第2話 天罰

 やり場の無い、行き場の無い思いが俺の胸を覆っていた。

「杏ちゃんとセックスがしたい」

 そんな最低で、単純極まりない劣情。

 考えれば考える程、俺の胸を引き締め、苦しめていた。幾ら杏ちゃんと近付こうとも、仲を深めようとも、セックスできそうに無い。いや、近付けば近付く程、セックスからは遠ざかっていくような気すらした。

 その思いを紛らわす為、俺はソープランドに行く事を決意した。外食と学食をやめて自炊し、バイトの残業を多くこなし、三年生の七月には封筒が膨れる程の金が貯まった。どうせ初めてなら、高くて評判の良い嬢の相手になりたい。そう思って沢山の金を貯めたのだ。

 俺は封筒が膨れる程の金を手に、ボロアパートを飛び出し、桜新町駅まで行き、田園都市線に乗って渋谷に行き、副都心線に乗り換えて池袋に行った。池袋西口の風俗街。毒々どくどくしくも燦々さんさんと輝くネオンが夜空を照らす、怪しい雰囲気を漂わせる街並み。

 俺はソープランドに入る前、杏ちゃんを意識から消そうと必死になっていた。杏ちゃんとセックスしたい、と言う下劣な考えが頭の中を覆っていた。消そうとすると、余計に杏ちゃんの事が頭に浮かんで離れなかった。


 俺は店内に入った。店で一番高く、評判の良い嬢を指名した。写真には口元しか映っていなかった。その口元は、どこだか杏ちゃんに似ていた。

 嬢を指名したら、俺は個室に入った。そこにいたのは――


「あっ……杏ちゃん⁉」

「あっ……アキ君⁉」

 俺は嬢と目が合ってしまった。最悪の形で…………。

 俺が彼女を間違える訳が無い。嬢は杏ちゃん、その人だった。

「なっ、何で杏ちゃんがここにいる? なあ、まさかここで働いているのか?」

「そ、そうだけど……」

「ど、どうしてだ? 家が貧乏で、金に困ってか?」

「違うよ。私の家は別に貧乏じゃ無い。ただ、好奇心で……」

「はっ? はあっ? こっ、好奇心だと⁉ お前、好奇心でソープ嬢を始めて、汚いおっさん達とも平気でセックスしてきたのか?」

「うっ……うんっ。まさかアキ君が来たのは驚きだったけど、お客さんはお客さんだから全力でご奉仕ほうしするよ」

「うるさい! 黙れ! 汚いおっさん達のチンポをしゃぶった口で俺に話しかけるなぁ‼ 死ね‼ 阿婆擦あばずれ‼ クソビッチ‼」

 俺は胸が引き裂かれる思いをした。

 まさか、俺の心を捉えてきた女が、俺が想いを募らせてきた女が、好奇心からソープ嬢を始めて、好きでも無い不特定多数と平気でセックスをするような奴だったとはな! 今まで抱いてきた、彼女に対する想いが一瞬にして崩れ去った。俺はすぐに、終わったことにして店を飛び出した。

 俺は清掃工場の脇を抜け、直下に山手線と湘南新宿ラインが走る道路橋まで来た。その奥にはスカイツリーがそびえ立つ。飛び込もうか、いっそここで死のうか。激しい怒りと無気力に襲われた俺にはそんな考えが頭に過ぎった。

 でも、結局飛び込む事は無かった。死ぬ気力も、勇気も失せる程に精神が疲弊ひへいしていた。俺はボロアパートに帰る為、副都心線に乗り込んだ。

 これが俺への天罰てんばつか‼ 杏ちゃんとセックスしたい、では叶えてやるよと、最悪な形で叶わされたな! 劣情に囚われた俺に、神が天罰を下したんだな! ああ、もう何も考えられない。最悪だ、最悪…………。

 俺は渋谷駅で副都心線を降りた。田園都市線からの乗り換えが楽で、空いているからと新宿や池袋に行く際の『裏ルート』として利用してきた副都心線。けれども、東横線との直通運転が始まった今では多くの人で混み合っている。人混みの中、俺はまるでRPGで毒沼どくぬまを通り抜ける時かのように、素早く田園都市線ホームへと移動した。

 俺は渋谷という街が嫌になった。勿論、池袋もだ。もう、二度と行く事もあるまい。子供の頃、憧れていた『東京』そのものだった街が一気に嫌になった。ああ、こんな筈では無かったのにな。あの女に……全てを……全てを狂わされた。


 俺は桜新町のボロアパートに帰ったら、あの女に関するものを全て捨てた。スマホからもデータを全て抹消した。そして、ボロアパートに引きこもった。大学にも、バイトにも行かなくなった。週に一日、スーパーに食料とか洗剤とか、そういった類いの最低限の必需品を買いに行く以外は一切外出しなくなった。

 そんな生活が長く続く筈も無く、俺は親から大学を中退させられ、群馬の実家に連れ戻された。その後の顛末てんまつは……言うまでも無い。

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