第3話.出逢いの日1

 


 初めてルキウスに出逢ったのは、ルイゼが六歳の頃のことだ。



 まだ母が健在で、父もルイゼに優しかった頃。

 父とリーナと共に、貴族の子供が招かれる王家主催のお茶会に参加したことがあった。


 子供にとっては社交界デビューの練習というのもあり、社交的なリーナは張り切っていたのだが、ルイゼはといえば億劫だった。


 だって本を読むルイゼのことを変わり者だと、おかしいのだと、リーナは毎日のように笑う。

 だからいろんな子に出会っても、きっとルイゼの趣味は笑われてしまうだろう。


 そう思うと悲しくて、せっかくのお茶会にだってまったく積極的な気持ちになれなかった。


「この方がフレッド殿下だ。ほら挨拶しなさい、ルイゼ」


 目の前には、にこにこと笑顔を浮かべた可愛らしい金髪碧眼の少年が立っている。

 父に背中を押され、ルイゼは必死に覚えた挨拶の言葉を口にしようとした。


「ルイゼ・レコットといいます。ほ、本日は素敵な会にお招きいただき――」


 そのとき後ろから背中をつねられて、ルイゼはびくっと固まった。

 そんなルイゼの耳元で、指の力を強めながらリーナがぼそりと呟く。


「ルイゼはあっちに行っててよ。アンタみたいな冴えないのと姉妹だって王子様に思われたくないから」

「…………分かった」


 ルイゼは頷いた。

 心配そうにしている父と王子に、申し訳なさそうな笑みを作って頭を下げる。


「ごめんなさい。私、気分が悪いのであっちで休んでいます」


 その場を離れた後は、すぐ後ろから楽しそうに話すリーナの声が聞こえてきた。


 なぜか視線を感じて振り向くと、この国の王子だというフレッドと目が合ったが……それもすぐに逸らされる。

 王族の前で気分が悪いなどと言って、きちんと挨拶もできなかったので怒っているのだろうか?


(……帰りたい)


 ルイゼは楽しげに話す子供たちの間を、俯きながらとぼとぼと歩いた。

 そのせいか、気がつけば会場からはずいぶんと離れ……人の居ない区画まで来てしまっていた。


「……どこかな、ここ」


 父は宮中伯として長年勤めているが、ルイゼ自身は王宮にやって来たのは初めてだ。

 見慣れない景色の中でルイゼの不安は増し、足取りも次第に重くなっていった。


 それでも元の場所に帰りたいとも思えず、ルイゼは花壇のある庭らしき場所でしばらく休むことにした。

 柔らかな緑の芝の上を歩き、立派な一本木の幹に背中を預けて身体を丸くする。


 あと数時間くらいこうして丸くなっていればお茶会も終わるはずだ。

 そうすれば家に帰れる。そんな風に思っていたのだが。



「…………ふわぁ」



 すぐ近くから、大きな欠伸が聞こえてきて……驚きのあまり硬直した。


(えっ?)


 キョロキョロと見回してみるが、周囲に人の姿はない。

 しかし欠伸の次には、本のページをめくるような音までした。


 ……すぐ後ろからだ。

 ルイゼは息を殺し、スカートに足を引っかけないよう気をつけながらも、一本木の裏側をそぅっと覗き込んだ。


 そこにルイゼと同じように木に寄りかかる人が居た。

 作り物のように美しい横顔をした少年が。


(……この方は……?)


 たぶん、お茶会の会場では見かけなかったと思う。

 こんなに目立つ人を見かけていたら、絶対に忘れることはないだろうから。


(……えっと。女の子じゃなく男の人……だよね?)


 ルイゼは気づかれていないのを良いことに、じーっと密かに観察を続ける。


 肩まで無造作に伸ばされた銀色の髪に、きめ細やかな白い肌。

 中性的な魅力を持つ美貌はあまりに精巧で、この世のものではないかのようだ。


 だがルイゼには疑問があった。


 今日の会に招かれた子息令嬢は、今年六歳を迎えた子供だけのはずだ。

 でも目の前の少年は、どう見繕っても十五歳は超えているように見える。

 誰か、お茶会に参加した子供の兄なのだろうか?


 頭を悩ませていると、その人物がおもむろに振り返った。

 そしてその瞬間にルイゼの心臓は止まりかけた。



 深い青を宿した灰簾石タンザナイトの瞳が、あまりにも綺麗だったから。



「――ご、ごめんなさい」

「………………」


 不躾に見つめていたことを詫びるも、少年は答えなかった。

 冷たい無表情のままルイゼから視線を外し、手にした分厚い本に視線を戻す。


 その佇まいだけで分かった。この少年はレコット家よりも上級の、高貴な身分の生まれだろう。

 所作の一つを取っても洗練されていて、ただ読書しているだけなのに優雅でさえあったから。


 この場を離れたほうがいいと思ったルイゼはすぐに立ち上がった。


 しかし、どうしても――少年の読んでいる本の内容が気になってしまった。


(だって、私の周りで読書する人はぜんぜん居ないもの……)


 父はよく難しそうな書物を漁っているが、少なくとも同年代の子供には居ない。

 ルイゼは覚悟を決め、少年に話しかけた。


「……あの、私ルイゼといいます。何の本を読んでいるんですか?」


 子供には分からない。女には分からない。

 そう突き放されてしまうだろうか。それとも無視されてしまうだろうか。


 でもその人は、本に視線を落としたまま……どうでも良さそうな、淡々とした口調で答えたのだ。


「本というか、魔道具の一覧リスト

「……えっ!」


 ルイゼが興味を示したと分かったのだろうか。

 少年はこちらをちらりと見てから、小声で付け足した。


「王立図書館で借りられる」


 ――う、羨ましいっ!!


 魔道具とは、魔石を動力として使用することで一時的あるいは長時間、自動で作動する道具全般のことを指す。

 ルイゼの興味は魔力によって発動する魔法そのものに向いているが、もちろん魔道具とて例外ではない。

 魔法の研究や解明が進めば魔石への理解が深まり、魔道具だってより進歩していくからだ。両者は切っても切り離せない関係なのである。


 だがルイゼの知る限り、町にある図書館や家の書斎、どんな本屋にだってそんな素晴らしい本は置いていない。

 気がつけばルイゼは身を乗り出して少年に話しかけていた。


「じゃあ【眠りの指輪】は?」

「……不眠症に役立つ魔道具か。またマイナーなものを」

「じゃあじゃあ、【千里水晶せんりずいしょう】は?」

「よく知ってるな。この国じゃ中央教会だけが所有してるレア魔道具だぞ」


 嫌がる素振りも見せず、少年はルイゼの問いかけに応じてくれた。

 相も変わらず表情には乏しく、億劫そうでもあったが……それでも、突き放さずに。


 ルイゼはそれが嬉しくて、目を輝かせては次の質問を繰り出していく。


 ……そうしている間にいつのまにか。



「南のエ・ラグナ公国では炎の魔石がたくさん採れると聞きますが、炎魔法を付与した魔道具はあまり発表されていませんよね?」

「他系統に比較しても炎や風系統はだからな、魔石に指向性を持たせるのは難しいんだ……。魔術師も付与術師も、あまり魔道具の実験に協力的でない場合が多いし」

「ああ。むしろ魔道具に仕事を奪われるのを嫌がる方も多いと聞きます」

「二流三流であるほどに、な」

「手厳しいです!」

「そうか? ただの事実だけどな」



 その後も数十分にわたって、二人は魔道具談義をしていた。


 話題は尽きるはずもない。

 魔道具の載った本を読んでいるだけあり、少年は異様なまでに魔道具に詳しかった。

 話を聞くのが楽しくて仕方が無くて、ルイゼはこの時間がいつまでも続いてほしいとさえ願った。



 そんな風に思っていたから。

 少年がいつのまにか本を閉じ、隣に座るルイゼにずっと横目を向けて話していることにも……ルイゼはまったく気がついていなかった。



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