第10話.少女は祈る
ルキウスとルイゼが別れた後。
レコット伯爵家のルイゼの部屋では――とある侍女の歓声が上がっていた。
「おめでとうございます!」
しかしそんな祝福の声を掛けられた張本人であるルイゼはといえば……専属侍女であるミアの反応に唖然とするだけだった。
「おめでとうって……何のこと?」
「何のことって、ルキウス殿下からデートのお誘いがあったのですよね!」
それを聞いたルイゼは椅子の上で仰け反りそうになった。
「で、デートって」
ルイゼはただ「ルキウスに街に行こうと誘われた」と話しただけだ。
それなのにデートとは? と困惑していると、ミアが鋭い目を向けてきた。
「年頃の男女が日取りを決めて一緒に出かけるのですよ? これをデートと呼ばずして何と呼びますか」
「ええっと……ルキウス殿下は、そういうつもりじゃないと思うわ」
ルキウスは大学院を修了して、二日前にアルヴェイン王国に戻ってきたばかりなのだ。
そんな彼にはたぶん近くに、魔法学や魔道具の話が出来る人が少ないのだと思う。
それでなし崩し的に、知り合いであるルイゼのことを誘ってくださったのだろう。
ということを、ルイゼはいたって真面目に説明してみせたのだが……ミアはなぜだかハァ、と深い溜め息を吐いてしまった。
「あのですね、お嬢様。そんな理由で王族の方が年頃の令嬢を外出に誘ったりはしません」
「でもルキウス殿下はお優しい方だから」
「お優しい方でも、誰彼構わず誘ったりはしません!!」
……確かにそれはそうかもしれない、と沈黙するルイゼ。
今日もルキウスは、家の馬車が迎えに来るまでルイゼの傍に居てくれた。
疲れただろうから早く帰った方がいいと、長い間無理をさせたかもしれないと、そんな労りの言葉を添えて。
彼はとても優しいけれど――あの慈愛が自分以外の誰にでも注がれているのを想像すると、何となくルイゼは胸のあたりがずきりと痛む気がした。
その隙にミアは鼻歌を歌いながら、ルイゼの髪を撫で、きれいに櫛で梳かしていく。
夕食も湯浴みも終え、もう寝る時間だ。
今日もリーナ、それに多忙な父も帰ってはこない。そのおかげで、ミアを始めとして使用人たちは普段よりリラックスしている様子だった。
「ルイゼお嬢様の鳶色のストレートの髪も、紫水晶のように煌めく瞳も本当に素敵ですもの。当日はめいっぱいおめかししましょう! もちろん張り切ってお手伝いいたしますので!」
「何だか私より、ミアの方がご機嫌ね?」
「魅力的な殿方に、自分の主がお誘いされているのですよ? これが誇らしくない侍女がいますか!」
「もう……ミアったら」
いつになく明るいミアの様子がおかしくて、ルイゼはくすりと笑ってしまった。
心をひっそりと刺した、小さな針には気づかない振りをして。
「それではおやすみなさい、ルイゼお嬢様」
「おやすみ、ミア」
ルイゼがベッドに横たわると、ミアは壁の【光の
窓の外からは、ほのかに青白い月光が射している。
穏やかで静かな夜――けれどルイゼは寝つけず、ベッドから抜け出ると、部屋にある姿見の前に立った。
「…………」
鏡の中から見つめ返してくる女と、にらみ合うようにして見つめ合う。
ミアはあんな風に言ってくれたが――ルイゼは、自分の外見が好きではない。
というよりも年々、嫌いになっているのかもしれない。
(私の外見は、リーナそのものだから)
残酷で、狡猾で、誰かを傷つけても平気で微笑むそんな妹に。
鏡の中のルイゼは、そんな恐ろしい妹とまったく同じ顔をしている。
時折、ルイゼは怖くなるのだ。
もしかしたら自分も、リーナと同じような笑みを浮かべて誰かを苦しめているのではないか。
あの残忍さが、自分の中にも潜んでいるのではないかと。
ただそれに、気がついていないだけではないかと。
(ルキウス殿下は、私と一緒に居て楽しいのかしら……)
ルキウスはルイゼにとって、憧れの存在だ。
彼との出逢いを忘れたことなど一度だってない。
六歳の頃、彼と出逢ってからルイゼの世界は確かに変わったから。
魔法の勉強をするのがますます楽しくなって。
知らなかったことを知る度に視界が広がって。
新たな発見をするたびに、ルキウスに話しかけたくなった。
母を喪い、父が冷たくなり、妹にも蔑まれ、それでも尚――記憶の中の
彼は遠い遠い世界の人で、だからもう会うこともないのだと諦めながらも。
こうして、彼と再会できたからこそ……ルイゼは思ってしまう。
そんな彼に幻滅されるのだけは――どうしても嫌だ、と。
(今の私に、誇れるようなことは何もない)
ルキウスに偉いよと褒められ、頭を撫でてもらった幼いルイゼはもう居ない。
あれから十年の時が経ち、ここに居るのは、リーナの替え玉をし続けて、抜け殻になったような情けない自分だけだ。
むしろ十年前よりも、ルキウスはルイゼにとって遠い人になってしまった。
それでも、と思う。
(それでも、せめて、あの方に嫌われないように)
ルイゼは鏡の前に立ち尽くし、祈るように目を閉じる。
(どうか、また、笑いかけてもらえますように)
それが"憧れ"の一言では済まされないほどの思慕であることをルイゼが自覚するのは、まだ先の話である。
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