【5巻発売中】婚約破棄された替え玉令嬢、初恋の年上王子に溺愛される【コミック2巻発売中】

榛名丼

第一部.初恋との再会

第1話.婚約破棄されました

 


「ルイゼ・レコット! 僕はお前との婚約を破棄する!」



 婚約者であるフレッド王子が告げる声を、ルイゼは唖然として聞いていた。


 とある公爵家の主催した夜会の真っ最中である。

 着飾った人々の談笑する声であんなにも華やかに賑わっていた広間に、今やシンと沈黙が満ちている。


 そもそもフレッドは今日、急な体調不良だとかで夜会を休んでいたはずだ。

 おかげで土壇場でパートナーを失ったルイゼは、周囲にチラチラ見られながらも一人で参加せざるを得なかった。


 それなのにキチンと正装姿をしたフレッドの……その隣には、彼に寄り添う少女の姿がある。


 艶を流す、よく手入れされた鳶色の長い髪。

 光を放つかのような紫水晶アメジストの瞳。

 白磁の肌にさくらんぼ色の唇をした、思わず守ってあげたくなるような愛らしい容姿の少女。



 外見だけならば、ルイゼに――ほくそ笑むような表情を浮かべた、リーナ・レコットが。



 立ち尽くすルイゼに、フレッドは軽蔑するような眼差しを向ける。


「魔法学院でも成績は最下位、授業も休んでばかりだったな。王族の婚約者としてお前はあまりに不適格だ」

「…………」

「それに比べ、双子の妹であるリーナは努力家で学業成績にも優れ、友人も多く、僕から見ても驚くほどに立派な淑女だというのに……ルイゼ、お前は姉として少しは恥ずかしいとは思わないのか!」


 呆れたように吐き捨てるフレッド。

 そんな金髪碧眼の見目麗しい第二王子・フレッドと腕を組んだリーナは、口元の笑みを見事に消してみせると、両目に涙さえ溜めて言う。


「フレッド様、そんな風に姉を責めないでください。姉は、とても可哀想な人なんですっ」

「リーナ、お前は優しすぎる。お前が見捨てないからこそ、今までどうにかルイゼもやって来られたんだろうがな」

「フレッド様ぁ……」


 リーナが感激のあまり目を潤ませる。

 フレッドはそんなリーナに頷きかけると、周囲を大きく見回した。


「――そして、ここに集まったみんなに大事なことを聞いてもらいたい」


 わざとらしく咳払いをしてから、フレッドが上ずった声で言う。


「残念ながら婚約者に恵まれなかった僕だが……そんな僕に、真実の愛というものを教えてくれた人が居た。


 僕は、隣にいるリーナ・レコットっ……彼女と正式に、婚約を結ぶ!」



 その瞬間、割れんばかりの拍手が広間に響き渡った。

 祝福に包まれたフレッドとリーナは、幸せそうに腕を組んで微笑みを交わす。


「お似合いですわ、フレッド殿下」

「リーナ・レコットほどの"才女"は他に居ないからな」


 そんな声があちこちから上がる中、誰かがボソリと言った。


「やっぱり、おかしかったのよね。あの無能令嬢が殿下の婚約者だったなんて……」


 拍手の音に紛れてクスクス、と数人の笑い声が響く。

 貴族たちの侮蔑と、嘲笑と同情と、好奇の視線を一身に浴びながらも、ルイゼは小さく溜め息を吐いた。


 堂々と陰口を言われるのには昔から慣れっこだ。

 ……そんなことより。


 努力家で学業成績に優れ、友人も多く、素晴らしく立派な淑女……。



(――それ、本当は私なんですけどね)



 全部じゃないけど。学業成績に関してだけは間違いなく。

 正しくは、リーナのを務めていたルイゼへの評価と言うべきだろうか。




 ルイゼとリーナは、レコット伯爵家の長女と次女として生まれた双子だ。


 控えめで地味なルイゼとは違い、昔からリーナは我儘で甘え上手な子だった。

 リーナはルイゼの物なら何でも欲しがり、奪い取らなければ気が済まない性質だった。

 ルイゼはリーナが「欲しい」と言えばお気に入りのオモチャを差し出し、リーナが「いらない」と投げ捨てれば壊れたオモチャを屈んで拾った。


 それどころかリーナは都合の悪いことがあると「ルイゼがやった」と周囲に言いふらす悪癖があり、ルイゼは困るばかりだった。


 昔は、勇気を出して父に相談したこともある。

 優しい父が眉を怒らせて注意したことで、リーナがしばらく反省したこともあったのだ。


 でも、いつからだっただろう――。

 ある日から突然、父はルイゼが何を言っても信じてくれなくなった。


「嘘ばかり吐くな。お前はリーナの姉なのだから、もっとちゃんとしなさい」


 そう叱責される度に、幼い日のルイゼは悲しさと悔しさのあまり唇を噛み締めた。


 十五歳になり、魔力を持つ人間には義務である魔法学院への入学を果たしてからも、そんな生活は変わるどころかむしろ悪化した。

 勉強嫌いのリーナは、入学後まもなく魔法学院の授業についていけなくなったらしい。


 ある日、同室のリーナはルイゼに向かって、愛らしく小首を傾げてみせた。



「お姉様、わたくしの替え玉になってくださらない?」



 ――そんなリーナの一言から、ルイゼは逃れることが許されなかった。


 ルイゼは試験や重要な授業のときだけリーナとして登校し、周囲が驚愕するほどの華々しい成績を残した。

 そしてその結果として、ルイゼ・レコットの成績は見る見るうちに落ちていったのだ。


 それもそのはず。

 フレッドも言った通り、ルイゼがリーナの代わりに出席するということはつまり――ルイゼ自身は、大切な試験のほぼ全てを欠席せざるを得なかったから。


 一年間の学校生活の終わり……卒業式ではリーナが卒業生代表として挨拶をした。

 代表に選ばれるのは首席の生徒だ。そしてとびきり優秀な生徒は、在学中に魔法省や――魔法大学への推薦スカウトを受けることもある。


 リーナもその筆頭だったが、勉強など大嫌いだと豪語するリーナはその全てを素っ気なく撥ねつけた。もちろん、ルイゼの意見など聞くこともなく。


 ルイゼのたったひとつの夢が、魔法大学に行くことだった。

 そのために普段から学術書を読んでは、魔法のことを熱心に学んで過ごしてきたのだ。



 それでもそんな大切な夢は、こうして呆気なく終焉を迎えた。



 ルイゼは、卒業式の日には部屋に籠もりきって声を上げて泣いた。物心ついてから、ルイゼが泣いたのはあれが初めてのことだった。


 小さな頃からの婚約者であるフレッドも、当初こそルイゼを心配する様子はあったものの、それは次第に授業を何度も休むルイゼへの軽蔑へと変わっていった。

 馬鹿な婚約者を持って恥ずかしい、お前の妹のリーナはあんなに頭が良いのに……と面と向かって言われたことさえあったほどだ。




 ほんの一ヶ月前までの地獄のような学園生活を思い返して、ルイゼは嘆息する。


(……双子なんて神秘的だとか、眺めていて微笑ましいだとか、そんな言葉を向けられることもあるけれど)


 ルイゼからすればとんでもない。

 都合の良いときだけは代わりに使われ、時には自分の名を騙った妹に悪評を広められ、数少ない友人さえ失う。



 自分と同じ顔をした悪魔がずっと傍に居る。

 それがどれほどの苦痛か、理解できる人間は少ないだろう。



「さきほどから黙っているな、ルイゼ。全て事実である故に言い返すこともできないのか?」


 フレッドから言葉を投げかけられ、ルイゼは無言で彼を見返した。


 真実を――今までのすべてを、今ここで彼に打ち明けられたらどんなに良いものか。

 しかし今さら、フレッドが信じてくれるとも思えなかった。


 次にルイゼはフレッドに寄り添うリーナを見つめた。

 リーナが以前から、ルイゼの婚約者であるフレッドに興味を抱いているのには気がついていた。

 というのもフレッドに惹かれているというよりは、ルイゼだけが得ていた王族の婚約者という地位が欲しくなったのだろう。


 ……ルイゼはフレッドのため、国のために厳しい王妃教育だって弱音の一つも吐かずに受けてきたけれど。

 しかしフレッド自身からこうして婚約の破棄を宣告された以上、それもすべて無意味なことだった。

 今後はリーナがルイゼに代わり、彼を隣で支える立場となるのだから。


 そこまで考えたところで――。


 ……あれ? とルイゼは内心、首を傾げる。


(つまり――私は、リーナの替え玉からは解放されるってこと?)


 学院ではリーナの演技をして振る舞い、授業を受けては試験に解答した。

 気分屋のリーナが『面倒くさい』と言ったときにはリーナの代わりに外出し、リーナの代わりに人付き合いをして、リーナの代わりにダンスパーティーに出席して愛想を振りまくこともあった。


 勉強家のルイゼにとって、それは非常に面倒なことだった。

 そんな暇があるくらいなら、学術書の一冊でも読んでおきたいと思っていたのだ。


 ということはつまり、


(……うん。それ、けっこう悪くないんじゃない?)


 ルイゼはそう率直に思った。

 これからもリーナに食い潰され、自分の人生はそうして詰まらなく終わるのだと思っていたけれど。


 これからはちゃんと、自分の――自分だけの人生を、生きられるかもしれない。

 毎日安らかに、本を読んで生きることならばきっと。


 そう思うと少しだけ心が軽くなった。

 というより、そう思わなければやっていられなかったのかもしれないが。


 ルイゼはふんぞり返るフレッドを見つめ言い放った。


「フレッド殿下。私は婚約破棄の申し出を甘んじて受け入れます」


 それを聞いたフレッドが驚いたような顔をする。

 ルイゼが婚約破棄を嫌がり、泣くか喚くかの想像でもしていたのだろうか。


「それと最後に」


 ルイゼはスカートの裾をつまんだ。

 そして、誰もが思わず見惚れてしまうような美しい所作で優雅に一礼してみせる。

 下げた頭の動きと同時に柔らかく、鳶色の長い髪が彼女の華奢な肩に垂れた。


 ルイゼは顔を上げ、ポカンとしている二人に向かって――毅然と微笑んでみせた。




「フレッド殿下。リーナ。ご婚約本当におめでとうございます。どうか二人でお幸せに」




 そう言えた自分のことを、家に帰ったら褒めてあげようとルイゼは思った。



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