第33話.ひとつの夢
翌日も、ルイゼとルキウスは魔道具研究所へとやって来ていた。
というのも、二階の実験室で何か大きな事故があったらしく、所員以外は一時帰宅するようにとアナウンスがあったからだ。
幸い怪我人は居ないと聞いてほっとしたが、やはり魔道具研究所という名前通り、危険な魔道具も数多く扱っているのだろう。
「昨日の地震は、その事故の影響だったんでしょうか」
立入り禁止になっている二階を通り過ぎながらルイゼが訊くと、ルキウスは少しばかり沈黙してから「そうだな」と答えた。
(もしかして、ルキウス様は事故の原因について詳しくご存知なのかも……)
訊いてみようかとも思うが、ルキウスにそのつもりがあれば既に話してくれているはずだ。
そうしないということは、彼にとって相応の理由があるということなのだろう。
なら、無理に聞こうとはルイゼは思わなかった。
三階の第三研究室に着くと、笑顔で四人が出迎えてくれた。
「こんにちは、皆さん」
ルイゼは丁寧に頭を下げる。
すでに自己紹介も受けていたので、全員の名前はしっかり記憶していた。
ツリ目と、大人っぽい泣きぼくろが印象的な紅一点がイネス。
弱気そうな黒髪眼鏡の男性が、ハーバー。
やんちゃそうな糸目の青年は、アルフ。
そして第三研究室の所長である中年男性がフィベルトである。
「おお、ルイゼちゃーん! いらっしゃい!」
さっそくイネスが駆けつけ、ルイゼの両手を取って嬉しげに振る。
「ルイゼちゃん」呼びも、そんな風な気さくな態度にも不慣れなルイゼは照れ笑いを浮かべた。
フィベルトも近づいてくると、頭を掻きつつルイゼに言う。
「昨日はごめんねぇ。爆発の件もあってゴタゴタしちゃって」
「なんかよく知らないけど、不法侵入者が居たとかで結構大変だったみたいよ!」
「えっ……? 不法侵入者?」
(本当に大丈夫だったのかしら……)
心配になるルイゼだったが、そこで「ハァ」と大きな溜め息が聞こえてきたのでそちらに目を向ける。
溜め息の主はハーバーとアルフのふたりだった。
「あの、どうかされたんですか?」
「ああ、レコットさん……」
「いやぁ、一ヶ月前に申請に出した【泡発生器】が審査を通らなかったもんスから……」
手元の書類を見つめてみると、どうやら入浴の際に大量の泡を湯の中に発生させる魔道具らしい。
浴槽の中にたくさんの泡が生み出された光景を想像してみて――ルイゼは何だかわくわくとした心持ちになった。
「楽しそうな魔道具ですね!」
「だよね!? おれもそう思うっス!」
「何言ってんのよ。出力が強すぎて泡で窒息しかける不良魔道具じゃない」
しかしイネスに容赦なく指摘され、ますますハーバーとアルフは落ち込んでしまった。
「あーあ。おれらは魔道具開発の実績も無いし……」
「毎年のようにゴリゴリと予算は削られていくし……」
「【虹色水晶】も水が垂れ流しだし……」
「でももう申請に出しちゃったし……」
(なるほど。だから昨日も、魔道具を開発しようとしていたんだわ)
魔道具開発において、魔道具研究所がイスクァイ帝国の魔法大学に劣っているのは周知の事実である。
おそらく、その実情を改善しようと研究所では積極的に新魔道具開発の取り組みが行われているのだろう。
だが彼らの話を聞いていて、ルイゼにはひとつ不思議なことがあった。
「あの、ルキウス様が開発された魔道具は……」
そう。ここに居るルキウスこそ、魔道具開発の分野においては知らない者が居ないレベルの実力者なのだ。
幼い頃からルキウスがここに通っていたなら、彼が開発した【通信鏡】などの魔道具は第三研究室の実績にもなっているのではと思ったが。
「ああ。それなら俺は研究所の中に専用の部屋を持っているから」
こともなげに答えるルキウスを、恨ましげ――もとい、羨ましげに見遣る面々。
だがルイゼだけは納得していた。
(さすがルキウス様……!)
ルキウスの場合、王族だからといって特権が発動されたわけではないだろう。
本人の実力が、それに足ると認められたからこそ彼のための部屋が用意されたのだ。
ルキウスに憧れの眼差しを向けるルイゼに気がついたのか――イネスが、どこかしょんぼりとした様子で呟く。
「ルイゼちゃん、ごめんね……。研究所がこんな情けないトコで幻滅したでしょ?」
それを聞いたルイゼは首を左右に振った。
「そんなことありえません。魔道具研究所は、私にとって憧れの場所のひとつですから」
「……えっ!? ここが!?」
イネスが叫び、『正気か?』みたいな目を全員から向けられる。
しかしもちろん本心だった。
「便利な魔道具を使うたびに、いつも感謝していました。これを生産してくださっている方々の緻密な作業と、凄まじい努力に」
魔道具はどれも便利なものばかりだ。
火を起こすにも材料がいる。きれいな水を使うには設備が必要で、光を灯すには道具が要るのだ。
その希望までの道を大幅に省略してくれるのが魔道具なのだと、ルイゼは思う。
では、それは何故実現できているのかといえば――当然、開発者の閃きと努力あってのものだが。
それ以上に、奇跡を多くの人々の手に届けているのは、他ならぬ魔道具を大量に生産する人々なのだ。
魔道具そのものを組み立てる人々と。
そして組み上がった魔道具に、魔術式を刻む人々がいるからこそ。
(単純な仕掛けの魔道具なら、魔術式も短く一単語で済んだりするけれど……そればかりじゃないから)
「昨日の水晶に描かれた魔術式も、とっても美しくて――私、思わず見惚れてしまったんです」
はにかみながら、ルイゼが思いを伝えると。
黙って話を聞いていたイネスが、そっ……と、その手を取った。
「……ルイゼちゃん。やっぱり
「えっ!」
(また誘われてしまった!)
驚くルイゼだったが、今日の場合は他の所員たちもハイハイと手を挙げている。
「賛成! レコットさん、ぜひ自分たちと一緒に仕事しましょう!」
「おれも! 疲れ切ってすり減った精神を癒してほしいっス!」
「お前たち……」
ハーバーとアルフが涙さえ流す勢いで訴えるのを、所長のフィベルトは肩を竦めて見ている。
だがそんなフィベルトも苦笑しながらルイゼを見つめ、
「……レコットさん、ありがとう。僕らはそんな風に誰かに感謝される経験がほとんど無いから、君の言葉は本当に嬉しい」
それから、真剣な表情になると。
「その上で、改めて聞くよ。君が特別補助観察員になったのには、何か目的があるんじゃないかな」
「……!」
ルイゼは息を呑む。フィベルトの言うとおりだったからだ。
もちろん、研究員たちの仕事を傍で見たいし、勉強がしたい。実際に魔道具を生産する現場で、学ぶべきことはいくらでもあるはずだ。
だが――それ以上に、ずっとルイゼには考えていたことがある。
(私の夢。……私が、やらなければならないこと)
叶う機会は、もう無いのだと思っていた。
けれどルキウスが手を差し伸べ、アグネーゼが機会を与えてくれたから。
「私、治療用の魔道具を造りたいんです」
驚きの声は無かった。
むしろ広がったのは戸惑いだったのだろう。ルイゼの言葉の意味を計りかね、所員たちは顔を見合わせていた。
おずおずと、イネスが問うてくる。
「治療用の魔道具って……聞いたこと無いけど、そんなものがあるの?」
「……いえ、私が知る限り実在していません。だからこそ、造りたいんです」
ルイゼははっきりと伝える。
フィベルトが「そうか」と呟く。
「僕たちは、そもそも生活魔道具専門の部署だからね……大して力にはなれないだろうけど」
そう言いながらも、フィベルトは微笑んでくれた。
「でも、君の夢を応援しよう。魔道具を愛する同志としてね」
「フィベルト所長……ありがとうございます」
そして、しばらく黙っていたルキウスが歩み出た。
ルイゼは思い出す。王都で魔道具店巡りをした頃、思わず治療用の魔道具の話をしたことがあったのだ。
そのときも、ルキウスは今と同じ思慮深げな眼差しをして――しかし決して、ルイゼの言葉を笑ったりはしなかった。
「ルイゼ。俺も手伝っていいか?」
「……もちろんです。ルキウス様が手伝ってくださるなら、これ以上に心強いことはありません」
(それこそ、ルキウス様と一緒なら――不可能だって可能になってしまう気がする)
心の声さえも伝わったのだろうか。ルイゼを優しい双眸で見つめ、ルキウスが美しく笑った。
それだけで身体の底から力が湧いてくるような気がして、ルイゼも柔らかく微笑む。
そこで「ゴホン!」と咳払いの音が響いた。
何かと思えば、イネスを筆頭に全員がジトッとした目でこちらを見ている。
「……甘い。甘いわふたりとも!」
「そ、そうですよね。そう簡単に魔道具が造れたりはしませんよね……」
「いやそっちじゃなくてね。雰囲気の方よルイゼちゃん!」
(雰囲気……?)
ルイゼはルキウスと見つめ合い、そろって首を傾げる。
なぜか唐突にハーバーが「仮眠室……」とふらつきながら去って行った。体調が悪いのだろうか。
そんなハーバーを哀れみの目で見送った三人が、ルイゼに向かって一斉に言う。
「設備は好きに使ってくれて構わないよ。でも魔石を使うときは僕に聞いてからで」
「分からないことがあったらなんでも聞……いや、むしろおれが聞く側っスね!」
「アタシたちは基本的には魔道具の製造の仕事があるけど、いつでも声掛けてね」
そんな温かな言葉に――ルイゼは満面の笑みで応じる。
「はい。ありがとうございます!」
こうして、ルイゼの挑戦が始まった。
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