけて」、だなんて)
なんだか昔の父のような物言いだ。
もしかしてリーナと間違えて、優しい言葉を掛けてしまったのだろうか。
(……でも、私はルイゼと名乗ったのに)
不思議に思いながらも、王宮についたルイゼはさっそく王立図書館に向かうことにした。
現在はただの伯爵令嬢であるルイゼも、ルキウスの取り計らいにより事前申請なしに王立図書館に自由に出入りすることができるようになった。
受付で借りていた本を返却した後は、魔道具関連の本が収納された本棚へと向かう。
(治療用の魔道具、の本……は無いから、光の魔石を使った魔道具の本を参考に)
分厚い本を二冊取り出し、胸に抱える。
治療用の魔道具の開発には、今まで数え切れないほど多くの研究者が取り組んできたと言われているが――今までに、一度たりとも完成したことは無い。
(どんな魔道具よりも完成を望まれながら、
改めて、自分がどれほど荒唐無稽な目標を抱いているか身に染みるようだ。
それでもルイゼは、六歳という年齢の頃からその夢を持ち続け――今も諦めてはいない。
(ルキウス様が、私をここまで連れてきてくれたから)
だからこそ、ようやくスタート地点に立つことができた。
本来、アルヴェイン王国では国の許可を得ていない人間が魔道具を開発したり、売買することは禁じられている。
大学に入学したり、あるいはルキウスのように正式に国に許可を受けた立場であれば可能だが――そのどちらも、ルイゼは資格を有してはいなかった。
それが今は魔道具研究所特別補助観察員に任命されたことで、ルイゼ自身にも魔道具開発の資格が認められている。第三研究室の面々の協力もあり、材料や魔石にも困らない。
(私は本当に、恵まれている)
尚更、魔道具を完成させたいという思いはルイゼの中で強まっていく。
胸に抱いた二冊以外にも、何か参考になる本はないかと棚を確認しながら……ルイゼは思い出した。
『片目の
(治療用の魔道具を造るなら、【聖印の槍】の仕組みは参考になるだろう……とルキウス様は仰っていたわ)
異国の地を舞台に、婚姻の儀にて用いられたという【聖印の槍】。
花弁・星・小鳥・三日月をかたどった形に槍の先端が切り替わって、花嫁から花婿へ、花婿から花嫁へ、それぞれの愛の呼びかけに対しての応答に用いられたという。
ロマンスのある儀式の光景のみならず、風の魔石の使用法として画期的だと称えられたのだが、実際のところは、風の魔石のみならず光の魔石も使われていたのが学生の論文で明らかになったのだと、ルキウスは口にしていたはずだ。
(『片目の梟』で確認した限り、槍自体にも照明機能がついていた。でもそれだけじゃなくて……光の魔石は、風の魔石の効果を高めるために使われたんだわ)
それは、ルイゼ自身の仮説であり――ルキウスとの会話で、ますますその推測は裏づけされた。
光の魔石は一般的には光り輝くために用いられるとされ、
だが、本分はそこには無いはずだ。
(光魔法は、治癒の魔法でもあるから)
『光の魔石を中心に用いるとなると、実用化は難しそうだが』とルキウスが治療用魔道具を評した理由もそこにある。
単純に光の魔石それだけで用いても、光るだけなのだ。
ならば、他に必要なものがあるはずだ。
(治療効果として必要なのは変化……というより、
有効な魔術式を練り直さないと、と奮起しつつ、ルイゼはさらに数冊の水魔法の本を手に取る。
何人もの天才が、秀才が、挑み続けても果たせなかった夢なのだ。
どんなに遠い道だとしても、ひとつひとつの仮説を実証しながら……一歩ずつ着実に進むより他にない。
(頑張らないと!)
そのとき、ルイゼはわずかな喧噪が耳をかすめた気がして振り返った。
静寂が尊ばれる図書館では珍しいことだ。
受付の方から、話し声のようなものが聞こえ……かと思えば、大きな足音がこちらに向かって近づいてくる。
その人物の姿を目にした途端、ルイゼは軽く目を見開いた。
「フレッド殿下?」
なぜかルイゼの居る方向に向かってズンズンと勢いよく歩いてくるのは、金髪碧眼の第二王子――フレッド・アルヴェインだった。
しかしルイゼは困惑するしかない。というのも、
(本に興味なんて無いはずなのに)
フレッドの婚約者であった頃からルイゼはよく図書館に通っていたが、今まで一度もフレッドの姿を図書館で見かけたことはなかったのだ。
だがフレッドは本棚には脇目も振らず、ひたすらルイゼに向かって突き進んでくると……立ち尽くすルイゼの前で停止した。
ルイゼは戸惑いつつ、フレッドのことを見る。
フレッドはといえば、無表情だった。しかしどこか、強い意志を感じさせる瞳をしている。
ルイゼは意を決して口を開いた。
「あの……私に何か御用でしょうか?」
そこからのフレッドの行動は迅速だった。
その場に膝をつき――床に思い切り、額をこすりつけてみせたのだ。
そうして、大きな声で叫ぶように言う。
「ルイゼ! 今まで本当にすまなかった!!」
その瞬間、ルイゼは心の底から思った。
――本当に今日は、おかしなことばかり起こる……と。
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