第2話.懐かしい名前

 


「お姉様、わたくしの替え玉になってくださらない?」



 それは、魔法学院に入学して間もなくのこと。

 唐突にそんなことを言い出した妹のリーナに、ルイゼは困惑した。


「……リーナ、それはどういう意味?」

「言葉の意味そのままよ。わたくし、いちいちテストとか受けるの面倒なの。お姉様はお勉強だけはお得意だそうだから、。ただそれだけの話よ?」


 あっけからんと言い放つリーナに、ルイゼは沈黙する。

 また、妹が訳の分からないことを言い出した。ルイゼは頭が痛くなってきた。


 ルイゼとリーナの双子の姉妹は、鏡合わせのようによく似ている。

 幼い頃の二人を見分けられたのは、病で亡くなった実の母親だけだったそうだ。


 しかし最近では、そんな二人の外見にも少しずつ差異は生まれつつある。

 ルイゼは薄化粧に動きやすい格好を好むが、リーナは化粧が厚く、豪奢な服装を選ぶ傾向にあった。


 だが、リーナは何も心配はないというように笑う。


「ああもちろん、化粧や服装、それに髪型やアクセサリーはその都度わたくしが指定するから安心して。お姉様はわたくしと違って最新の流行も知らないもの、さすがにわたくしも、そんな冴えない人間だと周りに誤解されるのは屈辱だから」


 リーナは自分勝手な暴論をまくし立てるように喋っている。

 ルイゼは何とか、口を開いた。


「もういい加減やめてよ、リーナ……」

「あら? 何のこと?」


 青ざめたルイゼに対し、リーナはとぼけるように頬に手を当てる。


 リーナはかんしゃく持ちだ。気に入らないことがあるとすぐに物を投げたり、人に当たったりする。

 自分に危害が加えられるだけならまだ良かった。ルイゼはそれなら耐えられた。


 だが、ルイゼが我慢強いのに気がついたリーナはすぐに方針を変えた。

 ルイゼではなく、家の使用人に当たり散らすようになったのだ。


 その結果、十年前のあの日――侍女見習いの少女の顔に、一生涯消えない傷を残すこととなったのだ。



(……あの日から私は、リーナの言葉には逆らえない)



 それだけではない。


 使用人に暴力を振るったり、無理難題を押しつけたり。

 それにルイゼの友人に、、辛辣な言葉をぶつけては遠ざける。


 それでも――どうしても、ルイゼは今回のリーナの申し出だけは受けたくなかった。


 この魔法学院で、ルイゼには叶えたい夢があるから。

 子供の頃から大切に胸に抱いてきた、たった一つの夢があったから。


 王族の婚約者であるルイゼには、叶えるのが困難かもしれない夢だが――それでもずっと、目指してきたもの。


「お願い、リーナ。試験は自分で受けてほしいの。勉強ならもちろん手伝うから」

「? お姉様、よく分からないけれど……もともとお姉様の意見なんて聞いてないわよ」


 だって、とリーナは続けた。


「一時でもわたくしの代わりを務められるなんて、お姉様みたいなつまらない人間にとってとんでもなく名誉なことなのよ?」




 +++




 ……嫌な夢を見た。


 繰り返し繰り返し、何度も見ている夢だ。

 おかげで寝起きは最悪だった。全身を、汗が流れているいやな感覚がある。


(【眠りの指輪】が無いと、夢見まで悪い気がする……)


 ルイゼは身を起こし、ベッドの上でぎこちなく伸びをした。


 まだ早朝の鐘も鳴らない朝早くだ。

 ルイゼは起き上がると、自室の小さな窓を開けた。

 部屋に入り込んできた生ぬるい風が髪の間に入り込んできて、少しだけ清涼な心持ちになる。


 外の景色をぼんやりとした面持ちで眺めながら、小さく息を吐いた。


「……まさか、部屋から一歩も出るなと言いつけられるとは」




 そう。

 フレッドから婚約破棄を告げられたあの日の深夜、出かけていた父が帰ってきて――ルイゼは父の書斎へと呼び出され、数時間に渡る説教と叱責を受けた。


 その内容はといえば、よくも名誉あるレコット家の名を傷つけてくれただとか、あれほどの良縁に恵まれながら恥ずかしくないのかだとか、そんなもので……ルイゼは謝罪をしたが、父の怒りは収まらなかった。


 どんなときも点数稼ぎを忘れないリーナは、一度だけ顔を見せにきてこんな言葉を残していった。


「お父様! お姉様は不憫で、お可哀想な方なのだもの。どうか許してあげてね」


 リーナの目論み通りというべきか、説教の内容はあんなに素晴らしい妹が居るのにこの面汚しめ――へと変わり、さらに長引くこととなった。


 数時間も立たされたまま父の激昂に晒されながら、ルイゼはぼんやりと思った。



 では、ルイゼから婚約者を奪ったリーナは恥ずかしくないのだろうか?

 リーナの行為は、淑女として褒められるべき素晴らしいことなのだろうか?



 ……それでも、何も言えなかった。

 幼い頃、涙ながらに無実を語ったとき――口答えするなと、父に頬をぶたれた記憶がまざまざと胸に甦ってしまったから。


 ルイゼにはいつだって諦めがある。

 それは、十六歳の彼女の心を鉛のように重くしている。




 ルイゼは窓を閉めると、机の上を振り返った。


(王立図書館で借りていた本、あと一冊で読み終わってしまうわ)


 王立図書館は珍しい本の収集された場所で、本好きのルイゼにとっては夢のような空間だ。

 この国――アルヴェイン王国では魔法研究が盛んで、王立図書館に所蔵された本にも魔法に関する書物が膨大に存在している。


 その全てを読み切るのを楽しみに、毎週のように通っていたが……フレッドとの婚約を破棄された以上、そう簡単には図書館には通えなくなるだろう。

 王族の婚約者という立場を失ったただの伯爵令嬢であるルイゼの場合、王立図書館に入るにはその度に申請が必要になる。しかも、許可が下りるまでは数日を要するのだ。


 その点だけは、フレッドの婚約者という立場は恵まれていたなとルイゼは思う。


 ……いや、フレッドのことを考えるのはよそう。

 ルイゼは頭を振って、気を取り直すように呼び鈴を鳴らした。


 部屋には間もなく、茶髪に同色の瞳をした侍女が姿を現した。


「おはようございます、ルイゼお嬢様」

「おはようミア。今日も良い天気ね」


 ルイゼ付きの侍女であるミアは明るく微笑み、ぺこりと頭を下げた。

 ルイゼは物心つく前からミアに面倒を見てもらっていたそうだが、正直ミアの外見は二十代と言われても違和感がない。正式な年齢については、ルイゼは知らなかったりする。


 父と妹はルイゼを蔑ろに扱うが、ミアを始めとする使用人の多くはルイゼのことを慕ってくれている。

 ルイゼにとっては、ミアたちこそ本当の家族のように感じられることもあった。


 だから普段人前だと張り詰めているルイゼの表情は、母親代わりのミアの前だと年頃の少女らしく緩むのだった。


「ねぇミア。もうすぐ読む本がなくなってしまうのだけれど、町の本屋や図書館を見てきてもらえないかしら?」


 ミアに着替えを手伝ってもらいつつ(外出できないので部屋着用の簡素なワンピースに着替えるだけだが)相談してみると、ミアは困ったように微笑んだ。


「ルイゼお嬢様ったら、本当に本がお好きなんですから……。叶えてあげたいのはやまやまですが、お嬢様がお気に召すような本が見つかるかどうか」


 悩ましげに唸るミア。

 ちなみにミアは今までにも何回かルイゼの本巡りに付き合ってくれていて、ルイゼの「その本は読んだわ」もしくは「その本は持っているわ」を何十回も聞いていたりする。


「でも、分かりました。探してみますね」

「本当? 助かるわ」

「そもそも、レコット伯爵がお嬢様をお部屋に閉じ込めたりなさるから……」


 低い声でミアが呟く。この五日間、ルイゼ以上に父の横暴な振る舞いに怒ってくれたのがミアだった。


「フレッド殿下にも言いたいことは山ほどありますが。リーナ・レコット伯爵令嬢も、少しは羞恥心というものは無いのでしょうか」


 わざと嫌味にリーナをそう呼ぶミア。

 もちろん、普段リーナの前でミアが隙を見せることはない。

 今はわざと荒い物言いをして、ルイゼのことを慮ってくれているのだろう。


「ミア。心配してくれてありがとう」

「私にとっての主はルイゼお嬢様ただお一人ですので」


 着替えを終えると、他の侍女が部屋にやって来た。


「ルイゼお嬢様。お手紙が届いています」

「ありがとう。差出人はどなたかしら?」

「えっと、王族の……」


 それを聞き、思わずルイゼとミアは無言のまま目線を交わす。

 雰囲気が変わったのに驚いたのか、侍女は手紙を差し出したまま固まってしまっている。


「……ごめんなさい、もらうわね」


 ぎこちない笑顔ながら手紙を受け取るルイゼ。


 確かに封蝋を見てみれば、赤いつたに縁取られた獅子の横顔が描かれている。

 このマークはアルヴェイン王国の国家の紋章であり、王族の家紋でもある。


 しかしルイゼが個人的に関わりを持つ王族なんてひとりだけだ。



 ――フレッド・アルヴェイン。



 五日前、大勢の人々の前で婚約破棄を宣言し、ルイゼに恥を掻かせた張本人……元婚約者の彼。


 手紙に綴られているだろう罵詈雑言を思うと、さすがにルイゼも憂鬱になる。

 それでも、どうせいつかは読まなくてはならないのだ。それなら早めに読んでしまったほうがいい。


 ミアたちが退出したので、ルイゼは抽斗ひきだしのペーパーナイフを取ろうとした。

 しかし自分でも焦っていたのか――握っていた封筒を、手から取りこぼしてしまった。


「……ああ、もう」


 絨毯の上に落ちた手紙を拾おうとして。

 ふとルイゼは気がつく。


(…………違う)


 裏返った封筒の表面に書かれた名。


 左上に書かれた差出人の名前は……


 気がついた瞬間、ルイゼは大きく目を見開いた。

 それは、ルイゼにとってひどく懐かしい人物のものだったから。




「……ルキウス様」




 ――ルキウス・アルヴェイン。


 そこにはアルヴェイン王国の第一王子である彼の名前が、走り書きで綴られていた。


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