第35話.リーナとフレッドへの罰

 


「フレッド、来てくれたのね」

「……はい、王妃殿下」


 重苦しい声音で、フレッドは返事をした。


 その日の夜――フレッドが呼び出しを受けたのは、"月の間"と呼ばれる煌びやかな謁見の間だった。

 元々は王妃が自らの私的な客人をもてなすために使用していたのだが、いつしかその場所は彼女自身の異名になぞらえて"月の間"と呼ばれ、招かれれば幸運が訪れると言われるようになった。


 だが――今日のフレッドは幸運どころか、地獄にたたき落とされる瞬間を今か今かと待ち構える、罪人の顔つきをしていたはずだ。



「そんなに緊張しないで。男前が台無しよ?」



 ふふ、とほのかに微笑む彼女の名前は――オーレリア・アルヴェイン。


 フレッドにとっては実の母親であり、この国……アルヴェイン王国の第一正妃である。

 頭の上で見事に結い上げた銀髪に、細められた瞳は輝かしい碧眼をしている。


 フレッドは国王に似ているとよく言われるが、ルキウスとオーレリアこそ瓜二つの外見だ。

 だからこそ、フレッドはオーレリアに苦手意識を持っている。しかも兄を目の前にするよりも強く、だ。


「それと――あなたとこうして直接お会いするのは初めてね」


 唐突にオーレリアがそんなことを呟いた。

 何事かと思えば、月の間の両開きの扉が開け放たれ――そこからやって来たのは、


「……リーナ……?」


 そう。侍女たちに腕を引っ張られながら現れたのはリーナだった。


 リーナは子供のように手足をばたつかせて抵抗しているが、さすがに数人の成人女性に拘束されては逃げられないようだ。


「何なんですの! 信じられませんわ。わたくしを誰だと思っているの!?」


 静かなる月の間に、子犬が喚くような甲高い声が響き渡る。

 オーレリアの背後に控える女性騎士たちが、鋭い目をリーナに向ける。

 オーレリア本人は変わらず、微笑みを浮かべていたが……フレッドはすぐに注意を飛ばした。


「リーナ、控えろ。王妃殿下の前だぞ」


 リーナが口を閉ざす。さすがに弁えたらしい。

 暴れるのを止めた彼女をフレッドの隣に下ろすと、侍女たちは壁際へと下がる。


(……リーナ……)


 フレッドは、横目でリーナを見つめた。


 リーナとこうして顔を合わせるのは、ちょうど七日前――魔道具研究所での事件以来だった。

 あの日以降リーナは自分の部屋へと引きこもり、フレッドが何度呼んでも出てこようとはしなかった。

 やつれているかとも思ったのだが変わりなく健康そうな様子で、頬は薔薇色をしているし、唇は艶やかに光っている。


 リーナはフレッドの方に目を向けることもなく、オーレリアに向かって礼をした。


「……初めまして、王妃殿下。わたくしはリーナ・レコットと申します」

「こんばんは、リーナ。今夜もとても月がきれいね」


 そうですわね、とリーナが笑う。つまらない話を振ってきたオーレリアを小馬鹿にするように。

 しかしオーレリアは、やはり微笑んだまま続けた。


「リーナ。あなたのことはよく聞いています」

聞いていらっしゃるのですね。それは何よりですわ」

「……ごめんなさい、勘違いをさせてしまったわね。しょっちゅう話題に上がる、という意味なの」

「ええ。自分の価値は理解していますので、それも当然のことかと」


 オーレリアは微笑みを崩さなかった。

 だが傍でそのやり取りを聞くフレッドは居たたまれない。


(もうやめてくれ……)


 今まで信じ切っていたものが、目の前で少しずつ崩れていくような。

 苦痛に拳を握るフレッドを、ちらと見遣ってから――オーレリアが呟いた。


 その透明感のある声は大きな声量でもなかったが、異様なほどに鼓膜を打った。



「今日、こうしてあなたたちを呼んだのは他でもない……先日の、魔道具研究所での魔道具暴発事件について話したかったからなの」



 リーナはきっぱりと言い返した。


「わたくしのせいではありませんわ。あの魔道具は不良品だったのかと」

「それは、どういう意味かしら?」

「わたくしが手にしただけで爆発したんですもの。それが不良品以外の何なのでしょうか?」


 そう、とオーレリアは小さく笑い、フレッドへと視線を移す。


「フレッドは、どう思う?」


 ギクリとした。

 リーナが横からフレッドのことを見ている気配がする。


「……僕は……」


 フレッドは迷った末に、口を開いた。


「あの日――魔道具研究所に僕とリーナが向かったのは、そもそも、僕が魔法省副大臣サミュエル・イヴァの発言の意味を、取り違えたからです」

「……そう。それで?」

「僕はリーナが研究所に求められていると勘違いして、彼女を連れてあの場に行きました。しかし受付で門前払いを喰らって、リーナは……非常にショックを受けたことと思います。そのショック故に、彼女が暴走行為をしてしまったのだとしたら……その責任は僕にあります」


 オーレリアが小さく頷く。


「そうなのね。では、今の話を聞いてリーナはどう思ったのかしら」

「ええと……暴走行為という言葉の意味は分かりかねますが、フレッド様の失敗のせいでわたくしが恥を掻いたのは事実ですわ」


 フレッドはもはや、そんなリーナの言葉に何の反応も返さなかった。


 しばし、オーレリアは笑顔のまま黙り込んだ。

 オーレリアの周囲は、背筋が震えるほど空気が静かで、それはフレッドを恐怖に駆り立てるには充分だったのだが――そこでオーレリアが、


「分かったわ。この話は一度、終わりにしましょう」


 などと言い出したので、ますます眉をひそめることになった。



(……終わりにしよう、だって?)



 どういうつもりなのか。オーレリアの思考がフレッドにはまったく分からなかった。

 今日、この場に呼ばれたのは、騒ぎを起こしたフレッドとリーナを罰するためだと思っていたが――。


(……いや。気を抜くな)


 フレッドは唇を引き結ぶ。何かきっと、オーレリアにはフレッドの知る由もない思惑があるのだろう。

 リーナなんて、まざまざと顔に「王妃が話の分かる人で良かった」と書いてあるが……オーレリア相手に油断をすると取り返しがつかなくなると、実の息子であるフレッドはよく知っていた。


「では、質問を変えるわね。リーナ」

「何でしょう?」

「ルキウスの従者たちが、あなたの失態の埋め合わせのために奔走したのを知っている?」


 リーナの表情が凍りついた。


「……意味が分かりませんが……突然、何の話ですか?」

「分からないならいいわ。あなたの普段の行動については侍女たちから聞いているから」

「…………は?」


 そんなオーレリアの言葉と共に、壁際に立っていた侍女のひとりが手にしていた何かを彼女へと手渡す。

 それは分厚い紙の束のように見えた。オーレリアは絵本を読むように、その中身をぱらぱらと捲っていった。


「これはあなたに関する報告書なの。あなたが普段、どのように振る舞い、どのようなことを口にしたかが事細かに記載されているわ」

「……何ですの……それ」

「少しだけ紹介するわ。まず、あなたはフレッドから任された公務の書類に目を通すこともせず、決裁印の押印だけをして、しかもそれを次々と床に放り投げていたそうね。しかも慌てて拾い上げる侍女たちを笑って見下ろしていたと」


(……そんなことをしていたのか)


 驚くフレッドの隣で、リーナは顔を真っ赤にしていた。


出鱈目でたらめですわ、そんなの!」

「フレッドの側近の子たちを、全員追い出してしまったのもあなたね」

「だ、だからそれは」

「ルキウスの帰国記念の夜会では、招待状を持たずに会場まで赴き、フレッドの名を使って警備兵を退けたそうね」

「ですからッ! そんなの全部――」

「侍女にも毎日のように罵声を浴びせていたそうね。ひとりで部屋に来るようにと呼び出されて、暴力を振るわれそうになった子も居たとあるわ。ひどいことをするのね」


 とうとうリーナは不愉快そうに歯軋りをした。

 ギッ、と鋭く睨みつける先は、壁際に佇む侍女たちだ。



「信じられない。わたくしの陰口を王妃殿下に吹き込んだなんて!」



 血走った目には凄まじい迫力があったが、侍女の誰も動じている様子はない。

 リーナは侍女たちを指さすと、高圧的に言い放った。


「あなたたち、全員クビにしてやるわ。フレッド様に言いつければそんなの簡単で――」

「それは出来ないわ、リーナ」


 だが、啖呵はオーレリアによって遮られる。

 彼女はそれから、歌うように続けた。




「だってあなたに付いていた侍女たちは全員、




 ――ひくっ、とリーナの頬が引き攣った。


 オーレリアは笑みを絶やさず、そんなリーナに淡々と追い打ちをかける。


「知ろうと思えば、簡単に知れたでしょうね。わたしは、この子たちの素性を隠しはしなかったし――この子たちにも、リーナ・レコット伯爵令嬢から経歴について問いかけがあれば、すべて包み隠さず事実を答えるようにと伝えてあったから」


 それにフレッドも知っていたわ、とオーレリアが言えば、リーナは憎々しげにフレッドを睨みつける。

 だがフレッドは彼女の方を見なかった。もう、見る気が起きなかった。


 オーレリアは椅子から立ち上がると、月光に照らされたその顔にとびきり美しい微笑を乗せる。


「残念だけれど、リーナ。わたしはただのオーレリアとしても、アルヴェイン王国の王妃としても、あなたは王族に名を連ねるに値しない子だと考えるわ」

「…………」

「そしてごめんなさい。そもそも、あなたとフレッドの婚約の申請は正式に受理されていないのよ」

「………………」

「より正しく言うなら、わたしが差し止めていたから。――それを、あなたたちふたりへの罰としましょう。これは国王陛下の決定でもあります」


 話は終わりよ、とオーレリアが言うと、リーナは肩を怒らせて月の間を出て行った。

 それを無言で見送り……フレッドは、オーレリアを見つめる。


「……これで、周囲は納得するでしょうか」

「もちろん、しないわね」


 オーレリアはただ笑うだけだった。


「あれだけの騒ぎを起こしながら、婚約を白紙化しただけで済まされただなんて、ね。……その方が、?」


 長く広がる湖畔のようなドレスを広げて。

 この世のものとは思えないほど完成された美貌が、優雅に笑む。



(ああ。……やはりこの方は、怖ろしい)



 実の息子に、ここまでの仕打ちを平気でやってのけるのだから。

 そしてそれに一切の躊躇がない。心底それが正しいと判断して動くからこそ、彼女はいつも笑っているのだ。

 怒る必要も、悲しむ必要も無いことだと言わんばかりに。


(……ある意味では、兄上がいつも無表情なのに似ているが)


 これからフレッドとリーナには、逃れようのない静かな地獄が待ち構えているのだろう。

 無言で唇を噛むフレッドに、オーレリアは囁きかけるように言う。


「フレッド。あなたは少々、思慮の浅いところと、思い込みが激しいところがあるけれど……でも、決して無能な子ではないわ」

「……どうでしょうね」

「今まで、自分の身の回りで起こった出来事を見つめ直しなさい」


 それなら、とフレッドは答えた。


「……それなら、もう、出来ているかと思います」

「あら、そう」


 それは良かった、と笑うオーレリア。

 間違いなくそれは、ただの母親としての温度を持った笑みで――久しく見ていなかったその表情を見た途端に、どっと後悔が押し寄せたような気がした。


「……申し訳ございませんでした、母上」

「謝る相手が違うでしょう?」

「……そうでしたね」


 フレッドが苦笑すると、オーレリアは満足そうに頷いた。


 迷いはなかった。

 フレッドの胸には、ひとつの覚悟があった。



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