第4話.出逢いの日2

 


 ……それからもひとしきり話し込んで、ふと会話が止むと。

 思い出したように少年が首を傾げた。


「……お茶会、だっけ。抜け出してきたのか?」


 つい数秒前までの笑顔は、ルイゼの表情から抜け落ちていく。

 思わず少年から目を逸らし、ルイゼは小さな声で言った。


「……私、ダメな子で。妹は、そういった華やかな場が得意なんですけれど――私は逃げ出してきたんです」


 本当はリーナに追い出されるような形になったのだったが、それは言い訳に過ぎない。

 ルイゼは帰りたいと思い、逃げてきたのだ。本来は伯爵家の長女として振る舞うべきなのに、その役目をリーナに任せきりにして。


(……私は、貴族として失格かもしれない)


 暗い気持ちに、全身を呑み込まれそうになったとき。


「いいんじゃないか、別に」

「……え?」

「俺も当時、サボったから」

「そう……なんですか?」

「だって面倒で。ひとりで本を読んでいるほうが楽しい」


 あまりにもあっさりと少年が言ったので、ルイゼはぽかんとしてしまった。

 けれど少年の言葉はそれで終わりではなかった。


「……というか、そんなちっこいのに勉強家で、お前は偉いよ」

「私が偉い、ですか?」

「ああ、偉い。毎日魔法の勉強をして、難しい本を読んで……そうじゃなければ、そこまで詳しくはならないから」


 ぎこちなく伸びてきた手が、ぽんぽん、とルイゼの頭を撫でた。

 たったそれだけのことだったのに。


 ……自然と、目の縁に涙の粒が盛り上がっていた。

 そんな風に、誰かに褒められたのは――生まれて初めてのことだったから。


「わ、悪い。痛かったか?」


 ルイゼが泣きそうになっているのに気がついた少年が、慌てて手を離す。

 目元をハンカチで拭ってから、ルイゼは首を横に振った。


 ――勇気を出して言ってみよう、と思った。


 もっと話がしたい。

 もっとあなたと、いろんな魔法や魔道具のことを……他のことだって、たくさん話したい。


 そう、言おうとしたのだが――



「あの、私……」

「ルイゼー? どこだ?」



 ……遠くから父のそんな声が聞こえてきて、ルイゼは口元をぎゅっと引き結んだ。


「……父が探しているみたいです。私、戻らないと」


 スカートについた芝を手で払い、ルイゼは精いっぱいの笑顔を作った。

 そうか、と少年が頷く。ルイゼの気のせいでなければ、何となく寂しげな響きに聞こえた。


 もう彼には会えない。

 何となくルイゼはそんな気がした。


「今日はお話できて楽しかったです。さようなら」

「……ああ、俺も」


 言葉少なでも、少年が頷いてくれたのが嬉しかった。

 ルイゼは立ち上がり、父の元へと歩き出す。


 その直後に。

 右手を――ぎゅっと、後ろに引っ張られた。

 ひんやりとした感触に、どきりとする。


(……え?)


 驚いて振り向くと、その手の持ち主である少年自身が目を見開いて驚いている様子だった。


「……ごめん。名乗り忘れてたから」


 ぱっと手を離した少年は、取り繕うように口を開いた。


「俺の名前はルキウスだ」

「……ルキウス様」


 ルイゼはその名を噛み締めるように呟いた。


「ルキウス様、今日は本当に楽しかったです」

「俺も。……俺も楽しかったよ、ルイゼ」

「……はい」


 短い言葉を噛み締めるように交わして。

 ぺこりと頭を下げて、ルイゼは再び歩き出した。


 それでも名残惜しく、一度振り返ると……ひらり、とルキウスが片手を振っていた。

 ルイゼは嬉しくなって、そんなルキウスに控えめに手を振り返した。


 六歳のルイゼにとって、その少年は信じられないくらい綺麗で、目映い人だった。




 まさかその人こそが、アルヴェイン王国、王位継承権第一位のルキウス・アルヴェイン殿下であったなんて――ルイゼは帰りの馬車で父に聞かされ、大層驚いたものだった。




「……ふふ」


 あの日のことを思い出すと、今でもルイゼの胸はほんのりと温かくなる。

 ルキウスとの出逢いこそが、ルイゼが魔法研究にのめり込む大きなきっかけとなった。


 しかし今、こうしてルキウスから直接手紙が届いた理由はさっぱり分からない。

 十年前に出逢って以降、ルキウスとの関わりは一切なかった。家名を名乗らなかったので、ルキウスにはルイゼが誰かも分からなかったはずだ。


 そもそもルキウスは、現在は……


「……ひとまず、読んでみるしかないわね」


 ルイゼは覚悟を決めた。

 深呼吸をしてから、手紙の内容に目を通す。


 が、手紙に書かれたのはたった一文だけだった。





『近いうちに訪ねる』





「………………え?」


 その意味を理解する前に。

 ばたばたと、何やら騒々しい足音が階下から近づいていた。


「お、お嬢様。お客人がいらっしゃいました」


 ノックも忘れて入室してきたのはミアだ。

 いつも冷静な彼女が、明らかに取り乱している。


 ……ルイゼは予感のままに口にしてみた。


「……ルキウス・アルヴェイン殿下?」


 ミアが悲壮な顔つきをする。

 長い付き合いなのでルイゼにはすぐ分かる――これは『知っていたなら何故教えてくれなかったのか』の顔だ。


 そしてルイゼが無言で手にしていた手紙を見せると、ミアは悲壮感の中にも納得の表情を浮かべた。

 そうなれば彼女の切り替えは早い。


「ルキウス殿下には一階の客室でお待ちいただいています。他の侍女たちも連れて参りますので、今すぐにお着替えしましょう」

「ええ、お願い」

「それにもちろんお化粧と、髪も結わなくてはなりませんから急ぎませんと」

「……十分でどうにかなるかしら?」


 ルイゼのおずおずとした問いに、ミアは頼もしく答えた。


「七分で充分です」



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