第24話.秘書官との出会い
――しばらく忙しくなる、という内容の手紙がルキウスから届いたのは、夜会から二日後のことだった。
その手紙に添えられていたのは、可愛らしいクレマチスの花束だった。
色とりどりの花の中、特に目立っていたのは紫色の花だ。
手紙の追伸にも「君の瞳の色に似ていて」と一文が添えられていたから、きっとルキウス自身がわざわざ選んでくれたのだろう。
(たしか花言葉は、『美しい精神』……それに『高潔』だったかしら)
そんなことを思い出しながら、ミアが花瓶に活けてくれた紫色の花弁をルイゼはやさしく突いてみる。
もう一週間もルキウスに会っていない。
時間が流れるのがやたらと遅く感じるのは、そのせいなのだろうか。
(他にも『策略』とか……)
「会いに行けばいいのでは?」
そんな声がして、ルイゼはくるりと振り返った。
後ろに立っていたのはルイゼ専属の侍女であるミアだ。
洗濯かごを抱えて、何やら呆れたような顔をしているミアに……ルイゼは本心から首を傾げる。
「会いに行くって誰に?」
「誰にって、もちろんそれはルキウス・アルヴェイン殿下にですよ」
(ルキウス様に?)
「それはさすがに無理よ。だってルキウス様はお忙しいって」
「ルイゼお嬢様ったら……」
額を押えるミアに、ぱちくりとするルイゼ。
ミアは「いいですか?」と人差し指を立ててみせた。
「忙しい中わざわざお手紙を、しかも花束もつけて従者の方が届けてくださったのですよ? つまりこれは――『会いには行けないが、本当はあなたに会いたい』という殿方の気持ちを表しているのです」
「そ、そうなのかしら?」
「そうに決まっています! それにお嬢様だって、殿下にお会いしたいのでしょう?」
痛いところを突かれて、ルイゼは言葉に詰まる。
だってそれは――それはもう、否定のしようがないことだ。
(私は、ルキウス様に会いたい)
手元には、王立図書館で新たに借りた本だってあるのに。
読書をしてもいまいち集中しきれず、ルキウスが贈ってくれた花束を見ながらせっせと、
それをよく知っているミアが手を叩く。
「ではお嬢様、お出かけの支度をしましょう」
ほら早く! と急かすミアに言われるがまま、ルイゼは慌てて着替えを始める。
そんなルイゼに満足しながら、ミアは密かに拳を握る。
(ファイトですルイゼお嬢様。それに……ルキウス・アルヴェイン殿下も!)
侍女たちに追い出されるようにして屋敷を出てきたルイゼは、馬車で王宮へと辿り着いていた。
(本当に良かったのかしら……)
会いに行ったところで、迷惑がられてしまうのではないか――そんな思いもあり、少し怖くなる。
あの夜会の日。
ルイゼのことが好きだ、とルキウスは言ってくれた。
守りたいと思っている、と告げた彼のまっすぐな言葉が本当に嬉しかった。
自分が誰かに愛される日が来るなんて、思ってもみなくて……しかもその相手がルキウスだなんて、自分は何て幸せなのだろうと。
しかしルイゼは、どうしてもルキウスに応えることはできなかった。
(私は、ルキウス様に隠し事をしているもの……)
あの後、ルキウスは気まずい思いもあっただろうに、馬車の前までルイゼを見送ってくれた。
あの日以降、ルキウスには会えていない。
多忙だというのはきっと偽りではない。本当にルキウスは忙しいのだろう。
しかしルイゼは、本心ではルキウスは自分に会いたくないと思っているのではないかと考えていた。
そして、そう思うと……恐ろしいほどに、胸が痛くなる。
(……本当に勝手だわ。ルキウス様のお気持ちに、お返事もできなかったのに)
自己嫌悪に浸っている間に、馬車が停まる。
王宮の城門前で身分と用件を伝えると、数分待たされてすぐに許可が下りた。
ルキウスに拝謁を希望する貴族は多いだろうが、意外にもすんなりと通れてほっとする。
行き先は決まっている。
前に王都に出かけたときに、ルキウスの仕事については少しだけ聞いていたのだ。
(確か王宮の本殿ではなく、東宮でお仕事をされてらっしゃるはず)
東宮はルキウスの居住する宮であり、代々の王太子が継ぐ宮でもある。
十年間不在だったルキウスだが、その間も王子としての公務は休まず行っていた。彼の従者たちはいつでも東宮に控え、その間も【通信鏡】を通して連絡を取り合っていたそうだ。
東宮の警備の詰め所には、二人の兵士の姿があった。
ルイゼは緊張しつつもおずおずと話しかけた。
「ルイゼ・レコットと申します。もし可能であれば、ルキウス・アルヴェイン殿下に拝謁させていただきたく存じます」
名乗った途端だった。
兵士の顔色が変わり……何やら一気に詰め所の雰囲気ががやがやと慌ただしくなった。
(え? ど、どうして?)
何か悪いことを言ってしまったのか。しかしまだ名乗っただけだ。
ルイゼがおろおろしている間にも、「秘書官殿はまだか」「おい、早く呼んでこい!」などという激しい声が飛び交う。
「あの、拝謁が難しいようであれば――」
「い、いえ! 違うんです、むしろ逆ですので!」
(逆?)
訳が分からずルイゼは途方に暮れた。
だがそんなとき……パタパタという足音が聞こえてきたので、ルイゼは東宮へと目をやった。
詰め所に向かって駆けてきたのは、明るい茶髪をした長身の青年だ。
ネイビーブルーを基調とした品の良い制服を身に纏っている。格好からして貴族だろう、ということは分かったが……一目散にやって来る彼が、なぜ満面の笑みを浮かべているのかはルイゼには分からなかった。
そして目の前で立ち止まった彼が、その整った容貌をさらに輝かせる。
「おお! マジでルイゼ嬢――じゃなかった。初めまして、ルイゼ・レコット伯爵令嬢」
ゴホンと咳払いしながら一礼される。
それから彼はついでのように付け足した。
「私はイザック・タミニール。ルキウスの秘書官です」
(ルキウス様の秘書官!)
驚きは表に出さず、ルイゼは落ち着いた礼を返す。
「初めまして、タミニール様。ルイゼ・レコットと申します」
それから、思わず熱のある視線でイザックを見つめる。
なぜかといえば、
(自身が頭脳明晰すぎるルキウス様のことだもの。その側近を固める従者の方々も、とびきり優秀な人材ばかりに違いないわ)
すると、ルイゼと目が合ったイザックは――なぜかばつが悪そうにそっぽを向いた。
「……すまんルイゼ嬢。何かしら期待されているのを肌で感じるんだが、オレはわりとズボラでアホ寄りの秘書官だ。あんまり期待しないでくれ」
急に砕けた口調になるイザック。
きょとんとするルイゼに、イザックは「あー」とがしがしと頭を掻く。
「オレ、ずっとルイゼ嬢に会いたいと思ってたからさ……というかルキウスからアンタの話を聞きすぎて、正直初めて会った気がしないというか、もはや親しみを持ってしまうレベルというか」
「え!? ……お、畏れ多いです」
予想外の言葉にルイゼは戸惑いつつも頭を下げた。
(なんだか、ちょっと変わった人かも)
第一王子の秘書官らしからぬ態度と物言いではあるが、まったく嫌味は感じられない。
独特の雰囲気があり、茶目っ気がある。それも彼にとっての処世術の一つなのだろう。
むしろ、彼と初めて会った人間は、その多くが好感を持ってしまうだろうと思うくらいだ。
(というか……ルキウス様が、そんなに私の話を?)
別のことが気になり出してしまうルイゼ。
思わず黙り込むルイゼに、イザックはぺこぺこと頭を下げる。
「いや悪ぃ悪ぃ、警戒させちまったよな。オレいつもこういうノリだから……ていうかアレか、ルイゼ嬢はルキウスに会いに来てくれたのか」
「は、はい。そうです」
「そっかー。でもごめんな、今アイツはちょっと来客対応中で……」
そこでふと。
イザックは黙り込んだかと思えば……次の瞬間には、悪戯を思いついた子供のような顔で笑ったのだった。
「ルイゼ嬢。暇だったらオレとちょっくら喋らない?」
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