第13話.あなたと王都で2

 


 広い店内中を回っていたら、すっかり昼近い時刻になっていた。


 前回の禁書庫での反省から――今回は一旦、魔道具店巡りを切り上げて早めの昼食を取ることにする。

 しかし公休日だからかどの店も混んでいて……ルキウスの提案で、来た道を少し引き返して屋台で買い食いをすることにした。


 日射しが暑くなってきたので、ちょうど空いていた木陰のテーブル席に座る。

 広場の外周に沿うようにして屋台が並んでいるが、この距離でも風に乗って香ばしい香りが漂ってきた。


(さっきまで平気だったのに、この場所に居るだけでお腹が空いてくるかも)


「ルカ様は、こういった場所でお食事をしたことはありますか?」

「イスクァイでならそれなりにあるな。大学の周りは学生街だから」

「学生街……確か学生向けのお店や施設だけでひとつの街が出来ているんですよね」


 大学では身分が重視されないため、買い食いと言った庶民じみた行為も王族であるルキウスに許されたのだろう。


 それから三十秒ほど、無言できょろきょろと周囲を見回してから……


「俺はワッフルドッグと、牛肉のシュハスコにしよう」

「私は鶏肉のシュハスコとアランチーナを」


 ……よし、とふたりは頷き合った。


「一緒に買いに行こうか」

「はい!」




 シュハスコの列にルキウスと一緒に並びながら、ルイゼはうきうきとしていた。


(自分で屋台の食事を買うなんて、初めてだわ)


 以前は何度か、ミアたちと共に王都に来て買い食いをしたこともあったが、普段は誰かがお使いしてくれるのをルイゼは座って待っているだけだった。

 それが、今は自分も屋台に並んで煙や匂いをずっと近くで感じている。それだけのことが嬉しくて仕方が無い。


 数分の間に、お目当ての料理がテーブルの上に勢揃いする。

 ノンアルコールカクテルの色鮮やかなシャーリー・テンプルは、ルイゼのためにルキウスが買ってきてくれたものだ。


 乾杯のグラスを合わせれば、待ちに待った昼食が始まった。


 渇いた喉を冷たいカクテルで癒すルイゼの対面で、クラフトジンを一口含んだルキウスがさっそくシュハスコに手を伸ばしている。

 そして何の躊躇いもなく、大きな口を開けてかぶりついた。


「!」


 目を見開くルイゼの目の前で、焦げ目がついたシュハスコをモグモグと頬張るルキウス。

 周囲を見回してみると、周りではルキウスと同じように多くの人々が笑顔で、楽しそうに口を開けて食事をしている。


 それを見てルイゼもおずおずと、油が滴る串焼きを手に取った。

 ゴクン……と唾を呑み込み、考える。


(普段だったら、人前でこんなこと出来ないけれど……)


 貴族である以上、食事とは静かに、優雅に楽しむのがマナーであるとされる。

 肉は小さく切り分けて含むし、咀嚼の間は口を閉じ、食物が喉を流れるのを待つ。


 でも――自分もルキウスのように。


 最初はおずおずと、肉の端っこを口に入れてみる。

 すると、



(――美味しい!)



 それはもう――飛び上がりそうになるくらいに美味しかった。

 ルイゼは夢中になってシュハスコをほっぺに含む。

 大量に振りかけられた荒塩と胡椒がよく効いていて、味つけはかなり濃いがクセになる。


 常日頃、家でひとりで食べる豪奢な料理よりもずっと味わい深く感じるほどに。


(うう、もっと買ってくればよかったかも)


 気がつけばほんの数分で一本を食べ終わってしまったルイゼは、次に紙の包みに入れられたアランチーナへと手を伸ばした。


 アランチーナはライスコロッケとも呼ばれる料理だ。

 お団子のように小さく丸まったアランチーナは、包みの中に六つも入っている。

 ワクワクしながら、その内のひとつをつまんでみた。


(こっちも美味しい……!)


 揚げたてなので、口に入れてもホクホクで湯気が出そうだ。


(モッツァレラチーズがとろっと口の中で蕩けるみたい……熱いけど堪らないわ)


 ふたつ目のアランチーナには、チーズではなくミートソースがたっぷり詰まっていた。

 具材に工夫があるので、これなら何個食べても飽きが来なさそうだ。


「楽しいな」


 そのときふと、独り言のようにルキウスが呟く。


 それを聞いて――ルイゼの胸に、ひとつの思いが去来した。



(……もしも私が大学に行けていたら、こんな風にルキウス殿下とごはんを食べたりしたのかな)



 それだけじゃない。

 一緒に大学に通って、授業を受けて、研究に明け暮れたり。

 ときには意見を衝突させながら、魔道具開発に心血を注いだり。

 論文に苦しみながらも、乗り切った暁には研究室の仲間を連れて飲みに行くような。


(そんな毎日が、もしも、もしも――あったのなら)


 ルイゼは眉を下げて、小さく微笑む。

 今となっては手が届かない妄想だと分かっていても。


 それはなんて、素敵な光景だろう。どんなにか幸せなことだろう……。


「……ルイゼ、どうした」


 ルキウスに話しかけられ、ルイゼははっとした。

 知らない内に、ずっとルキウスを見つめてしまっていたらしい。


「すみません。ちょっと考え事をしていて……」


 慌てて謝るルイゼだったが、ワッフルドッグを食べていたルキウスは訳知り顔で頷いた。


「そういうことか、分かった。これが食べたいんだな?」

「え?」

「そんなに物欲しげな顔をして。――ほら」

「え!?」


 手にしていたワッフルドッグを、ずずいっと差し出してくるルキウス。

 そこで完全にルイゼの思考はパニックに陥った。


(私、そんな物欲しげな顔してた? じゃない……っ、これって!)


 間接的にだが、口と口がくっついてしまうような……。

 などと逡巡する合間にも、無表情のルキウスの顔が次第に曇っていって。


 ルイゼはいよいよ覚悟を決めた。


「い――いただきますっ」


 身を乗り出して、ワッフルドッグを小さく一口。

 それから再び席に沈んで……とにかく口を動かして咀嚼を続けるが。


(……どうしよう。もはや、味がよく分からない)


 緊張と羞恥心で、味覚が正常に働かなくなったらしい。

 だがルキウスが「美味しいか?」と訊いてくるのでとりあえずコクコクと頷いておく。


「そうか。それなら良かった」

「…………」


 しかしルキウスにまったく悪気がないのは明らかだ。

 でも何だかこれでは自分ばかりが照れて、恥ずかしい思いをしているような気がして。

 それはどこか悔しくて。


(やり返す――というのは不敬だけれど、せめて私も!)


 ワッフルドッグのひとかけらを食べ終えたルイゼは、決意を固めた。

 包みの中で待機している三つ目のアランチーナをぎゅっとつまむと、ルキウスに向かって。


「あ、あの。ルカ様も……あ、あーん」


 ルイゼは緊張にぷるぷると手と声まで震わせながら、何とかそう言い切った。

 自分でも顔が赤くなっている自覚はある。けれど、これくらい返さなければ気が済まない。


(ど、どう? これならルキウス殿下も照れるはずっ……!)


 なんて勝利を確信した直後。


「ありがとう」


 思いがけず、ルキウスは何でもないようにサラッとお礼を言った。

 それから横髪を耳にかけ……ルイゼの差し出すアランチーナを、一口で食べてしまった。


 最後にぺろっと、色っぽく脂に濡れた唇を赤い舌で舐めて。


「……うん。美味しい」



(こういうの、慣れていらっしゃるんだわ……!)



 ルイゼはテーブルに突っ伏しそうになった。

 ショックのような。ルキウスほどの人なのだから当然だと思い知ったような。

 そして、周りの女性たちからさらに熱い視線がルキウスに注がれているような……。


(うぅ、駄目……楽しいのに帰りたくなってきた)


 じわぁっと涙が滲みそうになっていると。

「フッ」と頭上から鼻に抜けるような笑い声が降ってきて、ルイゼは顔を上げた。


 誰が笑っていたかといえば、当然ルキウスだ。

 彼はクスクスと、大きな声を立てないようにしばらく笑ってから――。



 ――やがて、種明かしの口調で告げた。



「……すまない。少し意地悪をした」

「は……」

「照れている君が可愛くてな」

「かわ……?」


 ルイゼは首を傾けたまま硬直した。


(――からかわれている!)



 そう分かった瞬間、意地っ張りで負けず嫌いのルイゼ・レコットが顔を出す。



「お気になさらず。私は、ええ、まったく照れていませんので」

「……いや、俺の見る限り羞恥に悶えているように見えたが」

「照れていませんっ」


(もうそういうことにしてほしい!)


 ルイゼは包みをがさごそと漁り、再びアランチーナを取り出した。


「はい、ルカ様。もういちど、あーん……です」

「もぐ。……うん、美味しい」

「もういちど!」

「……このままでは君の分が無くなってしまうと思うが……」

「そのときはもう一袋買いますので、お構いなく!」



 やたらとアランチーナが温くなったと感じたのは、自分の体温が上がったせいなのだとは気づかないまま。

 ルイゼはルキウスの餌づけにせっせと勤しむのだった。



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