第32話.リーナの暴走

 


 ルイゼとルキウスが研究室に辿り着いたのと、ほぼ同時刻の頃。


 意気揚々と王宮を出発したフレッドとリーナは、魔道具研究所へと到着していた。

 凱旋のような心持ちで、受付の女性にフレッドは堂々と名乗ってみせた。


「……あの、申し訳ございません。許可証はお持ちでしょうか?」


 しかし返ってきたのは、そんな淡々とした返事で。

 唖然としつつフレッドは問うた。


「…………許可証というのは何だ?」

「所員でないお客様の場合は、視察の許可証や認定証をお持ちかどうか受付で確認させていただいております」


 そういった物はお持ちですか? と受付が首を傾げる。

 フレッドは鼻白む。何だそんなこと、と馬鹿らしくなった。


「それなら問題ない。魔法省の副大臣サミュエル・イヴァより許可は得ている」

「申し訳ございませんが、イヴァよりお二方の訪問のご連絡は受けておりません」


 唖然とするフレッドの横からリーナが飛び出すようにして、受付の机を叩いた。

 一瞬にして、周りの目がふたりに向けられる。しかしリーナは気にせず、むしろ大声で言い放った。


「許可証だか認定証だかよく知りませんけど、わたくしはあの魔法学院を首席で卒業した才女リーナ・レコットですわ。あなたもわたくしの名前くらいはご存じで無くって?」

「……お名前は存じ上げています」

「フフッ。それならば、良いでしょう? リーナ・レコットと王族であるフレッド・アルヴェイン様がここを通りたいと言っていますのよ」


 だが受付の方はどこ吹く風といった様子だった。


「当研究所では危険物の取り扱いもございます。王族の方であっても、無許可の方はお通しできません」

「……そこまで言うなら教えてさしあげるわ。わたくしの父は、魔法省の大臣ガーゴイン・レコットなのよ?」

「それも存じ上げておりますが、今回のご訪問とは関係ないかと」


 リーナは言葉を失っていた。

 わなわなと震え、女性に掴みかからんほどの勢いで叫ぶ。


「……このわたくしに向かって、なんたる侮辱かしら!? あなたみたいな頭の固い能無し女、お父様に言えばすぐクビになるわよっ!!」

「何を言われようと、許可の無い方はお通しできません」

「っ、何度も言っているだろう! 副大臣から許可は得ているのだ!」


 しかしフレッドを見返す目は冷たい。


「参考までに、どういったやり取りか教えていただけますか?」

「それはっ――」


 フレッドは思わず黙り込んだ。



(……サミュエルはなんて言っていた?)



 遠い記憶ではない。思い返せばすぐ、頭の中に彼とのやりとりが浮かんだ。



『殿下の新しい婚約者であるリーナ・レコット伯爵令嬢は、実に優秀な方でいらっしゃるとか。魔法大学の推薦すらも蹴ったと、魔法省でも話題になっていたんですよ』

『そうなのか、さすがリーナだな』

『我々の魔道具研究所はなかなか、大学に対してうだつが上がらない状況でしてな……もしもレコット伯爵令嬢が入所していてくれたら、研究員たちの熱意も違っていたかもしれません。ハハッ、今となっては過ぎた話ですが』



 その時点になり、ようやく――フレッドに冷静さが戻ってくる。


(……サミュエルは、別にリーナに魔道具研究所に来てほしいとは……言っていない)


 あのときはフレッド自身が仕事に追われ、疲れ切っていて――ただ、言葉の端々を聞いて、「本当か!?」と舞い上がってしまったのだ。

 リーナが必要とされている。リーナが実力を発揮できる場所がある。そんな風に感じて。


 つまり……フレッドの確認不足だ。

 これはリーナへの正式な依頼ではなかった。


 あんなのはただの世間話だ。サミュエルにも、そんなつもりは毛頭なかったに違いない。


「す、すまないリーナ。これは僕が……」


 言いかけたフレッドだったが――そのときにはリーナは受付の制止を振り切って階段の手すりを掴んでいた。


「リーナ!?」


 裾が長い華美なドレスの裾を踏みそうになりながらも、リーナがずんずんと階段を上がっていく。

 フレッドは慌ててそれを追う。受付の女性が警備を呼ぶためか魔道具らしきスイッチを押しているが、もはやそれどころではない。


 二階に上がると、リーナはちょうど手前の部屋に駆け込んだところだった。

 本来ならカードキーがないとドアは開かないようだが、ちょうど研究員たちが入室しようとしていたのだ。

 横のプレートには『第一実験室』と書かれていた。ドアが閉まりきる前に、フレッドも滑り込む。


「リーナ!」


 だが、フレッドが止める声は間に合わなかった。



「わたくしはリーナ・レコットですわ!」



 名乗りつつも、ぜえぜえと肩で息をしているリーナ。

 所員たちは、唐突に部屋に現れた少女を前に、全員が何が起こったか分からないという表情をしている。

 何人かがひそひそと囁き合った。


「……リーナ・レコットって確か……」

「気軽に呼び捨てないでいただける? 今日はわたくし、あなた方に魔道具について指導するためにはるばるやって来ましたのよ」


 空気が凍りつく。

 フレッドも頭を抱えたくなった。リーナの言い方があまりにも高圧的だったからだ。


 所員たちの表情に気がつかず、リーナはさらに続けた。



「華々しい魔法大学に比べて、魔道具研究所がどうしようもない組織であることはよく知っていますわ。大学から魔道具生産の権利だけを買い取った、工場まがいの場所ですわよね?」



 ――痛いほどの沈黙が、室内を満たした。


 フレッドが恐る恐ると確認すれば……所員たちがリーナを見る目には、今や困惑どころではない怒りと敵意だけが浮かんでいた。

 フレッドの頭の中は真っ白だった。あまりにも考え無しで発言するリーナを前に、思考が停止しているのだ。


 話が通じない相手だと認識したのだろう。

 所長のカードキーを提げた初老の男性が、厳しい表情でフレッドを振り返る。


「フレッド・アルヴェイン殿下……であらせられますね。我々は何も聞いていません。これは一体どういうことなのか、教えていただけませんか?」


 本来は王族であるフレッドが口を開かなければ、彼の発言は許されない。

 しかしそんなことを注意していられるほどの、生やさしい状況ではなかった。


 誰もが動けずにいる中、リーナだけはまるで自由な小鳥のように振る舞っている。

 彼女は今さらのように研究室の中を見回し、とある物に気がついた。

 机の上に置かれたそれは、四角い形をした白い小箱のようだった。


 それをオモチャのように気軽に手に取るリーナ。


「ああ、これが魔道具かしら?」


 その行動に周囲が大きくざわつくが……所長が落ち着いた声音で呼びかける。


「リーナ・レコット伯爵令嬢。どうか手をお離しください。その魔道具は生産途中の魔道具の一種で、危険な物です」

「いやよ。わたくしの方があなた方よりうまく扱えるもの!」


 リーナは相手にもせず、小箱の中を覗き込んだ。


「ああ、これ……学院の授業で習ったことあるわ。魔術式だったかしら」


 はらはらとリーナの様子を見守りつつ、フレッドは初老の男に訊いた。


「おい。あの魔道具はどういうものなんだ?」

「……火の魔石を使った、爆発の魔道具です。橋の解体用に使う物の試作品ですが」

「ハァ!? そんなの、すぐに止めないと――」

「それはもちろんですが……床に落とされでもしたら、その方が大惨事です」


 所長の顔色はすっかり青くなっていた。他の所員たちも同様だ。

 フレッドはごくりと込み上げてきた唾を呑み込んだ。緊張感のあまり、四肢が震えている。


「り、リーナ……その魔道具をぼ、僕に渡してくれないか」


 そのときだった。

 フレッドの呼びかけなど無視して鼻歌さえ歌いながら、リーナがケースに仕舞われた魔石を手に取ったのは。



「知ってるわ。こうやって魔石を入れてやれば、魔道具が発動するんでしょ?」



 リーナの手が、無造作に魔石を掴んで箱の中に放り投げる。

 その腕がそのまま、箱の側面にあるボタンに触れた瞬間……フレッドは自分でも信じられない速度で駆け出していた。


「う、うわああああっ!!」


 情けない悲鳴を上げながらもリーナの手から魔道具を奪い取り、空中に投げる。

 次の瞬間には壮絶な爆発音が鼓膜を揺らし、赤い炎の波が膨れ上がり――




 ――大きく、世界が揺れた。




 フレッドはリーナの上に覆い被さるようにして彼女を守っていた。

 それでも爆風によって吹っ飛ばされ、リーナごと壁に激突してようやく止まる。


 ……数十秒後、ようやくフレッドは上半身だけを起こした。


 辺り一面は煙に覆われている。

 しかし燃料となった魔石の量が少なかったためか、引火はしなかったらしく……固い素材で造られた実験室の壁と床も、どうにか爆発の衝撃に耐えたようだ。


 机の下に素早く避難していた所員の何人かは激しく咳き込んでいるが、ひどい怪我人はいないようだ。


「り、リーナ……大丈夫か?」


 フレッド自身も身体の痛みを堪えつつ、リーナに呼びかける。

 しかし、目を見開いたリーナが叫んだのは……信じられない言葉で。



「――わ、わたくしのせいじゃありませんわ!!」



 フレッドは一気に絶望にたたき落とされた心地になった。

 目の前が真っ暗になっていくような感覚に、呼吸さえ止まる。


(一言目が、それなのか…………)


 フレッドと目が合ったリーナは、忌々しげに舌を鳴らすと颯爽と立ち上がる。

 そして、未だに咳き込む所員たちを指さした。


「わたくしは何にも悪くないわ! あなたたちが、不良品を造ったのが悪いんでしょう!?」

「リーナ……君は……」

「最低だわ! 頼まれたって二度とこんな場所には来てやらない!!」


 言いたいことを好きなだけ言うと、リーナは立ち上がる。

 煤けたドレスを引き摺って、部屋から飛び出していくリーナの後ろ姿を見送る気力もなく……フレッドはその場にへたり込んだ。



「……はは、ははは、はは…………」



 なぜだか笑いが止まらなかった。

 視界の端で、警告するような赤い光がチカチカと光っているような気がした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る