第9話.小さな大学

 


 ルキウスに手を引かれ、ルイゼは地下に至る階段をゆっくりと下りだした。


 片手でスカートの裾を上げているので、ルイゼの歩く速度はかなり遅い。

 しかし一歩を進むごとにルキウスは立ち止まり、ルイゼのことを待ってくれる。


 だから、見知らぬ闇の中にあってさえルイゼには何の不安もなかった。


「あともう少しだ」


 ――下り始めて、数分が経ってだろうか。


 そんなルキウスの言葉と共に、次第に階下にはポツポツと、小さな灯りが見えてきた。

 その輝きには見覚えがある。


「【光の洋燈ランプ】ですね」

「ああ。数百年前に設置されたものだから、光量は弱いが」


 光の魔石を動力源にしたランプ。魔道具の一つで、現在では一般家庭にも普及している。

 ようやく地面……らしき感触に足先が辿り着くと、ルイゼはほぅと一息吐いた。


 乾いた土の臭いがする中、ランプに照らされて、薄闇の中にはぼんやりと鉄製の扉が浮かび上がっている。

 細かな模様のようなものが刻まれているようだが、何せ暗いのでよくは見えない。


(この先に、地下室があるのかしら? ……それにしても)


 扉の先の空間に面積を取られているのか、ルキウスとルイゼの立つ場所にはほとんどスペースがなく、二人の肩は自然と触れ合う形となる。


(少し緊張する……いいえ、自意識過剰と分かっているけれど)


 身体を心持ち固くするルイゼには気づかず、ルキウスが目の前の扉の表面を片手で強く押す。

 するとギギギ……と重い音を立てながらも、アッサリと扉が開いていったのでルイゼは目を丸くした。


 目を凝らして観察すると、扉には鍵穴がなかった。


「鍵は無いのですか?」

「ああ。必要ないからな」


 必要ないとはどういう意味だろう、とルイゼは内心首を傾げる。

 この王立図書館に収められた本はどれも貴重なものばかりだ。

 しかもそれが隠された地下室ともなれば、地上のものよりさらに価値ある書物が多いような気がするが……。


 ――そして、そのときだった。

 ルキウスが、ずっと繋いだままだった手を離した。


「あ……」


 小さく、ルイゼの唇から吐息が漏れる。


 しかしルキウスは気にせず、扉の先へと入っていく。

 優しい彼に、急に突き放されてしまったような気がして――ルイゼはその場に佇んだまま呆然としてしまった。


 だが、そうではなかった。



「ルイゼ」



 振り返ったルキウスが、当たり前のようにルイゼを呼ぶ。


「おいで、ルイゼ」


 恋人の名のように、甘やかに。

 伸ばした腕をルイゼが掴むのを心待ちにしているような顔で、ルキウスはルイゼを呼んだ。


「……っ」


 それだけで、なんだか堪らない気持ちになって。


「はい、ルキウス殿下」


 ルイゼはそう応じて、扉の先に一歩を踏み出す。

 ルキウスの手を、大切に掴む。すると彼は口元を綻ばせて握り返してくれた。



 ルキウスに導かれるように、扉の先に辿り着いて。

 そして――、ルイゼはしばしその光景に見惚れた。



 その部屋の中に待ち構えていたものは、当然だが"本"だ。


 本棚の数でいえば、地上のものよりずっと少ない。

 けれどひしめき合うように並んだ古びた本の背表紙には……見たこともない言葉がいくらでも踊っているのだ。


(これ――ぜんぶ魔導書、だわ。しかも禁書登録されたものばかり。ここにある本すべてが!)


 魔導書。

 ごく一般的に売られているものもあるが、その中には禁書に指定され焼き払われたものもある。


 というのも、闇魔法の中には人の心を惑わせたり、洗脳したり狂わせるものがあるからだ。

 数百年前に禁書とされたのは、闇魔法の深淵に位置する暗黒魔法と呼ばれる術のが載せられたものばかりだという。


 実際のところ魔導書の多くは解説書であるから、それを読めば特定の魔法が使えるようになるわけではない。


 それでも人というのは、自分に理解できないものを恐れるものなのだ。


(本当にすごい。夢のようだわ……)


 今まで触れることはできなかった、禁断とされる本たちが目の前に聳え立っているなんて。

 古びた本の香りを、鼻腔いっぱいに吸い上げて……ルイゼは感激のあまり目を潤ませた。


「……やはりな」


 そこでボソリと、ルキウスが呟いたのでルイゼは振り返った。

 なぜかルキウスは、嬉しそうに口元を緩めている。


「君ならここに入れると思ったよ、ルイゼ」

「それは……どういう意味ですか?」

「この隠し部屋自体が、魔道具なんだ」


 しばし、ルイゼはその言葉の意味を正しく理解できなかった。


「知識の欲――それが無い者は、何人たりともこの禁書庫に入ることはできない」


 続くルキウスの言葉で、気がつく。



失われた文明ロストテクノロジー……」



 答えに辿り着いたルイゼに、ルキウスが満足げに頷く。


 失われた文明ロストテクノロジー

 現代とは異なる、古代魔法と呼ばれる魔法があったとされる古き時代に造られた魔道具や建造物の総称である。


 つまりルキウスは、この禁書庫そのものが魔道具であると言ったのだ。


(知識欲がなければ、入ることさえできない部屋なんて!)


 ルイゼは衝撃のあまり息を呑む。

 いったいどんな仕組みで、そのような凄まじい魔道具を古代の人々は造り上げたのだろう。


 考え出すと、思わず笑ってしまう。あまりにも難解なパズルに挑戦しているような気分で。

 そんなルイゼに、ルキウスが内緒話をするようにささやいた。


「俺はこの場所を"小さな大学"と呼んでいる」

「小さな大学……」


 素敵な発想に、ルイゼは顔の前で手を合わせた。


「でしたら私も、これで大学に入学できたということになるのでしょうか」

「ああ、そうなる。ルイゼは今年の入学生だ」


 冗談のつもりだったのに、真剣な表情でルキウスが頷いてくれる。


「しかも期待の一年生だ。超難関とされる入学試験を満点で合格したため、学長に教授、生徒達から注目の的となっている」

「もう、それはルキウス殿下のことじゃないですか。からかわないでください」

「ははっ」


(――笑った!)


 無邪気な表情と笑い声に、思わずルイゼはどきりとする。


(……なんだか、こどもみたい)


 十も年上の男の人に、そんなことを思うのは失礼かもしれないけれど。

 思わずジッとルイゼが見つめると、ルキウスはすぐに無表情を取り繕ってしまったが……彼が一瞬見せた柔らかな笑顔は、ルイゼの脳裏に見事に焼きついたようだった。


「それじゃあ、本を読もう」

「いいのですか?」

「もちろん。そのつもりで君をここに連れてきた」


 ルキウスの言葉にルイゼは目を輝かせ、悩みに悩んだ末に、気になる本を一冊ずつ読むことにした。

 ルキウスもまた、本棚を一通り眺めてから三冊ほどを手に取る。


 二人は部屋の中央に置かれたテーブルについた。

 定期的に掃除されているのか、テーブルにも椅子にもまったく汚れの跡はない。


 向かい合う形で座ったので、すぐ目の前にルキウスの端正な顔立ちがある。

 見慣れることなどできない美貌がすぐ目の前にあって、本当だったら緊張するはずなのに――それでもルイゼはこの場所が、どんなカフェよりも落ち着く気がした。


「ルキウス殿下。気になる項目があったら、話しかけてもいいですか?」

「ああ、いつでも。俺もそうするつもりだから」


 よし、とテーブルの下でルイゼは密かに拳を握る。

 それならば、まさにここは正真正銘の大学なのだと思う。


(むしろ最強の卒業生にすぐ質問ができるなんて、大学より恵まれているかも)


 小さな大学。

 ルキウスが招いてくれた、ふたりだけの大学。


 だからこそ、ルイゼも――そしてルキウスも、はしゃいでいたのかもしれない。

 それからふたりで、ずっとずっと時間を忘れて――夢中になって、本を読み続けてしまうくらいに。




 +++




「――――申し訳ございませんっ!」


 図書館を出て、まずルイゼが放ったのはルキウスへの謝罪だった。


 しかし謝られた当の本人は、きょとんとした顔つきでルイゼを見返してくる。


「何を謝る必要がある」

「……いえ。だって読書に夢中になって、いつのまにかこんな時間に」


 そう。時刻はすでに午後五時である。

 王宮に着いたのが午前十一時頃だったので、五時間ほどは禁書庫に篭もっていたという計算だ。


 その間もちろん、二人とも昼食を取っていないし、お茶の用意もなかったので飲まず食わずである。

 王族相手に、無礼どころの騒ぎではない。


(でも。でも。魔導書はどれも興味深くて、ルキウス殿下の解説も魅力的すぎて!)


 言い訳はいろいろあるのだが――自分の我儘で、ルキウスはかなり迷惑したんじゃないだろうか。

 そう思うと申し訳なさのあまり小さくなるルイゼだったが、ルキウスは平静そのものだった。


「夢中になっていたのは俺も同じだ。それに大学では、研究に明け暮れて二日ほど寝食を忘れることもザラにあったぞ」

「ふ、二日もですか?」

「ああ。それに今日は、君と過ごせて楽しかったから」

「……!」


 きっと深い意味はない。

 そう思っていても、ルキウスの言葉に顔が赤くなる。


 それなのにルキウスは追い打ちするように、ルイゼのことを静かに見つめて訊いてくるのだ。


「君は、どうだった?」

「……た、楽しかったです。とても」

「そうか。なら良かった」


(……駄目だ。ルキウス殿下の顔を、うまく見られない)


 ルキウスはあまりにもまぶしくて。

 その顔かたちも、まっすぐな双眸も、嘘のない言葉も――ルイゼを掴んで離さない。


 そうして顔を上げられないルイゼに、気づいているのかいないのか。


「また、誘ってもいいだろうか。久しぶりに王都の魔道具店を見に行こうと思ってな」


 そんな誘いの言葉を頭上で呟くルキウスに。

 首を横に振ることなんて、ルイゼには出来るはずもないのだった。



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