第15話.怒れるリーナ
「何なのよ、これはいったいッッ!」
リーナは怒り狂っていた。
目の前のテーブルに積み上げられた書類を、信じられない思いで見つめる。
先刻のことだった。
リーナの部屋にフレッドの使いだとかいう男たちがやって来たのだ。
そして彼らはリーナがティータイムに使っているレースのテーブルクロスを敷いたテーブルの上に、無作法にも大量の書類を積み上げ出した。
リーナはあまりの光景に、ショックで気を失いそうになっていた。
「ああ、無事に運び込まれたな」
そこにやって来るフレッド。
ルイゼとの婚約破棄の件を国王と王妃に散々
リーナは思わずそんなフレッドに詰め寄った。
「フレッド様っ! 何なんですの、これはいったいっ!」
「何って……先週話しただろう? 僕も公務の一部を任されることになったから、リーナには婚約者としてその手伝いをしてもらいたいんだ」
「は? 公務?」
唖然とするリーナに、フレッドは首を傾げる。
「だから、説明したじゃないか。僕も兄上に負けるわけにいかないからと」
「ああ……」
そういえば、そんな話もしていたかもしれないと思い出すリーナ。
先週、ルイゼを目当てに第一王子のルキウスが帰国したとかいうガセネタを掴まされたフレッドは、リーナの部屋までやって来て文句を言ってきたのだ。
そのときリーナは、ルキウスなど相手ではない、王位はフレッドの物だ、なんて適当なことを言ってフレッドを調子に乗せた。
単純なフレッドは、そんなリーナの言葉を真に受けて――今までは成人していなかったからと免除されてきた王族としての公務を、本格的に始めることにしたらしいのだ。
「でも、どうしてその仕事がわたくしに回ってくるんですの?」
「それはもちろん、リーナが僕の婚約者だからさ」
怒りを抑えて訊いているというのに、なぜか照れくさそうに鼻の下をこするフレッド。
「兄上の処理する仕事の量には、苛立つことにまだ及ばないんだがな……僕も簡単なものを中心に、それなりの量を受け持つことにした。リーナに任せたいのはその内の三割の決裁だ」
「三割……」
「リーナにとってはこんなの簡単すぎるだろうが、よろしくな」
フレッドの一言に、リーナはぎくりと身体を強張らせた。
(簡単って……さっき一枚だけチラッと読んでも、よく意味が分からなかったけど)
しかしリーナ・レコットといえば、"才女"と呼ばれる華々しい貴族令嬢として知られている。
ここで自分には出来ないなどと言って投げ出せば、フレッドや周囲の人間からどんな目を向けられるものか分からなかった。
リーナはぎこちなく頬笑んだ。
「……ええ。わたくしの能力ならば、造作なく片づけられますわ」
フレッドはぱぁっと顔を輝かせる。
「さすがだな、リーナ! やっぱりお前はルイゼなんかとは格が違う」
「ええ、もちろんですわ」
「今後はこんな少ない量じゃ物足りないだろうから、どんどん数も増やしていくことにしよう」
「……そう……ですわね……」
リーナの返事に何度も頷き、フレッドは上機嫌で部屋を出て行く。
残されたリーナは、どうしようもない気持ちで書類の山を見遣り――致し方なく、溜め息を吐きながら椅子に着いた。
とりあえず目についた一枚を山の上から取って、目を通してみる。
「……なにこれ」
だが、まったく意味が分からない。
(豚が三十頭、行方不明? 調査の結果、盗賊の仕業と見られる……ってバカみたい。だから何なのよ。家畜なんてまた増やせばいいだけじゃない)
(流木? 漂流物の被害? アシヤ村の塀が一部破損? ハァ? 知らないわよ。どっかの田舎村の塀なんか壊れたってどうでもいいでしょ!)
(これは………………何? なんて書いてあるの? この単語も、読めない……)
リーナはすっかり呆れかえってしまった。
これを報告したり、作成した人間たちは頭が悪いのだろうか?
いずれ王族になるリーナは、華々しい生活が約束された天上人なのだ。
そんなリーナにこんな下らない文章を読ませるなんて、恥ずかしくないのだろうか。
そして改めて……こんな内容の書類が百も二百も目の前に積まれていると考えると、リーナは吐き気を催してしまった。
(……ルイゼを呼ぼうかしら)
思わず、あの冴えない姉のことを脳裏に思い浮かべる。
ルイゼは暇人で、いつも時間さえあれば本を読んでいるような変わり者だ。
あの女ならば、こんな訳の分からない書類の山でも喜んで取りかかるのではないだろうか。
しかし、レコット家の屋敷のある方向に視線を飛ばすリーナに、侍女のひとりが声を掛けてくる。
「……リーナ様、どうなさいましたか?」
そうだった。
学院に通っていた頃とは違い、今は周りの目があるのだ。
部屋を得てから、もともと王宮で勤めているという侍女は六人、リーナの傍仕えとなっていた。
それに部屋の前には警備の兵も立っている。
これでは、大した理由もなく外に出るのは難しいだろう。
「なっ――なんでもないわよ、別に」
(まったく――つくづく使えない姉だわ!)
リーナは胸中でルイゼに毒づく。
それから目の前の用紙に、上から下まで目を通し……何となく、壁際に立つ侍女のひとりに声を掛ける。
「……ねぇ。これ、とにかく印を押せばいいのよね?」
「私には分かりかねますが……フレッド殿下に任された通りの仕事を果たされるのが良いかと存じます」
(アンタレベルじゃ分からないってハッキリ言いなさいよ、役立たず)
澄ました回答に苛立ちが増す。
リーナはフレッドの使いが用意した決裁印を、とりあえず右手で持ち上げた。
「…………」
そして自分に近い書類から、内容には目を通さず次々と印を押していく。
理由は一つだ。
(こんなもの、誰もまともに書いちゃいないもの。高貴なわたくしが決裁さえしてやれば、下々の者が動けるってことよね?)
リーナは頭が良いのでピンと来たのだ。
盗賊やら流木やらに悩まされる哀れな庶民たちが救いの手を求めてくるのには、とにかく、はいはいと頷いてやればいい。
あとは、また下の者がどうにかして対応するだけだろう。そうなったらもうリーナは関係ない。
(なーんだ。それなら簡単じゃないの!)
一枚ずつ処理するのが面倒になり、リーナは椅子から立ち上がった。
書類の束を二つほどに分けると、上の書類から次から次へと押印する。
ついでに、処理を終えた書類を次々と床に落としてやった。
派手な赤色の絨毯の上に、白い用紙が散らばっていく。
侍女の何人かが唖然と「リーナ様っ?」と上ずった悲鳴を上げた。
「ほら、さっさと拾ってよ! 処理が終わったやつからフレッド様のところに持っていって!」
苛つきと共に、ドン! と音を立て押印しながら、リーナは片っ端から書類を床にぶちまけていった。
侍女たちが慌てて、書類を拾い上げていく。その不様な様子をケラケラ笑ってやりながら、リーナは思う。
(ルキウス・アルヴェインもこんな仕事をやって偉ぶっているっていうから、たかが知れてるわね)
"稀代の天才"だとか呼ばれているらしいが、こんなもの、リーナの手にかかれば数分で終わるだろう。
ふと――リーナは思いついて、手前に這いつくばって紙を拾っていた侍女に声を掛けた。
「……ねえ」
「は、はい!」
「わたくし、最近あまり外出もしてなくてストレスが溜まっているの。近々、王宮で開かれる夜会でもないかしら?」
「夜会……でしたら、ルキウス・アルヴェイン殿下の帰国を記念した夜会が開かれるとは、伺っております」
「へぇ……」
(……ふぅん、やっぱりね)
リーナは静かに目を光らせる。
そんなリーナに、侍女は遠慮がちに言う。
「ただ、招待状が必要な小規模な夜会だそうですので……」
「何言ってるの? フレッド様はルキウス様の実の弟なんでしょう?」
「い、いえ……畏れながら、おふたりはあまり仲がよろしくないので……」
(まぁ、そうでしょうねぇ)
フレッドはあれだけルキウスを敵視しているのだ。リーナとて、ふたりが仲良し兄弟だなどとは思っていない。
だが、だからこそ――面白いのではないか。
暇つぶし程度に十年ぶりに帰国したとかいう第一王子の冴えない顔を見て、フレッドと優越感に浸るのも悪くない。
悪魔の微笑みを浮かべて、リーナは言ってのける。
「――何を言ってるの? 実の弟とその婚約者がお兄様に会いに行くのに、招待状なんて必要ないでしょう?」
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