第16話.秘書官は笑う
ルキウスとルイゼがふたりで王都に出かけた、その翌日のこと。
「…………とても楽しかった。有意義な時間だった」
執務室には――昨日の感想を断片的に呟き続けるルキウスの姿があった。
専属秘書官イザックの本日の仕事は、そんなルキウスに「そうか」「良かったなー」「なるほど」「ほほう」と相づちを返してやることである。本人が聞いているかどうかは分からなかったが。
周りの事務官たちは、最初は何やら恐ろしいものを見るような目つきで遠巻きにルキウスを眺めていたが……朝からこの調子なのでさすがに慣れてきたらしく、だんだんと仕事の効率も良くなってきた。
五回目くらいの「それは最高だったなー」を口にしつつ、イザックはルキウスの顔をしげしげと見つめる。
(こんなに『満たされた』って顔をしたルキウス、初めて見たな……)
ていうか、やたらポヤンとしてる。周囲を漂う幸せのオーラは可視化できるほどだ。
とてもじゃないが、今のルキウスは「氷のよう」だとか揶揄される男には見えない。
(例えるなら、「ピンク色の綿雲」みたいな……いやコレ分かりにくいか?)
それならば仕事の速度もさぞ落ちるのだろうと思いきや、いつも以上にペンを動かす手は素早く、書類を裁く手はしなりすぎて目にも止まらないほどだ。
どうやらルキウス・アルヴェインという男、幸福であればあるほどに仕事もはかどるタイプらしい。才能マンすぎる。
「そういえばルイゼ嬢に夜会の招待状は渡せたんですか?」
「無論だ」
思い出したようにイザックが問うてみれば、ルキウスがキリッとした顔で首肯する。
「ルイゼにとってはひどい目に遭わされた舞台でもあるからな……当日は彼女の傍を一時も離れずに俺が付き添うつもりだ」
(保護者か!)
「まぁそれならルイゼ嬢も安心でしょうけどね」
「帰りも屋敷まで送ろうと思う。というより行きも迎えに行きたい」
(過保護か!)
「さすがにパーティーの主賓なんだから、そこらへんは自重してくださいよ?」
「……ふん。分かっている」
(子どもかー!)
本当に、ルイゼ・レコットの話題となるとルキウスの表情は面白いくらいに変化する。
そのことを、この数日間でイザックは実感していた。
「しっかし、第二王子とその婚約者は招待しないとは。裏でイロイロ言われちまうんじゃないですか?」
「構わない。取るに足らない弟だ」
(ルイゼ嬢以外だと、肉親にも無関心なのは相変わらずだけどな)
ルキウスとフレッドは外見こそあまり似ていないものの、正真正銘、実の兄弟だ。
銀髪碧眼のルキウスは王妃に、金髪碧眼のフレッドは国王によく似ている。四人で並べば、血の繋がった家族だというのは明らかだ。
だが年の離れた弟であるフレッドと、ルキウスはほとんど交流したことがない。
ルキウスが十六歳、フレッドが六歳の頃に本人が留学に旅立ったこともあり、兄弟としての認識に乏しいのだろう。
ルキウスはフレッドに対して無関心だし、フレッドの方は、出来の良すぎる兄に対して勝手に敵愾心を燃やし続けている。
その結果、最近になって公職を得て公務にも取り組んでいるそうだが……あまり良い噂は聞かない。
(ルキウスが相手だと勝負の土俵にも立てない、っていうのはかわいそうではあるが)
これ以上フレッドの話をしても身も蓋もない結果になりそうなので、イザックは一旦咳払いをして場を仕切り直した。
フレッドのことよりも、今日は改まって報告すべき事柄がある。
事務官たちには一時的に部屋を退出してもらってから、イザックは改めてルキウスに告げた。
「それでレコット家に関する調査の報告なんですが」
ルキウスに負けず劣らず多忙の身であるイザックだが、与えられた数日間で調査は終えていた。
情報の精度についても出来うる限り高めてはいるが……噂の域を出ない話なども加味しているので、どうしてもその点には限界がある。
(そこは、ルキウスも承知の上だろうが)
「分かった。聞こう」
そして、イザックの報告を黙って受けたルキウスは――その最後に、口を開いた。
「そうか」
それを聞いたイザックは拍子抜けする。
「『そうか』って……それだけか?」
「大体の所は予想通りではあったからな」
淡々と返してくるルキウス。
至って冷静な様子は冷たささえ感じるほどだ。
しかし付き合いの長いイザックには、明敏に感じ取れた。
(――――――これ、間違いなくキレてるな)
ルキウス・アルヴェインは――怒っている。
表情自体が静かだからこそ、一見すると落ち着いているように誤解するのだが。
美しい碧眼のその奥には、憤怒の炎が静かに燃えている。
誰彼構わず焼き尽くさないと気が済まないほどの激情が、そこに燻っている。
怒りの矛先が向いているのは、リーナ・レコットか、その父親か。
……あるいはルイゼ・レコット張本人なのか。
それとも――ルキウス自身なのか。
(……コイツの場合、ラストかな)
これで無駄に自嘲に走らないのはルキウスの長所ではある。
だが、兄貴分として心配なのも事実だ。
ルキウスの能力を心配しているわけでも、見誤っているわけでもない。
その
(「頼りにしろ!」なんて言っても、大人しく言うこと聞くタマでも無いしなぁ)
「しかし、ルイゼがそのような一方的な契約に従った理由が分からない」
ルキウスが不可解そうに呟いたので、イザックは「あー……」と頭を掻いて付け加える。
「それについては……直接的に関係あるかどうかまでは掴めなかったんだが、十年前にレコット家をひとりの侍女が辞めてるんだよな」
「侍女?」
机に肘をつき、手を口元に当てるルキウス。
考え込むときのルキウスの癖が出たので、しばらく部屋を出ていようと思ったイザックだったが……そこで悪戯心が芽生えた。
というのもいつも通りの面白みの無い無表情になってしまったルキウスの、珍しい顔を見たくなっただけかもしれないが。
「そういえば昨日の話だけどさ、ルイゼ嬢とイチャイチャは出来たのか?」
「お前は馬鹿なのか?」
真顔で訊かれ、イザックは「なんだと!」と口を尖らせる。
「オレはこう見えてそれなりに頭が良いお兄さんだぞ」
「それは知っている。……イチャイチャかどうかは知らんが、昼食の食べさせ合いっこをしたな」
「へぇー。昼食の食べさせ合いっこか」
また考えるポーズに戻るルキウス。
やっぱり邪魔になるかと執務室を出ようとしたイザックだったが、何か聞き捨てならない言葉が耳に届いたような気がしてもう一度立ち止まる。
(あれ、今コイツなんて言った? …………食べさせ、合いっこ?)
あまりにルキウスに似つかわしくない響きだったので、無意識に脳が理解を拒否っていたようだ。
退室しかけていたイザックは勢いよく引き返した。
「えっと……待ってくれ。それはつまりどういうことだ?」
「言葉の意味そのままだが。ルイゼが俺の食べているワッフルドッグを欲しがったので、一口あげたんだ」
「……おう。それで?」
「そうしたらルイゼが「あーん」と言いながらアランチーナを差し出してきた。俺はそれを食べた。……美味しかった」
そこまでを聞き。
一拍おいて。
――――イザック・タミニールは、腹を抱えて大爆笑してしまった。
「……おいイザック。何を笑っている」
「ブッ、フフフ……?! いやそりゃ笑うだろ。これで笑わなきゃ秘書官失格だろ!?」
「意味がわからん」
「うくくくっくく……」
(やっべぇ、笑いすぎて涙まで出てきた)
濡れた目元を雑に拭いながら、イザックは思う。
(オレに分かるのは、明らかにルイゼ嬢はルキウスの食い物を欲しがってないってこと)
絶対に違う。それだけは断言できる。
別にイザック本人はルイゼと面識があるわけではないが、ルキウスにワッフルドッグを差し出されたときのルイゼ嬢の衝撃と混乱と羞恥の表情が脳裏に浮かぶかのようだ。
(それと、きっとその仕返しでルイゼ嬢が「あーん」攻撃を仕掛けたってことだな。そして見事にルキウスに躱された、と……)
わりと他人に対して潔癖のきらいのあるルキウスが、そこまでの距離を許しているという時点で尋常ではないのだが。
(そもそも、あのルキウスに「あーん」させて、「あーん」したって時点で……)
――あまりにも大物すぎやしないか、ルイゼ・レコット。
「なんかオレ、ちょっと感動しちゃったかも……ルイゼ嬢、さすがルキウスが惚れるだけあるな。大したもんだわ」
「確かにルイゼは大した令嬢だが、また何かあらぬ勘違いをしてないか?」
「してないしてない。全然してないって」
(うわーっ、やっぱり早く会ってみてぇなあ、ルイゼ・レコット伯爵令嬢!)
イザックの希望が叶うのは、まだちょっぴり先のことだったりする。
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