第22話.秘書官は励ます

 


 夜会の翌日。

 執務室の上空にだけ、暗鬱な雲がかかっているかのように……その部屋には、澱んだ空気が満ちていた。


 というのも。


「ハァ……」

「ふぅ…………」

「……ハァア………………」


 部屋の主が仕事をしつつも、時折ペンを止めては物憂げな溜め息を何度も何度も吐いているからである。

 その様子を小一時間ほど観察して――勘の良い秘書官、イザック・タミニールはおおよその事情を察した。


 たぶん。恐らくだが。




(――――コイツ、フラれてない?)




 あのルキウスがここまで仕事に手をつかない様子を見せている以上、それ以外は考えられない。


(いやフラれるも何も、まだルイゼ嬢を好きってことを自覚してなかった気もするが)


 昨夜の夜会で彼女と何かあったのだろう。

 そういった付き合いの場を普段は嫌がるルキウスだが、昨夜だけは出かける前から支度を張り切っていたのだ。何だかいっそ微笑ましくなるくらいに。


 ちなみにイザック自身はといえば、残念ながら夜会に参加することができなかった。


 というのも、すべてはあのアホすぎる第二王子フレッドと、その婚約者のしでかした事柄のせいなのだが――用件が済んだ後に無理やり会場に顔を出してみたものの、目当てのルイゼ・レコットは帰宅した後だった。


 しかもイザックを無駄に忙しくした当の本人たちは、招かれてもいない夜会に突然現れ、場を荒らすだけ荒らして帰ったというではないか。


 それを聞いたイザックはさすがにブチ切れかけた。

 こちとらフレッド付きの従者や事務官たちに泣きつかれて、致し方なく手を貸してやったというのに。


(何でお前らはノコノコ夜会に参加して、オレは余った食事を寂しく食ってんだよ!)


 なんだよ、引き留めといてくれよと冗談交じりに文句を垂れるイザックに、ルキウスは遠い目をしていた。


『そうだな。俺も、引き留められるものならそうしたかったが』


 などと悄げたような口調で言われれば、さすがにイザックも不審に思い黙るしかなかったのだが――その翌日がである。


(何だろうなー。気持ちを自覚して勢いで告白したら、フラれたとか……? それとももう別にルイゼ嬢には恋人が居たとか――いや、話を聞く限りそんな感じではなかったような)


 むしろ少なからず、ルイゼはルキウスに好意を持っていたはずだ。

 うむむ、と頭を悩ませるイザック。


 しかしルキウスが目の前でかなり落ち込み、アンニュイになっているのは事実だ。

 これでは仕事がはかどらないし、というより何よりも――イザックにとってルキウスは、実の弟のような存在で。


(兄貴分としてはさすがに、見て見ぬ振りはできねぇな……)


 よし、励ましてやろう、とイザックは方針を決めた。


 手始めに、ルキウスの方を窺っては心配そうにしている事務官たちを執務室から追っ払うことにする。

 ルキウスだって男だ。こんな話を大多数の人間に聞かれたくはないだろう。


「オラ、出てけ出てけ。用が済んだらまたすぐ呼ぶから」


 またっすか、という顔をしながらも渋々と退室する事務官たち。

 念のため扉の鍵も閉めてから、改めてイザックはルキウスに向き直る。


 ごほんごほんと咳払いしてから。


「ルカ。一度の失恋くらいで、へこたれることはないからな」


 そう呼びかけると、数秒遅れてルキウスが顔を上げた。

 冷静沈着で鉄面皮、普段からまったく隙の無い美貌を誇るルキウスだが、今日ばかりはイザックを見るその目に疲労が色濃く滲んでいる。


 イザックはルキウスの肩をばしばし、と陽気に殴った。


「むしろ男は失恋してなんぼだ。失恋するたびに強くなると言ってもいい。良い女との出逢いに感謝しながら、また次に行けばいいんだ。立ち直るには時間が掛かるかもしれないけどな」


 そんなイザックの雑なアドバイスに、ルキウスが反応を示した。


「……おい。イザック」

「ん?」

「俺は別に失恋などしていないが」




(………………え! そうなの!?)




 推理が外れて驚くイザックに、さらにルキウスが続ける。


「告白の返答を保留にされただけだ。だから、俺はルイゼにフラれていない」


(え? ルイゼ嬢、もしかしてルキウスのことキープしてる!?)


 さらっと爆弾発言を投下され、ますます衝撃を受けるイザック。

 一国の王子をキープするなど並大抵の貴族令嬢にできることではないが。


 とかいろいろ失礼なことを考えるイザックだったが、どうやらその理由はまったく違ったらしい。


「……言えていないことがあるから、と言っていた。おそらく、家の事情のことだろうが」


(ああ、そういう……)


 ようやく、イザックにも昨晩の出来事が呑み込めつつあった。


 ルキウスに頼まれてイザックも内密にレコット家を調査していたので、大体のことは把握しているつもりだ。


 血の繋がった家族に害され、傷つきながら。

 ルイゼがどんな思いでこの十年間を過ごしていたのか。

 そしてどんな気持ちで、ルキウスの告白に応えなかったのか。


 話したこともない令嬢の心情を理解した気になるなど、甚だ失礼だろうが。



(ルキウスに負けないくらい、ルイゼ・レコットは真面目ななんだろうな)



 バカがつくほど真面目だ。それでいて強い。

 彼女が少しでも弱かったならば、再会してすぐにルキウスに家のことを相談していただろう。

 それならきっと解決してもらえる。ルキウス・アルヴェインはたやすく、彼女の最強の味方となる道を選んでいたはずだ。


(いや……違うか。自分が弱いのを認めた上で、強く在ろうとしている)


 難儀な生き方には違いない。

 そしてルイゼ・レコットのそんな有り様に、この堅物ルキウスはどうしようもなく惹かれたのだろう。


 イザックは頬を掻いた。


「何でお前がルイゼ嬢に惚れたのか……オレにもちょっと分かった気がするわ」

「……は? まさかとは思うがイザック、お前」


 そのとき、ルキウスの眼光が恐ろしいほど鋭く研ぎ澄まされた。

 もはや殺気を感じるレベルで。


 イザックの背中をゾーッと悪寒が走った。


「いやいやいや、違う!」


 イザックは全力で首を横に振った。

 主人の色恋沙汰に巻き込まれ、変な誤解をされては堪ったものではない。


「一応言っておくが、オレもルイゼ嬢のことが気になるとかそういう意味じゃないからな!」

「……ならいいが」


(まぁ、会ってみたいとは思ってるけど!)


 いま口にするとヤブヘビなので黙っておこう。


(しっかし、ルキウスがここまでアッサリと平静さを失うとは……)


 ルキウスが帰国してからというものの、驚くことばかりである。

 そういう意味でもイザックはルイゼに勝手に感謝していた。

 ルイゼが関わると、どんどんルキウスは面白くなるので。


(……あれ、そういえば)


「でもフラれてないなら、何でそこまで落ち込んでたんだよ?」


 当初の疑問を口にしてみると、そのことかというようにルキウスが小さく顎を引く。

 それから自身の両手を広げてみせると、何かの記憶を思い出すように。


「ルイゼの腕が、か細かったんだ」

「……あ? 腕?」

「腕だけじゃない。腰も、足も……折れるのではないかと不安になるほどで」

「…………」

「儚げな佇まい、というのは彼女のことを指すのだろうな。そんなルイゼを見ていて、俺はどうしようもなく自分の気持ちを自覚した」

「……そうか……」


 聞いていてちょっと恥ずかしくなってきて、イザックはすすす、と壁際に視線を移動させた。

 そんなイザックの挙動不審には気がつかず、ルキウスは苦笑している。


「少し癪だが、結局はお前の言うとおりだった。俺はずっと前からルイゼに惹かれていたということだ」

「お、おう……」


(弟分のガチの恋愛話を聞くのって、ちょっと……いやだいぶ照れるな……)


 イザックはとりあえず話題を変えようと思った。

 ルキウスの話に黙って耳を傾けていたら、こそばゆさのあまり呼吸が苦しくなりそうなので。


「ところで第二王子――というより、その婚約者殿の件なんだが」

「……ああ。どうだった?」


 昨夜、イザックが急遽応援に駆り出されたことはルキウスも知っている。

 その理由が、表沙汰にできないような用件だったということも。


 イザックは腕組みをし、キッパリと断言した。



「うん、アレは無い。正直に言ってリーナ・レコット、おつむが弱いにもほどがあるぞ」



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