第23話.リーナへの疑惑
――リーナの仕事の成果が芳しくない、という話をフレッドが耳に挟んだのは、夜会の数日前のことだった。
「フレッド殿下、大変言いにくいことなのですが。そのぅ……リーナ・レコット伯爵令嬢の仕事の処理があまりにも
従者のひとりにそんなことを言われたとき、フレッドは本気で取り合わなかった。
「お前も噂には聞いているんじゃないか? リーナは天才なんだ。魔法学院では兄上に匹敵するほどの実力だと謳われていたんだぞ」
「それは存じています。ですが事実として――」
「ああ、もういい。僕はリーナ本人から、仕事は順調だと聞いているんだからな!」
フレッドはさっさと話題を切り上げた。
フレッド自身も公務に携わるようになり、忙しない日々が続いている。眉唾物の話に割いてやる時間など無いのだ。
だから、物言いたげにしている従者のことを、その後も無視し続けたのだった。
しかし、ルキウスの記念を祝う夜会の翌日――信じられない出来事が発生した。
「はあっ!? 兄上の秘書官に手伝いを頼んだだってっ!?」
それこそフレッドには許せない話だった。
何故自分に許可もなく、兄に借りを作るような真似をするのか。
しかし声を裏返すフレッドを、報告してきた従者のひとりが睨むように見つめる。
「そうですよ。そうでもしなければ、どうしようもない状況だったのですから」
「…………詳しく聞かせろ」
ようやくフレッドが話を聞く気になったと分かったのだろう。
従者はここ数日のリーナの仕事ぶりについて、忌憚ない事実と批評をフレッドに次々と告げたのだった。
フレッドが部屋を訪ねてみると、リーナは優雅に紅茶を飲みながらクッキーを食べていた。
「あらフレッド様。ごきげんよう」
フレッドはほっとした。今日のリーナは機嫌が良さそうだ。
というのも、リーナが文句を言うので部屋の改築工事は夜通し続き、ついに彼女の部屋は完成していたのである。
客室から広々とした豪奢な部屋に移ることができて、リーナはご満悦そうな様子だった。
昨夜はといえば――思い出すのも億劫だが、夜会から帰った後のリーナは荒れに荒れていた。
突然「ルキウス様の夜会に行きたいですわ!」などと言い出したときには、正直戸惑ったが……義理の兄に挨拶をしておきたいと言われれば、フレッドも無理には止められなかった。
招待状は送られてこなかったが、フレッドはルキウスの実の弟だし、リーナはその婚約者なのである。
さすがに門前払いはされないだろうと思ったが、実際のところはリーナが無理に衛兵を押し切ったような形になってしまった。
そしてその結果ルキウスからは手酷い扱いを受け、しかも頭からジュースを被ってしまうという淑女らしからぬ失態まで演じてしまい、リーナの怒りは壮絶だった。フレッドも宥めるのには手を焼いたのだ。
――しかも夜会の場にはルイゼが居た。
ホールの中央に、フレッドの兄であるルキウスと寄り添うようにして立っていたのだ。
(やはり兄上は、ルイゼのことを……?)
本当であればその場でルイゼを問い詰めたいところだった。
だが怒って会場を去るリーナを放置するわけにいかず――結局、話は出来ずじまいだった。
「フレッド様もお茶をどうぞ。とっても美味しいんですのよ」
「……ああ。いただこう」
フレッドはリーナと向かい合う形でソファに座った。
しばらく適当な話題を振ってから……「ところで」と何気なさを装って話を振ってみる。
「リーナ。その……任せていた書類仕事なんだが」
「ああ、あれならすでに終わらせていますわよ? ちょっとわたくしには簡単すぎましたけど」
肩を竦めるリーナに、フレッドは言葉に詰まる。
確かに、処理が終わった書類の山はフレッドの元に届けられた。それを見てフレッドは「さすがリーナだな」と感心していたのだ。
しかし――その内容こそが問題だった。
フレッドは何度か咳払いをし、ようやく本題を口にする。
「これは念のための確認なんだが。その……内容を見ずに押印をしたわけでは、ないんだよな?」
リーナの笑顔が凍りつく。
「――――どういう意味です?」
「ご、誤解しないで欲しいんだが、別に僕はリーナを疑っているわけじゃないんだ。ただ確認をしたいだけで」
バン! とテーブルを叩きリーナが立ち上がった。
その拍子に、ティーカップがガチャンと音を立て、水滴がテーブルの上に散る。
驚くフレッドに、リーナは瞳に涙を浮かべて言う。
「……ひどい――ひどいですわ、フレッド様!!」
「わ、悪かった。悪かったよリーナ!」
まさか泣き出すとは思わず、慌ててフレッドはリーナの肩を抱く。
「わたくしっ、わたくしは……フレッド様の助けになれたらと、精いっぱい頑張っただけなのに……っ!」
「違うんだ! 僕の従者たちがそういう、訳の分からないことを言い出しただけで――僕はちゃんとリーナのことを分かっている。リーナが僕の仕事を一所懸命手伝ってくれたと分かっているから!」
必死にフォローしつつ、フレッドは考えていた。
公務に携わる以上は、国民の要望に何でも応えればいいわけではない。
正確な報告なのか、漏れはないか、対応すべき課題の整理はできているか。
期日はいつまでか。割り当てる人員は、予算は――あらゆる内容を精査し、照合して、初めて回答する地点まで辿り着くことができるのだ。
本来は村や町単位で対応すべき案件が混ざっている場合もある。
そういうときは安易に承認せず、別の部署に回す必要だって出てくる。
しかし……フレッド自身も、リーナが決裁した書類を何十枚か確認して。
それが――従者の言うとおり、やたらめったらに
(でも……そんなはずはないんだ)
リーナ自身が、精いっぱいやったと言っているのだ。
婚約者である自分が信じてやらなければ、とフレッドは自分に言い聞かせる。
それに頭が良いと言っても、リーナにとっては初めての仕事だったのだ。
今後は自分が相談に乗りながら――いや、まずは自分で処理できる量だけに減らすべきだろう。
(兄に対抗意識を燃やして、無理に量を増やしたのが悪かったんだ……)
そう内省するフレッドだったのだが。
そのとき、リーナが顔を上げた。
ひっく、と涙ぐむ彼女の頭を撫でてやると、リーナは猫なで声で言った。
「……ねぇ、フレッド様?」
「なんだいリーナ」
「その嘘つき従者たちのこと、クビにしてくださいますか?」
「……えっ!?」
どうして急にそういう話になるのか。
困惑するフレッドの胸にしがみつき、さらにリーナが言う。
「だってわたくしを陥れようとした方たちですよ? そんなひどい方たちのことを、フレッド様は許すのですか?」
「そ、それは……しかし、さすがに辞めさせるわけには」
フレッドは回答を躊躇った。それも当たり前だ。
例外もあるが、フレッドの側近の多くは幼い頃から仕えている貴族子弟だ。
魔法学院で共に過ごした級友だって居る。他の人間では取り替えがきかないのだ。
彼らの助けがなければ、フレッドは王族としての務めもまともに果たせなくなる。
だが青い顔で沈黙するフレッドの服の袖を、ぎゅっとリーナが掴む。
「フレッド様は、わたくしのことがお嫌いなのですか?」
愛らしいリーナの瞳には涙の粒が浮かんでいた。
フレッドは悩み、狼狽えつつも……とうとう言ってしまった。
「わ――――、分かっ、た」
分かったよ、と掠れた声で頷く。
するとリーナはきゃあ、と歓声を上げた。
「さすがフレッド様ですわ! では、本日中には全員この王宮から出て行くように通達してくださいね」
「それはさすがに……代わりの者を手配するのにも時間が掛かるし」
「フレッド様」
「……そ、そうしよう。すぐにそうする」
リーナは飛び跳ねるようにして喜ぶと、再び席につく。
フレッドもソファに座り直した。
だが血の気が薄れているのか、身体の感覚がどうにもぎこちない。
美味しそうにマカロンを頬張って、リーナが上目遣いでフレッドを見遣る。
「それとフレッド様。お言葉ですがわたくしが得意なのは魔法ですわ! 書類仕事なんてつまらない仕事は、わたくしのように才溢れる人間には向いていませんの」
「そうか……うん、分かったよ」
フレッドはへらへらと笑う。
今さら、自分は何てことを宣言してしまったんだと恐ろしくなってくる。
だが今さら撤回はできない。
今日中に、リーナの仕事にケチをつけた人間は全員解雇せねばならない。
そのとき、ふと――フレッドの胸に、ひとつの疑念が湧いた。
――リーナ・レコットは本当に、才女なんだろうか?
(いや……何を考えているんだ、僕は)
疲れているせいかもしれない。フレッドは目頭を揉んだ。
(リーナは兄上と同じく、大学への推薦状までもらっていた才女なんだぞ……)
リーナに勧められた紅茶を飲んでみたが、舌がおかしくなっているのか何の味もしなかった。
自分が少しずつ破滅の道に向かいつつあることに、そのときのフレッドはまだ気がついていなかった。
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