第6話.秘書官は嘆く

 


 イザック・タミニールは、ルキウス・アルヴェインの秘書官である。


 イザックの母親はイザックの父である辺境伯に嫁ぐ以前に、王宮女官として勤めていた。

 そのときの縁で、誕生日の近いルキウスとイザックは乳兄弟として育ってきたのだ。


 時により、乳兄弟とは実の兄弟以上の強い絆で結ばれる。

 二人の場合もそうだ。イザックはルキウスについていくと幼い頃から決めていた。だから彼に見合うだけの努力をし続けて、専属秘書官としての地位を勝ち取ったのだ。



 ――とはいっても、この十年間は、イザックさえルキウスの傍に在ることは許されなかった。



 というのも魔法大学は特殊な世界で、たとえ王族だろうと奴隷だろうと、入学さえすれば誰もが平等に扱われる場所とされており――在学中、ルキウスには護衛のひとりもつけるのが許されなかったためである。


 許可されたのは入出国時の送り迎えのみだ。

 今回も数日前にルキウスから帰国する旨の連絡を受け、急遽イザックはイスクァイ帝国へと護衛騎士を引き連れて渡ったのだった。



(いやー、やっぱり違うねぇ。ルキウスが王宮に居ると)



 そして今、執務室にて書類にペンを走らせる姿を見守りながら……イザックは思わずにんまりと笑う。


 銀髪碧眼の見目麗しい第一王子は、今も書類仕事に勤しんでいる。

 しかしその姿自体は、イザックにとっては見慣れたものである。


 ルキウスが十五歳のときに開発した魔道具――【通信鏡つうしんきょう】。


 それは遠方と遠方との景色と音声をつなぐ画期的な魔道具だ。

 ルキウスは大学に通いながらも【通信鏡】を使ってイザックたち部下と連絡を取り、第一王子としての政務をこなしてきたのである。


 次期王位に最も近い尊き立場でありながら、隣国への長期にわたる留学を許されたのもそのためだ。


 【通信鏡】の使用については大学からも許可されているというが……イザックは一度、不思議に思いルキウスに訊いてみたことがある。


『それってさ。大学的にはアウトなんじゃねぇの? 大学内部から外部への通信を許したら、大学の機密とか【通信鏡】を通していろいろ漏れちゃいそうじゃん』

『……無論、情報漏洩への対策は熱心に施されている。俺も認めるレベルの抜け目ない対策がな』


 そんな風にルキウスは苦笑していた。

 イザックの予想では、おそらくにでも、何か仕掛けが施されているのではないかと思うが……触れない方が良い案件だろう、と思ってそれ以上は追究しないことにした。


 世の中には知らないままでいたほうが良いこともあるのだ。


「イザック。終わったぞ」


 書類の山をアッサリと処理してみせたルキウスに、「はーい」とイザックは応じる。

 ルキウスの出来の良さは、イザックにとって今さら驚くべきことではない。だが何より誇りでもある。


 イザックにとって仕えるべきは国王でも王妃でもなく、ましてあの阿呆っぽい第二王子でもない。

 ルキウスただ一人が、主たりえる人物なのだ。


「ふぅ……」


 さすがに帰国したばかりで疲れもあるのか、目頭を揉んでいるルキウス。

 だが無論、ここで帰してやるほど大人しいイザックではない。


「それで、愛しのルイゼ嬢のご様子はどうだったんですか?」


 途端、自分を睨みつけてくるブリザードのごとき瞳にイザックは背筋がゾワリとした。


(うお、怒ってる怒ってる)


 だがイザックも引かない。笑顔のままルキウスと向かい合う。


 この十年間、ルキウスは誰に何と言われようと一度たりとも帰国しなかった。

 そんな男が、――ただそれだけの理由で大学院を修了して帰国するのだと密かに告げてきたときは、イザックは驚きのあまり転倒しかけた。


 それだけでも大事なのだが、それで終わりではない。

 ルキウスは昨夜、アルヴェイン王国入りすると同時に早馬で手紙を出していた。

 そして昨夜から今日の午前にかけて、王族や大臣たちへの挨拶を早急に済ませると午後にはとある伯爵家へと向かっていた。


 これはもはや大事件である。


(昔っから浮いた話が一つも無いヤツだったが、まさか既に恋い焦がれる少女が居たとは)


 その凍てついたような無表情と冷たい物言いから、まるで氷のようだなどと称されるルキウスだが。

 そんな男がご執心らしい令嬢が居る、なんて知った以上は、面白すぎて――もとい兄貴分として心配で、イザックは探らずにいられないのだった。


「イザック。何度も言っているが、ルイゼと俺は友人同士だ」

「へいへい。それで今日会ったんでしょ? どうだったんですか?」


 ワクワクしながらイザックが訊くと、ルキウスは腕組みをしつつ淡々と応じた。


「相も変わらず……いや、思った以上に成長して、綺麗になっていた」

「そうっすかー。綺麗にね」

「知的な紫水晶アメジストの瞳も変わらないな。……おい、その笑いをやめろ。不快だ」

「悪い、悪い」


(思った以上にベタ惚れじゃねぇか!)


 未だかつて、ルキウスが他人を「綺麗」だとか「知的」だとか表現したことがあったろうか?

 ……いや、無い。長い付き合いだが、イザックはそんなの聞いたことがなかった。


 喜びと興奮と、それとムズ痒さを感じてイザックは顔のニヤニヤを抑えるのに必死である。

 そんなイザック相手に、ルキウスが平静な口調で問う。


「……イザック。お前はルイゼと話したことはあるか?」

「遠目に見かけたことはありますけどね。さすがに直接話したことはないですよ」


 伯爵家の令嬢、ルイゼ・レコット。


 ルイゼは、ルキウスの実の弟であるフレッドの元婚約者だ。

 十年前、お茶会にて出逢ったルイゼ嬢にフレッドが一目惚れし、婚約を申し込んだというのは有名な話である。


 そんなルイゼに、ルキウスは一体どこで知り合ったのか。

 留学よりは前――つまり十年以上前なのは間違いないが、ルキウスは詳しく教えてくれなかった。


(コイツも横恋慕することなんてあるんだな。……いや、時期からすると逆か。先に好きだった……ってことか?)


 その方があり得るかもな、なんて思うイザック。


 何せフレッドは、第二王子とは名ばかりのお馬鹿な王子なのだ。

 優秀なルキウスへの劣等感だらけで、どうやってルキウスの鼻を明かしてやろうか、邪魔をしてやろうか、そうやって出来もしないことを延々と考えては失敗ばかりしていた少年。


 ルキウスがルイゼを気に掛けていると知ったフレッドが、いち早くルイゼに婚約を申し込んだのだろうか。


(今となっては、どうでもいいことか)


 五日前にルイゼはフレッドに婚約破棄を宣告されている。

 イザックとしては主の恋の障害が少なくなったことに安堵を覚えていた。


 だが、ルキウスはどうやらそれで浮かれているわけでもないらしい。


「お前から見てルイゼ・レコットはどんな人間だ?」

「難しい質問ですねぇ……」


 うーん、と唸るイザック。


「妹のリーナ・レコットの話はよく耳にするんですよ。才女だとか、淑女の中の淑女だとか。でも姉の方は……」

「悪い噂ばかり、か?」

「……まぁ、そうです。無能とか間抜けとか、明け透けにね」


 非常に言いにくかったが、素直に白状する。

 でも、とイザックは頬を掻きながら付け足した。


「俺はまぁ、何度か王宮ですれ違ったくらいですが。正直言うとそんな風には見えませんでしたけどね」

「ほう?」

「背筋がしっかり伸びてる、っつーのかな。礼儀作法もちゃんとしてて、嫌味がない。ああいう風に振る舞える女性は、少なくとも無能ではないなと」


 ルキウスの思い人と分かったから、というわけではない。

 イザックは前々からそう感じていた。世間の噂の適当さ加減に呆れる程度には。


「そうか。……リーナ・レコットというのは、フレッドの新たな婚約者だったな」

「ええ。五日前のフォル公爵家の夜会で、フレッド殿下は姉に婚約破棄を告げた次の瞬間には妹との婚約を宣言していた、と。王都ではかなり話題になっていますね」


 しばらく、ルキウスは顎に手を当てて考え込んでいる様子だった。


「イザック。ルイゼについて……というよりレコット家について調べてくれるか?」

「それは構いませんけどね。何かきな臭いと?」

「まだ確証はないが、どうも気になる」

「了解です」


 イザックは退室しかけたが、その途中で振り返った。


「……ルカ。妙なこと聞いていいか?」


 殿下、ではなく。幼い頃そうしていたようにルキウスを呼ぶ。

「何だ」とルキウスが応じると同時、イザックは訊いた。


「今日、そのルイゼ・レコット伯爵令嬢とは何を話したんだ?」

「何って、大したことじゃないが」


 それから何でもないようにルキウスは続けた。




「もしも俺と結婚すれば、君の世界はもっと広がるかもしれない、と」




 ………………しばし、室内には長い沈黙が降りた。


「……それ、ほとんど求婚じゃんか」

「まったく違う。俺とルイゼはただの友人同士だぞ」


 憮然とした面持ちでルキウスが言い返してくる。


「でもあのときは、そんな提案がフッと浮かんで……ルイゼに失礼だと思って、途中で口の動きを停止したがな」


 何故だろうな、とか言いながら窓の外に視線をやるルキウス。


(…………これで無自覚なのコイツッ!?)


 イザックは戦慄いた。

 ルキウスが王子でなければ、たぶんその形の良い頭を小突いていたと思う。容赦なく。何回か。


(――なんて仮定が飛び出す時点で、単なる友情なわけないだろ)


 言ってやりたい。

 ものすごく言ってやりたいけど。


「……早く明日が来ないものか」


 ボソッと呟いて景色を眺める横顔の、口元が小さく緩んでいるのを確認して、



(……うん、純真ピュアすぎて言えねえな!)



 出来る専属秘書官――イザック・タミニールは潔く諦めたのだった。 



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