第17話.ルイゼの実力1

 


 ルイゼは夜会の入場口前にひとり立っていた。


 今夜の会が執り行われる王宮の中ホール前だ。

 ルイゼ自身、数えるほどだがフレッドのパートナーとして、このホールで開かれる晩餐会や舞踏会に参加した経験がある。


 そのどれもが、良い思い出とは言いがたいものだが……。


(あまり緊張しないで済んでいるのは、その経験のおかげかも)


 今夜のルイゼの装いは白のヴィンテージドレスだ。

 コバルトブルーの腰紐は、幾重にもフリルが重なったドレスの長い裾を上品に彩っている。

 真珠を編み込んだ鳶色とびいろの髪の毛は頭の上でまとめ、前髪と後れ毛をコテで巻いている。


 ミアたちは、並々ならぬ気合いと時間をかけてルイゼの支度に臨んでいた。

 そんな風に、心配しながらも送り出してくれたミアたちや使用人たちの姿が頭の中に浮かぶ。


 すぅ、とルイゼは息を吸い、吐く。


(それに、ルキウス様が――この先で、待っていてくれるから)


 だから背を向けたくはない。

 ルイゼは一歩ずつを、白銀のピンヒールで踏みしめるようにして進んでいく。


 そして、階段を上りきった先で。

 見間違えようもない人が、ルイゼの名を呼んだ。



「ルイゼ」



(………………ああ、ようやく逢えた)



 ルキウスの顔を見た途端に、力が一気に抜けて筋肉のこわばりが解ける。

 自分でも思っていた以上に、肩に無駄な力が入っていたようだ。


「ルキウス様」


 ルキウスは小さく微笑んで手を振ってくれた。

 パーティーの主賓ともあろう方が、わざわざ入場口の外で待ってくれていたらしい。

 申し訳なさと同時に、心強さが胸に光を灯す。


「ありがとうございます、まだ夜は少し冷えるのに」

「本当は家まで迎えに行くつもりだったんだが。……まぁ、折衷案だ」


(折衷案?)


 小首を傾げるルイゼに、ふっ、と柔らかくルキウスが微笑む。


「ルイゼは毎日可愛いが、今日は一段ときれいだ」

「!!」


 不意打ちを食らい、思わず赤面するルイゼ。

 そんなルイゼの様を見つめて、ますます嬉しげにルキウスが表情を緩ませていて。


(こ、この前の魔道具店巡りのときから。……ルキウス様に遊ばれている気がする!)


 ルイゼは化粧を崩さない程度に、熱い頬を抑えつつルキウスをじっと見上げる。


「ん? 何だ?」


 夜会用の漆黒のタキシードを着こなしたルキウスは、それはもうとびきりの格好良さだ。

 反則級と言って良いと思う。そのせいで先ほどから、ルイゼの動悸もひどいのだ。


 というわけで、そんなルキウスをじっと、じーっと穴が開くほど見つめ……ルイゼは言い放った。


(仕返し――ではなく、本心ですので!)



「ルキウス様も毎日格好良いですが、今日は一段とお美しいです」



 ……ほんの一瞬、ルキウスはポカンと間の抜けた顔をする。


「……それは褒めているのか?」

「心の底から」

「なら褒め言葉として受け取っておこう。君がくれるものなら何でも歓迎するが」


 ルイゼは愕然とした。


(……今日のルキウス様は、いつも以上に私に甘いかも……!)


 というか、嫌味――にはまったく達していないルイゼの言葉に、むしろ嬉しそうな表情をしているような。


 それでは行こうかと囁くルキウスと、ルイゼはほんのりと顔を赤くしたままそっと腕を組むのだった。




 シャンデリアに照らされる中ホールの中には、すでに招待客のほとんどが集まっていた。


 格式張った会ではないとルキウス自身が言っていたので、夜会自体はもう開始されているようだ。

 壁際のビュッフェテーブルには美しく盛りつけられた料理の数々が並び、煌びやかな格好の男女が語り合っている。


(ルキウス様は、小規模な会だと仰っていたけれど……)


 むしろルイゼが今まで参加してきたパーティーの中でも、一、二を争うほどに人出が多い気がする。

 しかしそれは、ルイゼ自身が予想していたことでもある。

 おそらくこれでも、ルキウスは限界まで人数を絞ったのだろうということも。



 ――現在のアルヴェイン王国には、第一王子派、第二王子派と呼ばれるような明確な派閥は存在していない。



 というのも、第一王子派の貴族や諸侯が多いためだ。

 つまり、ルキウス派の勢力以外に、派閥と呼べるほどの規模の集まりがないのである。


 その常人離れした美貌もさることながら、何より大きいのは、彼が開発した魔道具が世界中で使われ、文化の発展に寄与しているということだろう。


 特にルキウスが十五歳の若さにして開発した【通信鏡つうしんきょう】は、文字通りと呼ばれている。


 本来は関わることもないような遠く隔たれた国同士が交流し、その王族同士が婚姻を結んだり。

 二度と会えないはずだった家族が再会し、涙と笑顔を浮かべて数十年ぶりの会話を楽しんだり。

 ルキウスの発明は、数々の奇跡の一助となったのだ。


 国内では十年間も国に不在であったにも関わらず、ルキウスを支持する声は止まない。

 周辺諸国では、もはやそれ以上にルキウスの人気は高く……この現状で、ルキウス以外の人間を王位に就かせるメリットは明らかに薄い。

 ルキウスを蹴落として他の人間を支持するには、彼の味方が多すぎるのだ。


(フレッド殿下は、自分が王位を継ぐのもやぶさかではない――というようなことを、何度か漏らしてはいたけれど)


 いま、こうして招待客を見回すだけでも理解する。

 実際にフレッドが玉座に就く可能性は、ルキウスが健在な限りは万に一つもあり得ないだろう、と。


「ルイゼ?」


 ルキウスが、動かないルイゼを不審に思ってか声を掛けてくる。

 はっとしたルイゼは、慌てて言いつくろった。


「いえ、その……若い女性の方が多いですね?」


 世間話のつもりでとっさに出た言葉だったが、ルキウスはそれを聞いて一気に渋い顔つきになってしまった。


「パートナーには夫人を選ぶよう招待状に記載すれば良かったな」


(ああ……)


 今さら、その理由にはっきりと思い至るルイゼ。


 ルキウスは若々しい外見だが、二十六歳の青年だ。

 この年齢で婚約者や特定の相手の居ない王族というのは、無いとは言い切れないがかなり珍しい部類に入る。


 ルイゼと同世代、もしくはそれよりも若い年代の少女が何人もこちらを熱い眼差しで見ているのは、どう考えても――王族であるルキウスに見初められる、そのためだ。

 今日の夜会は立食会とダンスパーティーを兼ねてもいるから、彼のダンスの相手を射止めるために水面下での戦いが繰り広げられているらしい。


 先ほどからルキウスは、彼女たちが目に入らないかのように旧知の仲らしい男性たちとばかり挨拶を交わしているが。


(……みんな、キラキラしていて綺麗)


 外見を美しく着飾り、愛らしく頬を染めた少女たち。

 しかし、彼女たちの父親や、あるいは祖父である紳士たちの姿を目にすると、ルイゼはどうしても考えてしまうことがある。


 うらやましさと、寂しさが去来するのだ。


(私は、結局一度もお父様にエスコートいただいたことは無かった)


 母が生きていた頃、父はとても優しい人だったと思う。



『大丈夫だよ、ルイゼ。ルイゼのことはパパがいつだってエスコートしてあげるから』



 社交性に乏しいルイゼがいずれ来たるべきパーティーへの参加を嫌がると、必ずそんな風に言って微笑んでくれた。

 だが、それが叶ったことはついぞ無かった。今となっては遠すぎる思い出だ。



「――ルキウス殿下。そちらのご令嬢は……」



 その一言に冷や水をかけられたように、ルイゼの意識が現実に戻る。


(……駄目だわ。また、考え事を)


 恰幅がいい中年男性が、ルキウスとルイゼを交互に見ている。

 その後ろには、その男性の娘だろう、華やかな装いの茶髪の女性が微笑んで立っていた。


 それだけではない。彼の横、後ろ、否、あらゆる方向から――何百人もの人々が、ルイゼのことを見つめている。

 ルイゼを守るように傍らに立ち、ルキウスが冷静に言い放つ。



「ああ、紹介しよう。彼女は俺の友人であるルイゼ・レコット伯爵令嬢だ」



 周囲に、声量が抑えられた――それでも、小さなどよめきが広がっていく。


 それは決して歓迎的なものではない。

 異物を見る目、好奇の眼差し、ヒソヒソと囁く声……。

 慣れていたはずのそれらが、今のルイゼには辛く感じられる。


 どうしてだろう、と考えて、すぐにその原因に気がついた。


(最近の私は――とても、幸せだったから)


 十年ぶりに、憧れの人であるルキウスと再会して。

 彼と出かけ、彼と語らい、彼と多くの時間を過ごしたから。


(でも、だからこそ……何でだろう。身体の底から、力が湧いてくるみたい)


 だって、そんなルキウスが友人だと公の場で紹介してくれたのだ。

 これ以上に光栄なことなど、きっとこの世の中には無いだろうとさえ思える。


(……さぁ。ゆっくり呼吸をして、落ち着いて)


 ルイゼは一呼吸を置くと、スッと前に歩み出て――スカートの裾を引き、美しく礼をした。



「こんばんは、皆様。ルイゼ・レコットと申します、以後お見知りおきを」



(……うん、大丈夫!)


 我ながら完璧だ。

 安堵しながら姿勢を戻すと――なぜかルイゼの目の前に、ひとりの少女が進み出てきていた。

 目を丸くするルイゼ。誰かと思えば、それは先ほど中年男性の後ろに立っていた茶髪の女性だ。


 年の頃はルイゼより上……二十歳くらいだろうか。

 彼女はにっこりと笑うと、大きく口を開けて叫ぶように、ルイゼに向かって言い放つ。



「『――、……――――っ! ――――?』」



 ルキウスの眉がぴくりと跳ね上がる。

 彼にはすぐに分かった。それはアルヴェイン王国から南にあるエ・ラグナ公国――そこに住む少数民族が用いる公用語ジャライア語だった。


 無論、今日の夜会にジャラ民族と縁のある人間は招いてはいない。

 明らかにルイゼに対する嫌がらせだ。その証拠に、無礼な言葉を吐いた少女はニヤリ、と笑ってみせていたからだ。


 そしてきょとんとするルイゼの顔を見て、興味深そうに、あるいは突如として始まった見世物を面白そうに眺める貴族たち。


 実際の所、ルイゼは知りようのないことだったが、社交界ではルキウスとルイゼの関係は噂の的となっていた。

 帰国したルキウスが時間を作っては会いに行く令嬢が居るのだから、それが噂になるのは自明の理ではある。


 そしてその相手が、第二王子に婚約破棄されたばかりの伯爵令嬢となれば――嫉妬とやっかみの対象、それにゴシップのネタにされるのは、当然のことではあった。


 沈黙するルイゼを見て、中年男性が笑いを押し殺しながらも心配そうな口調で問う。


「おや、どうされましたかルイゼ・レコット伯爵令嬢。娘の挨拶を無視するなんて……ああ、もしかしてですが、娘の言葉の意味が理解できなかったとか……?」

「……おい」


 苛立ちを見せたルキウスが、ふたりの間に割り込もうとする。

 しかしそれよりも先に、ルイゼは口を開いた。


 流暢な発音で、こう返したのである。




「『ええ、そうですね。仰るとおり、私は第二王子に婚約を破棄されたルイゼ・レコットですよ』」




 無能令嬢と蔑まれた令嬢の本当の能力が、人々の前で露わになりつつあった。



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