第21話.バルコニーでの告白

 


 バルコニーに出たルイゼは、風に当たってふぅと息を吐いた。


 火照った身体に夜風が気持ちよい。

 初めて公式の場でダンスを踊ったこともあってか、身体は自覚しない間に熱を持っていたようだ。


(……ここからだと、王都の全貌がよく見渡せる)


 眼下には、広大な景色が広がっていた。


 魔道具の光というのは、遠目にもまばゆく見える。

 そのおかげか、高台のバルコニーから見下ろすと、小さな光の群れが集っているようで幻想的だ。


 背後で奏でられるワルツの優雅な調べを楽しみながら、目を閉じていると。



「――先ほどは本当にすまなかった」



 そんな声が聞こえて、ルイゼは「え?」と振り仰いだ。

 ルイゼのすぐ隣にやって来たルキウスは手すりにもたれかかり、嘆息する。


「あの二人は来ない、と明言しておきながら……結果的に君を苦しめてしまったな」


(そんなこと、ルキウス様が謝るようなことではないのに)


 そもそもリーナとの関係について、ルイゼからルキウスに詳しく話したことはない。

 何を話そうにも、リーナの替え玉をしていたことを話さなければならないからだ。


 しかしルイゼとリーナが不仲であることを、すでにルキウスは知っていたのだろう。

 だからルイゼの心情を慮ってくれている。


(そういえば、私……リーナが居るのに、何も怖れていなかった)


 今さら、そんなことに思い当たる。

 いつもリーナを前にすると、ルイゼは恐怖で身が竦んでいた。


 次は何をされるのか。

 何を奪われ、何を失うことになるのか。

 そんな風に怯えて、リーナのことをまともに見返すことさえできなかったのに――今日は、リーナとフレッドを見ても、心は不思議と落ち着いていた。


 理由は自分でも分かっている。


(ルキウス様が、隣に居たから)


 王都を照らすあの無数の光のように。

 それよりも強い輝きを放つルキウスは、いつもルイゼの足元をそっと照らしてくれる。


 手の届かない星の光。

 それでいて、優しく差し込む月光のような。


(ルキウス様と居ると、私の目にも……いろんなものが輝いて見える)


「いいえルキウス様。私、ちっとも苦しくはありませんでした」


 真意を問うように、ルキウスがルイゼのことを真正面から見つめる。

 その中に、何かを期待するような色を見つけた気がして――ルイゼの肩が緊張のあまり震える。


 それでも、彼に伝えたかった。

 掠れた声音でどうにか、口にする。


「あなたの傍は――呼吸が、しやすいから」


 一瞬、オーケストラの演奏が止む。

 その瞬間だった。






「俺はルイゼのことが好きだ」






 呼気が止まった。

 もしかすると世界中の時間さえも同時に止まったのかもしれない、と思った。


(いま。……いま、ルキウス様はなんて言ったの?)


 しかしそんなことはなくて。

 メインパートへと突入して、金管楽器が一層と高鳴る音が鼓膜へと響く。


 恐る恐ると、ルイゼはルキウスを見上げた。

 銀髪を風に靡かせたルキウスは、スゥ、と音を立てて呼吸を継ぐと――灰簾石タンザナイトの瞳をルイゼから逸らすことなく、続ける。


「……友人だと言っておきながら、裏切るようなことを言ってすまない。でも、今日のことでよく分かった。俺は君を――あらゆる脅威から、理不尽から、守りたいと思っている」


 真摯な言葉を紡ぐ頬は、ほんのりと上気していて。

 ルイゼを見つめる双眸はかすかに潤んでいて。

 なにかを切望するように、眉間に皺が寄っていて。


「君は、俺をどう思う? どう……思っている?」


 ルイゼの唇が戦慄わなないた。

 そんなの。……そんなのは。

 考えるまでもなく。



(――本当は最初から、気づいていた)



 ただ、気がつかない振りをしていただけだ。



(私は。私だって………………ルキウス様のことが)



 そう叫べたら、どんなに良かっただろう。

 それでも……ルイゼはどうしても、応えられなかった。


(言えない。言えるわけがない。だって私は……)


 リーナの替え玉として過ごしてきた過去を、ルキウスに知られたらと思うだけで手足が震えるのだ。

 そんな状態で、どうしてルキウスに応えることが出来るのだろう。

 こんなにまっすぐな告白を、受ける資格があるというのだろう。


 顔を伏せ、唇をきつく噛み締めるルイゼに――やがて、ルキウスは凪のような声で言った。


「すぐには応えなくていい」


 ルイゼは、涙の気配を静めてからどうにか顔を上げた。

 ルキウスは微笑んでいた。彼の瞳に、ルイゼを責める色はなにひとつ浮かんではいない。


「だから、もう少し足掻いてもいいか?」

「……ルキウス様」


 その名前を口にした途端、ルキウスがゆっくりと近づいてくる。

 ルイゼは手を伸ばさなかった。彼がどうするのか気づいた上で、ただ逃げなかったのだ。


 ルイゼの卑怯さを理解したはずなのに、それでもルキウスはルイゼのことを抱きしめた。

 温かな体温が全身を包み込む。



「――君が嫌といっても、聞いてやれないかもしれないが」



(それなら私は……一生、いやだと言えないかもしれません)


 激しく脈打つ心臓の音を聞きながら、ルイゼはそっと目を閉じた。


 ホールからは、しとやかなバラードの旋律が漏れ聞こえてくる。

 ほんの数秒の間だけ抱き合って、ルイゼから離れると……ルキウスは眉を下げて微笑んだ。


「もう一曲、踊ろうか」

「……ここで、ですか?」

「ここでだからこそ、だ」


 ルイゼは了承し、ふたりきりのバルコニーでダンスが始まった。


 しばらく、会話はなかった。

 何かを言おうと何度もルイゼは思ったが、そのすべてが嘘になるような気がしてなかなか口が開けない。


 言えたのはたった一言だけだ。


「……私、まだルキウス様に言えていないことがあります」

「俺にも、あるよ」


 その返事が真実かは分からない。


 それでもルイゼの心を慰めようとする優しさが、堪らなく愛おしくて。

 同時に涙が出るほど苦しくて、繋いだ腕にはますます力が籠もった。



(相応しくないと分かっているのに、それでも――傍にいたいだなんて)



 自分はなんて、浅ましいのだろう。

 なんてワガママなんだろう。そう心の中で自嘲する。



 どこか物悲しいバラードと共に、夜会の夜は更けていった。



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