第5話.再会

 


(……さすがミア。支度が六分で済んだわ)


 ミアの手際の良さに感心しながら、ルイゼは客間の扉をノックした。


 部屋で謹慎しろという父の言いつけを破ったことになるが――今日ばかりは仕方が無いだろう。

 本日の客人はそんなつまらない理由で追い返せる方ではないのだから。



「ルイゼ」



 ルイゼが入室すると。


 煌びやかな調度品に囲まれながらも、その中で最も光を放つような美しい男性が立ち上がる。

 ルイゼは懐かしさのあまり、一瞬だけ呼吸を忘れかけたが……それでも微笑み、彼に向かって深く礼をした。


「ルキウス殿下。お久しゅうございます」

「……ああ。久しぶり」

「こうして十年ぶりにお目通りが叶い、光栄に思います」


 ルキウス・アルヴェイン第一王子。


 十年前から美少女に見紛うほどの容姿を誇っていたルキウスだが、さらに磨きがかかった美貌を前にしてルイゼは緊張を隠すことができずにいた。


(……まぶしさのあまり、目がつぶれてしまいそう!)


 高い背丈に凛とした眼差し、それに細身なものの肩幅や体格には以前よりずっと男性らしさが感じられる。

 冷たい無表情と素っ気なさは健在のようだが……そんなところも人嫌いの猫のようで、ルイゼには懐かしく感じられた。


 ソファに向かい合う形でルイゼとルキウスが座ると、ミアがお茶を運んできてくれた。

 その間、どうにか平静を取り戻そうと奮起しつつ、ルイゼは頭の中でルキウスの情報を整理する。




 ――ルキウス・アルヴェインは"稀代の天才"と呼ばれている。



 国内どころか、世界中でその名を知らぬ者は居ないだろう。

 魔法学院卒業後、彼は東の大国と呼ばれるイスクァイ帝国にある魔法大学に進学した。


 アルヴェイン王国では魔法の素養を持つ十五歳の少年少女であれば、基本的に魔法学院には無条件で入学することができる。


 しかし大学の場合はまったく違う。

 入学試験を受ける条件からして、各国の魔法学院在学中に大学教職員から推薦状を得ること、魔法学院での座学・実技の成績がトップクラスであることなどが要求される。

 かつ、その入学試験というのがという難易度なのだ。


 そんな大学では実際、何が行われているかといえば……一言でいえばひたすら「魔法研究」に没頭・邁進するために造られた場所だとされている。

 アルヴェイン王国の魔法省にも魔道具研究所は存在しているが、実は大抵の魔道具の開発元は魔法省ではなく大学だというのも周知の事実である。



 そして、そんな天才だらけの人外魔境めいた世界でさえルキウス・アルヴェインという人は異彩を放つ。

 入学後、たった三年間であっさりと卒業資格を得ながら、その後は院生として研究に明け暮れていたというのだから――本当に、桁違いに優秀な頭脳と才能を持つ方なのだ。




「事前にきちんと連絡もせず、訪ねてすまない」


 紅茶を一口だけ口にしたルキウスがそう言ったので、ルイゼは首を静かに横に振った。

 女性の身支度にはとにかく時間がかかる。実際のところ、ルイゼ以外の貴族令嬢だったらキレ散らかしてもおかしくないのだが、ルイゼにそういう思いはなかった。


「いいえ。お手紙もいただきましたし……驚きましたが、嬉しかったです」

「……嬉しいものか?」

「殿下にお会いするのは本当に久しぶりですし。大学留学のことはもちろん存じておりましたが、いつお戻りだったのですか?」


 ルイゼの言葉に、ルキウスはなぜだかばつが悪そうな顔をした。


「……昨日戻ったばかりだ。気になる噂を耳にしたものだから」


(フレッド殿下との婚約破棄のこと……かしら)


 フレッドとルイゼの婚約が決まったのは、あの十年前のお茶会の数日後のことだった。

 その頃にはルキウスは大学入学のためイスクァイ帝国に渡っていたので、ルイゼはフレッドの婚約者としてルキウスに挨拶をしたことは一度もない。


 ルキウスとフレッドの関係については分からないが……昨日戻ったばかりで疲れているだろうにルイゼを訪ねたということは、やはり彼はルイゼを糾弾するつもりなのかもしれない。


 けれど、ルキウスの形の良い唇から放たれたのはまったく別の言葉だった。


「君の妹の――リーナ・レコット伯爵令嬢だったか。彼女が、大学への推薦を蹴ったという話だ」

「……え?」

「それ以上に驚いたのは、教授の誰も君には推薦状を書かなかったこと」


 深い灰簾石タンザナイトの双眸がルイゼを見つめる。

 ルイゼはその瞳の美しさに呑まれ、呼吸を忘れかけた。


「……君はてっきり、大学に来るものと思っていた」


 それきり、ルキウスはどこか拗ねたような表情で黙り込んでしまう。

 その言葉の意味が、脳に浸透してくるにつれ――ルイゼは慌てて唇を開いた。


「そんな……畏れ多いことです。私程度の人間が、大学だなんて」

「俺はそうは思わなかった。子供の頃から君はとても賢く、聡明だった」

「私――」

「……何があった? ルイゼ」

「っ」


 ルイゼは息を呑む。


 ルキウスは、きっと既に知っているのだ。

 ルイゼが最下位で魔法学院を卒業したこと。

 妹のリーナと違い、馬鹿で間抜けだと社交界で嗤われていること。


 知った上で、今こうしてルイゼを訪ねてきてくれた。


「何があったのか、俺に話してくれないか」


 落ちぶれたルイゼの目の前で、あの日と変わらぬ眼差しをしたルキウスが真摯な言の葉を投げかけてくれる。


 だからこそ――何も言うことはできなかった。


(……言えるはずがない)


 知ったなら、ルキウスは失望するだろう。

 妹のいいなりになり、替え玉などを演じたルイゼのことを。

 今も、何者にもなれずに部屋に閉じ込められている自分を。



 十年前のあの日……。

 彼に憧れて、同じ場所まで追いつきたくて、必死に勉強をしたのに。



(あなたにだけは――知られたくない)


 彼の麗しい瞳に蔑みの色が浮かんだらと――想像するだけで喉が震える。

 胸が苦しくなる。そんなルイゼの様子に、ルキウスが僅かに眉を下げた。


「すまない。無理に話させるつもりはないんだ」

「……い、いえ。殿下、私こそ……」

「話は変わるが――国に帰ってきて、愚弟が君に迷惑を掛けたと知った。今さら謝って済むようなことではないが……本当にすまなかった」


 ルイゼはぎょっとした。

 ルキウスが目の前で頭を下げている。ただの伯爵令嬢に、一国の王子がだ。


「それこそ、殿下の謝られるようなことではありません! どうか頭を上げてください」

「しかし……」

「それがフレッド殿下のご意志であったなら、私は構わないと思っていますから」


 ルイゼが慌てて言い募ると、ルキウスが頭を上げた。


「――ルイゼ。失礼を承知で訊いてもいいだろうか」

「何でしょうか?」

「愚弟との婚約に未練はあるか?」

「ありません」


 ルイゼはきっぱりと即答した。

 今のところ、フレッドとの婚約破棄で失って残念だったのは王立図書館への出入りの自由くらいである。

 それも未練と言えば未練かもしれないが、フレッド本人や次期王妃候補という身分への未練はこれっぽっちもない。


「そうか」


 ルイゼの答えを聞いたルキウスはどこか安堵した様子だ。


 ……もしかして、とルイゼは気がついた。

 今のところルキウスに、ルイゼを責める意図はこれっぽっちも見えない。つまり――


「殿下はそのことで本日お越しくださったのですか?」

「勘が良いな。その通りだ」


 いよいよここからが本題らしい。ルイゼは背筋を伸ばした。


「この五日間、陛下からフレッドがこってりと絞られてな。というのも、婚約破棄というのはアレの独断だったらしい」

「そうだったのですか?」

「陛下本人に直接聞いたから間違いない。……それで、申し訳ないが婚約破棄の同意書に君にもサインしてもらう必要がある。君さえ良ければ俺が同行させてもらいたい」


 そういうことか、とルイゼは納得した。

 ようやく、ルキウスがわざわざルイゼの元を訪ねた理由が分かった。


 実の弟である第二王子・フレッド殿下の尻拭い。

 そして、事後処理のために王宮に赴かなければならないルイゼに付き添うため。


(……ルキウス殿下はお優しい方だわ)


 十年ぶりに祖国に帰ってきて、多忙を極める身に違いないのに。

 それでもルイゼはルキウスの心遣いに感謝した。

 この状況で、一人で王宮に行くのはさすがに気が滅入る。


 ただ、ルイゼには彼に伝えておかなければならない事柄があった。


「殿下のお申し出は非常にありがたいです。ですが父から謹慎の言いつけを受けておりまして、それが解けるまで外出は難しいかもしれません」

「君が謹慎? なぜ?」

「父によれば、家の名誉を汚したための罰と……」


 口にしていて馬鹿らしい理由だが、ルキウス本人が「馬鹿馬鹿しいな」と思いっきり吐き捨てたのでルイゼは小声で「まったくです」と同意した。

 口元だけで、ひっそりと微笑んでしまう。


(月日が経っても、こういうところは変わっていない)


 思ったことを率直に口にするルキウスの在り方が、ルイゼには好ましく感じられる。


「俺からレコット伯爵には話をつけておく。その件については心配しなくていい」

「いえ、さすがにそれは……ただでさえルキウス殿下にはご迷惑をお掛けしているのに」

「大したことじゃない。だが伯爵も、君の妹も正直感心しないな」


 ルキウスは本気で憤っている様子で続ける。


「この家は――君には狭くて窮屈だ。ルイゼにはもっと広い世界が似合う」

「ルキウス殿下……」


「これはたとえばの話だが、もしも俺とけっ」


 ふと。

 ものすごく中途半端にルキウスが何かを言いかけて、口を噤んだ。



(おれとけっ……?)



 ……何だろう? とルイゼは首を傾げる。


 続きが気になって見つめてみれば、黙り込んだルキウスの頬には朱が差している。

 ルイゼは心配になってきて問うた。


「殿下、お顔が赤いです。もしかして熱があるのでは」

「……何でもない。何でもないから気にするな」

「は、はい」


 ルキウスは若干ふらつきながら立ち上がった。


「明日の朝、また迎えに来る。ではまた」


 見送りに立ちながら、ルイゼは今さらながら不思議に思う。


 十年前のお茶会の日、ルイゼは家名を名乗らなかった。

 ルイゼがレコット伯爵家の娘だと、ルキウスは知らなかったはずなのだ。


「あの、ルキウス殿下はいつから私のことをご存じだったんですか?」

「……君のことなら、ずっと前からよく知っていたよ」


(ずっと前? ……十年前から、ということかしら?)


 それ以上ルキウスは何も言わなかったので、ルイゼはそう納得したのだった。



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