第12話.あなたと王都で1

 


「おはようルイゼ」

「ルキウス殿下、おはようございます」


 翌週の朝。

 約束通りレコット邸まで迎えに来てくれたルキウスに、ルイゼは頭を下げる。


 今日のルイゼは長い鳶色の髪を綺麗にハーフサイドアップにして、後頭部を蝶々の髪留めで留めている。

 裾がふわりと広がるアップルグリーンのワンピースは、髪色と合わせてミアが選んでくれたものだ。


(私の格好、別段おかしくはないと思うけれど……)


 ルキウスの隣に立つには力不足では、と思ってしまう。

 というのもルキウスは目立たないためだろう、飾り気のない庶民じみた格好をしているのだが、それでもやっぱり恐ろしいくらいに美しいから。


 玄関の外で待っていたのは一台の馬車だった。

 身分を隠すためだろう、王族が使うような豪奢なものではなく商家にあるような平凡なデザインのものだ。


「それでは、行こうか」

「……は、はい」


 自然とルキウスに手を取られ、ルイゼは馬車に乗り込んだのだった。




 青空の下を馬車で進みつつ、ルイゼは窓を開け、外の景色を楽しんでいた。

 レコット家は王都内に屋敷を構えてはいるが、賑やかな中心部からはかなり離れているため、馬車で移動しても十分ほど掛かる。


「ルキウス殿下、風が気持ちいいですね」


 そう話しかけると、対面に座ったルキウスが、車輪の音に掻き消されないためだろう――少し声量を上げて言った。


「ルイゼ。今はいいが……人前で、殿下と呼ばれるのはさすがにまずい」

「あっ……そうですよね、すみません」


 ルキウスの指摘はもっともだ。ルイゼは慌てて口元を覆った。

 でも、それなら何と呼べばいいのか。困るルイゼに、ルキウスは頬杖をつきながら。


「……子供の頃は、親しい者からはルーくんと呼ばれていたな」



(――ルーくんっ!?)



 叫びそうになるのを寸前で堪える。

 いくらなんでも第一王子を愛称で、しかもくん付けで呼ぶのはあまりにも畏れ多い。


「殿下。さすがにそれはちょっと」


 ルイゼはおずおずと断りの言葉を入れた。

 すると、ルキウスは機嫌が悪そうにそっぽを向いた。


「……ではルカはどうだ?」

「ルカ様……それなら、どうにか」

「そうか」


(良かった。ちょっと機嫌は直った……っぽい?)


 ほっとするルイゼだったが、ルキウスの爆弾発言はそれで終わりではなかった。

 彼はその後ぽつりと言ったのだ。




「……今日の君はいつにも増して可愛らしいな」




 そんな言葉を――ルキウスが呟いたものだから。

 ルイゼの呼吸は完全に止まってしまった。


(ふ、不意打ちすぎるっ……!)


 男性慣れしていないルイゼは、それだけで頭がクラクラしてしまった。

 社交辞令と分かっていても、嬉しいものは嬉しいのだ。それに、嬉しさに比例して恥ずかしさも湧き上がってくる。


 そんなことを思いながら、ちらっと見てみると……ルキウスの頬が心なしか赤く染まっていたので、ますますルイゼは何も言えなくなってしまった。

 それは社交辞令を述べた男性のするような顔ではないと思う。ルイゼの思い違いでなければ、きっと。


(……もしかして、だけれど)


 もしかして、馬車に乗ってからしばらく黙り込んでいたのはそのせい?

 ずっとルイゼのことを褒めてくれようとして、彼も緊張していたのだろうか?


 そう思うと、十も年が離れた男性だというのに、何だかルキウスのことが可愛らしく思えてしまう。


「ありがとう……ございます」


 そんなルキウスに、ルイゼは消え入りそうな声でお礼の言葉を伝えるのがやっとだった。




 +++




 大通りに着いたふたりは、さっそく魔道具店へと向かうことにした。


 王都にあるだけでも魔道具店は四つもある。

 しかし、巡る価値があるお店はといえば――ルイゼとしては、選択肢はその中でも二つまで絞られる。


 その二つというのが、最新の流行トレンドを追う新商品を取りそろえた大商店『無限の灯台』と、骨董品じみた魔道具が並ぶ老舗店『片目のフクロウ』である。

「残りの二つの店は、型落ち品ばかりだからな」と同意してくれたルキウスの言うとおりであった。


「先に『無限の灯台』に向かうか」

「はい」


 活気に溢れる人混みの中を、ルキウスと並んで歩き出す。

 といっても二人きりというわけではない。姿は見えないが、護衛は何人もついているのだとルキウスが教えてくれた。



 そしてすぐさま。

 ――ルイゼは、彼の美貌のすさまじさを思い知ることとなった。



「【認識阻害グラス】は、正常に働いているはずなんだが……」


 嘆息するルキウス。

 先ほどから周囲では、彼を取り巻いて女性たちのヒソヒソと騒ぐ声が飛び交っていた。


【認識阻害グラス】とは、数年前に開発された魔道具の一種だ。

 一見すると単なる眼鏡のように見えるが、レンズに砕いた光の魔石とインビジブル鉱石を用いて特殊な加工が施されているらしい。

 光の魔石もインビジブル鉱石も採れる量が少なく貴重であるため、一般的にはまったく普及していない魔道具でルイゼも目にするのは初めてだった。


 その効果は確か、周囲からグラスを身につける者の容貌を認識しづらくするというもの。

 だが周囲の女性たちの熱量ある視線を感じる以上、うまく効果が出ているとは言いがたい。


(銀髪で上背があって、佇まいだけで美形と分かるものね)


「こんなことなら開発チームに参加するべきだったな」


 ぼやくルキウスに、悪いと思いつつルイゼはくすっと笑ってしまった。


「ルキ……ルカ様が本気で取り組んだら、姿を消せる魔道具だって完成してしまいそうですね」


 微笑む可憐な少女の姿に――ひとり、またひとりと振り返る男たちが居ることに、当の本人はまったく気がついていない。


 ルキウスは渋面で言い放った。


「……もう一つ予備がある。君もこれを掛けたほうがいい」

「ご冗談を。さすがに私には必要ありませんよ?」


 何気ないやり取りをしつつ、魔道具店の前に到着する。

 ルイゼも何度か来店したことがある『無限の灯台』だ。


『無限の灯台』はこの王都では一番真新しい魔道具店だが、その敷地面積の広さは凄まじいほどだ。

 大商会の直営店なだけあり、いつ訪れても店頭には新しい魔道具が勢揃いしている様子は壮観である。


 大衆向けとされてはいるが、客の中には貴族らしき人の姿もちらほらあった。

 多くの客で賑わう店内に、ルイゼもルキウスと共にさっそく足を踏み入れる。


 生活魔道具に冒険魔道具……所狭しと並ぶ商品の山に、思わずルイゼのテンションも上がっていく。

 何せ一年ぶりの来店だ。普段はあまり立ち寄らない調理用の魔道具にさえ、興奮を感じてしまう。


「ルカ様、見てください! 先週発表された新作魔道具【ウォーターオーブン】ですって」

「ああ、これは俺と同じ研究室の学生が開発したものだな」

「ええっ? そうなのですか?」

「何度か頼まれて試作品を試したこともある。水の魔石と炎の魔石を併用して、水蒸気を発生させて食品を焼くんだ。これで焼いたフライドチキンがなかなかの味だった」


 さすがは名高き魔法大学。ルイゼは感心の溜め息を漏らしてしまった。


(ルキウス殿下はその大学でも、天才として名が知れ渡っていた方……)


 そんなルキウスとこうして魔道具店の中を歩いているなんて、何だか夢のようだ。


「……お、これは」


 ふと、最新型の【冷風機】の前でルキウスが足を止める。

 ルイゼはその隣の棚を、クセで眺めた。

 ちょうど店内を回っている店員が近くに居たので、念のため訊いてみることにする。


「すみません。【眠りの指輪】はここにあるもので全部ですか?」

「ええ、そうです。……失礼ですが、お嬢様のようにお若い方が珍しいですね」

「あはは……」


 苦笑で誤魔化すルイゼ。

 寝つきが悪かったり、眠りの浅い人に重宝される安眠用の魔道具なので、おかしいと思われたのも無理はない。


(……やっぱり、同じデザインの物は置いてないみたい)


 諦めて、振り返ったときだった。

 いつの間に後ろまで来ていたルキウスと、至近距離で目が合いどきりとする。


「すみません、よそ見をしていて」

「それはまったく構わないが。――【眠りの指輪】、好きなのか?」

「え?」

「……十年前にも、いの一番にその名前を出してきただろう」


 ルキウスの言葉にルイゼは驚いた。

 彼が言っているのは間違いなく――十年前の、お茶会のときのことだ。


 魔道具の一覧リストをルキウスが見せてくれて。

 幼いルイゼははしゃいで、知っている魔道具の名前を次々と列挙した。



(――あのときのことを、ルキウス殿下が憶えていてくださっている)



 たったそれだけのことが、こんなにも嬉しい。


 そのせいか。

 ルイゼは、普段なら人には話さないようなことを思わず口走ってしまった。


「好き、というか……私が初めて知った魔道具が【眠りの指輪】なんです」


 話し始めるルイゼをルキウスは静かに見下ろして、話に耳を傾けていてくれるようだった。


「物心ついた頃には、眠る前に指に嵌めるのが習慣になっていました。紫色の小さな宝石が埋まった指輪で……あの指輪を着けるだけで落ち着いて、ウトウトすることができたんです。幼い頃から眠りの浅い私に、父か母が贈ってくれたものだと思うのですが」


 一年前。

 魔法学院に通っていた頃、ますますルイゼの睡眠不足は悪化していた。


 寮生活で同室にリーナが住んでいたのもあり、気の休まるときが一時もなかったのだ。

 それでも、【眠りの指輪】があればどうにか数時間は眠ることができた。それはルイゼにとって救いだった。


 しかしある日、指輪を外すのを忘れて登校したルイゼの手元に……目ざとくフレッドが気がついた。



『お前。婚約者の居る身で、左手の薬指に安っぽい指輪を着けるなどと――恥ずかしくないのか!?』



 そう怒鳴ったフレッドは、無理やりルイゼの指から指輪を抜き取った。

 何度返して欲しいと懇願しても、フレッドは聞いてはくれなかった。その後、きっとどこかに捨ててしまったのだろう。


 アルヴェイン王国では昔から、花婿は花嫁の左手の薬指に宝石のある指輪を贈るという風習がある。

 だから、フレッドの怒りは決して的外れではなかったのだと思う。

 自分から贈ったものだと他人に誤解されたら、堪らないと思ったのだろう。


 だが、さすがにそんな話をルキウスにするわけにはいかない。


「本当に、大切なものだったのに――不注意でなくしてしまって。同じデザインの物を探しているんですが、なかなか見つからないんです」


 そう苦笑いをして、ルイゼは話を締めくくった。

 そうか、と頷いたルキウスの声音が寂しげに感じられたのは、ルイゼの気のせいだったのかもしれない。



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