第3話 再会

「次は越谷、越谷です」

(はあっ……。越谷、ね……)

 あれから八年の年月が経った。

 俺は大学を中退した後、教師の夢を諦め、昔は蛇蝎だかつの如く嫌っていたヤンキー達に混じって建設現場で働いていた。

 けれども、新型コロナ不況の影響で俺は首を切られた。仕方なく、幾つもの地元の会社に応募してみた。だが、どこもかしこも雇ってくれなかった。仕方なく、引っ越す覚悟で色々な地域の会社に応募してみた。すると、一つだけ明るい返事をくれた所があった。しかし、そこは……俺の大嫌いな渋谷に本社を置く建築会社だった。そこから直々に「面接に来てくれ」と言われたのだ。

 大嫌いな渋谷に行くのは気分が重い。だが、背に腹はかえられぬ。親が定年退職した今、俺自身で金を稼げなければ明日の食べ物にも困る状況だ。俺は東武線を乗り継いで行き、渋谷へ向かう。無気力に陥っている中、荷物棚の上のテレビを見て暇を潰す。荷物棚の上にテレビがついているのか。最近の電車は進んでいるなぁ……。


 電車は越谷に到着した。ドアの方に目をやると、小さな可愛いらしい女の子が乗り込んできたのが見えた。その顔はどこだか因縁のあいつ、新井杏樹によく似ていた。あの阿婆擦れも、こんな無垢むくな少女だった時期があるんだろうな。そう思うと、何だか悲しくなってくる。

 少し遅れて、母親らしき人が乗り込んできた。俺はその人と目が合った――

「あっ……杏…ちゃん?」

「あっ……アキ…くん?」


 その母親は新井杏樹、まさにその人だった。ソープ嬢をしていた経歴を隠して、結婚までして、子供まで授かったのか。子供に何て落とし前をつける? 夫に過去がバレたらどうするんだ? 疑念ぎねんは尽きない。けれども、自然と怒りは湧いてこなかった。ただ、ただ……

「ママ、あの人、知り合いなの?」

 女の子は母親に声をかけた。

「ま、まあね」

 母親は言う。

 俺は右隣の席を叩いて、暗に「ここに座れ」と指し示した。杏樹ははそこに座り、娘を更に右隣に座らせた。

「もう八年前か。早いね。心配したよ、急にいなくなったもので」

 杏樹は言う。

「他人事か? なあ、誰のせいだと思っている?」

「わ、私のせい?」

「決まっているだろ、新井杏樹……」

「今は進藤しんどうって言うの。同い年の同僚と結婚したんだ。それでこの娘は……」

つむぎです!」

 女の子は言った。

「そ、そうか……。なあお前、よく結婚できたな。あんな過去があって」

「夫はその過去も含めて受け入れてくれたよ。馬鹿だったな、あの時の私……。好奇心だけで、あんな仕事に手を出して」

「良い夫を見付けたな。それで、先生にはなれたのか?」

「一応教員免許は取れたんだけどね、学校の先生にはなれなかったな。でも、塾の先生をやっているよ」

「あの経歴が不採用の決め手だったんじゃないの」

「アハハ、そうかもね」

「そうかもね、じゃねぇだろ。何を笑っているんだよ……」

「ごめんね。ねえ、アキ君はどちらへ……」

「渋谷だよ……」

奇遇きぐうだね。私も渋谷に行くんだ。紬がどうぶつの森が好きでね、任天堂にんてんどうショップに行きたいって言うから連れて行くんだ」

「そっか……。立派に育てろよ」

 行き先は同じ渋谷。なのに、噛み合わない二人の想い。

 ああ、どうしてこんな事になってしまったのだろう。やるせない気持ちで、胸が一杯だ。


 電車は渋谷に到着した。俺と、新井杏樹改め進藤杏樹、その娘の紬ちゃん。三人はホームに降り立った。

 ホームドアがついた以外は、半蔵門線・田園都市線ホームの様子はあの時から変わっていなかった。乗ってきた方向はあの時と逆だったけれども。

「ねえ、覚えている? いつもこのエスカレーターを上がって、大学に通っていたよね」

 エスカレーターを上がっている時、杏樹は言った。

「忘れるものか。俺がお前のせいで……こんな目に遭っていると言うのに」

「えっ? 私が何かした?」

「……お前には分かるまい。もう良いよ」

 俺と杏ちゃんは駅を抜けて、地上へと上がった。

 地上の様子はあの頃とは大分違っていた。一際目立っていたヒカリエは、二つの巨大なビルに取り囲まれて目立たなくなっていた。他にも、銀座ぎんざ線の駅舎が新しくなっていたり、東急とうきゅうプラザが無くなっていたり……変わった所を挙げればキリが無い。俺がここに来なくなった八年で、こうも変わるとはな。

「それじゃあ、ここで。久々に会えて良かったな。またね」

「またねー」

 別れ際、杏樹と紬ちゃんが俺に手を振った。

「ま、またね……」

 俺は一言告げて、反対の方向へと走り去った。さよなら、俺の魔性の女。愛する家族と共に、幸せに暮らせよ…………。

 何メートルか走り去ると、もう杏樹の事は頭から消え去っていた。ただ、ただ、これから受ける建築会社の採用面接の事ばかりを考えていた。

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渋谷の大学生 加藤ともか @tomokato

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