第29話 乱戦


「村が見えてきましたぜ! お頭――例の箱さえ手に入れれば、あとはやりたい放題やっていいんすよね!?」


 鼻息も荒く言い放った人相の悪い男に、バーナビーは周囲の音にかき消されない程度に声を張り上げて応じた。


「ああ。なにをしようと自由だ。ただ、呪いにかかった村人に手を出すつもりなら、自分も呪いにかかる覚悟はしておけよ」

「そんな厄介な呪い持ちに用はねえっすよ! よほどいい女ならともかく、野郎だのガキだなんてのは、ぶっ殺して火でもかけるに限りまさぁ!」


 喜々として声を返し、男は馬を走らせる。後続の者たちも似たような思いをありありと顔に浮かべており、バーナビーはわずかに唇の端を吊り上げた。


 行く手にクレナ村が見えてきたところで、バーナビーは馬の速度を落とす。


 その眉が不審そうに軽く寄せられたのは、村の外に停められた黒塗りの大型馬車を目にしたためだった。


 馬車が停まっていること自体には驚かない。エレンに雇われたか、なにか他の目的があってかは知らないが――自分たちのところから呪いの箱を奪い返した者たちが、クレナ村に向かっているという情報はすでに得ていた。


 ただ、それなり以上の戦闘能力を持つ者がいるのなら、自分たちの接近に気づいていないはずがなかった。


 二十を超える騎馬の集団である。まともな警戒心の持ち主なら、村の中に立てこもって少しでも有利な状態で迎え撃とうとするはずだが――


「……まともな警戒心もない愚物か、それとも……わざわざ有利な状況を作る必要もないほど弱い相手だと、舐めてかかられているのか」


 馬蹄の響きと風にかき消されて、誰の耳にも届かない呟きが口から洩れる。


 その声にはいっさいの熱がこもっていなかったが、バーナビーの口元には背筋が凍り付くような笑みが浮かんでいた。


「舐められているのなら、思い知らさないといけないな……この稼業、舐められたらお終いだからな。自分たちが誰に喧嘩を売ったのか、その結果なにが起こるのか――絶対に忘れられないように心と身体に刻みつけてやらないと」


 淡々とした口調でバーナビーは呟く。まるで他人事のような口調と、口元に浮かんだ人食い虎のような獰猛どうもうな笑みは不釣り合いきわまりなかった。


 一番側を走っていた、下っ端らしい汚い身なりの男が、偶然目に入ったそれに慄然とした表情をのぞかせる。

 気づいたら背後に魔物がいたかのような表情は、経験に裏打ちされたものだった。


 青ざめた男の顔を見やろうともせず、バーナビーは徐々に近づいてくる村に向かって馬を走らせる。到着次第、村に血の雨が降ることを彼は疑いもしなかった。


 多少腕の立つ人間がいたところで、暴力を生業としている自分たちに敵うはずはない。


 それこそ桁違いの、金級や白金級に分類される冒険者でもいれば話は別だが――国全体でも百人いるかいないかの彼らが、この場に居合わせている可能性は低かった。


 だとしたら、部下を何人か失ったとしても、自分たちが負けることなどあり得ない。


 もし万が一、その桁違いの人間がいたとしても――勝てないまでも、最低限自分が逃げる時間を稼ぐための道具は用意してあった。

 あとは、相手がほどよく抵抗してくれる、生きのいい獲物であることを祈るばかりだ。


 自分と同等の腕の持ち主など、彼らのうちの誰一人として求めてはいなかった。容易く叩きのめして、暴力をふるう快感と欲望を満たす満足感を得られる相手にしか用はないのだ。


 その身勝手な願望が手酷く裏切られることなど、彼らは想像だにしていなかった。まして、自分たちが竜の口の中に飛び込もうとしているなどとは、かけらも考えておらず――誰かに指摘されたとしても、おそらく信じることは決してなかった。




 近づいてくる騎馬の影を見て、アルベリックは意識を集中して宙に手を差し伸べた。


 同時に空中に浮かんだのは、かなり複雑な構造の魔法陣だった。基本は以前に使ったことのある〈光の矢〉と同じだが、対象の数と狙いの精度が大幅に向上している。

 二十を超える数の騎馬をすべて射程に収めて、アルベリックは魔術を発動させる。


「〈光の矢〉改――っ!」


 その声と同時に放たれた薄く光る矢が、男たちの乗っている馬へと殺到した。


 狙いあやまたず、むき出しの馬の皮膚に到達した矢が、強烈な衝撃を馬たちの意識に与えて昏倒こんとうさせる。速度が落ちていたのが幸いしてか、足を骨折した馬などはいなかったが、その背中にまたがった男たちは容赦なく地面に投げ出された。


「うわっ!?」

「ぎゃあっ!!」


 受け身も取れずに地面に叩きつけられる者もいれば、地面を転がって衝撃を最低限に抑える者、馬が倒れる前に自ら飛び降りて放り出されるのを回避する者もいた。


 最後の集団に所属する一人――猫のような身ごなしで地面に降り立ったバーナビーは、目を鋭く光らせてアルベリックを油断なく見やった。


「魔術師か……若い割になかなかやるな。先に馬を狙うとは、可愛らしい見かけの割にはずいぶん容赦がないが」

「……可愛らしい、は余計だ」


 やや不愉快そうにアルベリックは声を投げる。その身を包むのは、今日はごく薄い桜色の乗馬服で、むしろバーナビーの言葉に理があった。

 剣帯で腰に提げた愛用の剣も、華奢な身体にはいささか不釣り合いに見える。


「まず、一応は確認させてもらおうか――お前たちはなんの用事があって、このクレナ村にやって来た? この村は今取り込み中で、客人の相手はできそうにない。なので私が代わって用件を問わせてもらおう。さて、返答は?」


 アルベリックが投げた声に対し、いっせいに返ってきたのは下品な嘲笑だった。


「お嬢ちゃんよぉ、ちょっと腕に覚えがあるからって調子に乗ると痛い目を見るぜ!」

「この人数を相手にできると思ってんのか? どうせなら、足を開いて相手をしてくれると嬉しいんだがな!」


「なに、嫌でも相手させてやりゃあいい! ここにいる全員で突っ込んでやりゃ、そんな生意気なことは一言も言えなくなるだろうよ! かわりに気持ちよくてひいひい泣き叫ぶことになるだろうけどな!」


 ぎゃははは、と笑いながら男たちが放った声に、不快感を表したのはアルベリックだけではなかった。


「……俺の目の前で、俺のあるじに危害を加えると?」


 声の底に静かな怒気どきを漂わせて、デュシェスがゆらりと男たちの前に歩み出る。

 アルベリックとは違い、見るからに腕っ節の立ちそうな体格のいい青年を目にし、男たちの表情も怯んだようなものへと変わった。


 だが、他に立つのがグラハム一人ということもあって、彼らはすぐ余裕を取り戻した。


「なに、たかだか三人だ! しかも一人は剣も握ったことのなさそうなお嬢ちゃんだぞ! 囲んでやっちまえ!」

「男は殺してもかまわんが、女は生かしとけよ! 売ったらいい金になりそうだ!」


 口々に言って、男たちは包囲の輪を縮める。それと同時に、後ろ側に控えていた男たちの間から放たれた矢が、アルベリックたちへと襲いかかった。


「――っ!」


 アルベリックは反射的に剣を抜いて矢を切り払う。デュシェスとグラハムも同様に、抜き放った剣で身体に突き立つ寸前の矢をはじき飛ばした。

 不意打ちの攻撃が不発に終わったのを見て、男たちの間から舌打ちの音がれる。


 だが、弓矢による攻撃は一度だけでは終わらなかった。包囲する男たちに当たらないよう、やや上に向かって撃ち出された矢が、まるで雨のように降り注ぐ。


「くそ、性質の悪い……っ!」


 悪態を付きながらグラハムが剣をふるう。身体に当たりそうな矢のみを防いでいるが、それでもかなりの数だ。


 デュシェスは自分だけでなく、アルベリックに当たりそうな矢も切り飛ばしている。


 体格に比べて長さも重さも過剰な剣を、アルベリックが操りにくそうにしているのを見かねてのことだった。身体強化の術を駆使してもなお、小さくなった身体や手の大きさに剣が合っていないのだ。


 使い慣れた剣にこだわった自身の失敗を、アルベリックは内心で歯噛みして認める。


 だが時すでに遅く、自分だけでなくデュシェスまでも危険にさらしている。唇を噛み締め、アルベリックが魔術を使うために意識を集中しようとした時、防御の隙間を縫って一本の矢がその足を貫き――かけた。


「〈風壁〉!」


 その瞬間、強烈な圧力を持った空気の壁がぎりぎりで矢の進路を阻む。軌道を狂わされて狙いを外した矢が、アルベリックの足元の地面に突き立った。


「――〈光の矢〉!」


 途切れかけた集中をかろうじて維持し、発動させたアルベリックの魔術が弓を持った男たちへと放たれる。

 革鎧を身につけている者が大半であったため、装甲に弾かれて七割ほどは効果を発揮せずに終わったが、それでも五人ほどが光の矢を受けてその場に倒れる。


「クロエ、助かった!」


 残る男たちから目を離さず、アルベリックは喜色のにじむ声を投げる。

 すんでのところで魔術防壁を構築した紫紺の髪の青年は、むしろ怒ったように声を荒らげて言い放った。


「助かった、じゃない! ああもう、なんで護衛対象が先陣切って賊の相手なんかしてるんだよ! 頼むから後ろで大人しくしててくれ!!」

「仕方ないだろう! 引っ込む間もなく向こうから襲いかかってきたんだから!」


「そりゃわざわざ獲物を逃がす賊はいないし! いやもう空気読め馬鹿! どうせ下心剥き出しで鼻息荒げて襲ってきたんだろうけど、自分の手に負える相手かどうか見極める眼力もないんだったら、一生山にでももってろ!」

「……なぁ、その馬鹿っていうのは向こうに言ってるんだよな?」

「心当たりがないんだったらそうだろ? 言われる心当たりがあるんだったら、行動を慎んでもらえると非常に助かるんだけど!」


 喧嘩腰で言葉を投げつけ合いながらも、クロエとアルベリックは完璧な役割分担で即座に魔術を構成する。

 クロエは飛んでくる矢を防ぐための空気の防壁を。アルベリックは弓矢持ちの男たちを仕留めるための光の矢の準備を。


 一言の打ち合わせもなしに、完成した魔術が矢を防ぎ、数人の男たちを昏倒させる。


「効きが悪い――やはり武装している相手には、この術は向かないか」


 舌打ち混ざりにアルベリックが言う。その顔をちらりと呆れたように見やって、クロエが防壁を維持したまま別の魔術を構築する。


「この期に及んで、相手を無傷で仕留しとめようって考えるほうが間違ってるんじゃ? こっちの命も金も尊厳そんげんも奪う気でいる人間に対して、手加減する理由ってなにかある?」

「……ないな、確かに」


 顔をしかめながらアルベリックが認めるのと同時に、クロエの手元に浮かび上がった魔法陣から透きとおった水の刃が放たれる。


 手のひらほどの大きさの刃は、その見かけからは想像もつかない恐ろしいほどの切れ味を持っていた。それを証明するように、男たちが手にする弓がすっぱりと輪切りにされ、男たち自身の身体にも鋭い断ち傷が刻まれる。


「うっ!」

「ぐぁっ!」


 うめき声や悲鳴を洩らして後衛の男たちが倒れる。アルベリックたちを包囲している前衛の男たちが、その声を耳にしてあからさまに顔色を変えた。

 彼らの顔に広がった怯えの表情を消したのは、まるでげきでも入れるように背後から投げられた声――ではなかった。


「びびってんじゃねえぞ! 魔術師が増えたところで、魔術を使う暇を与えなきゃただの役立たずだ! さっさと片付けろ!」

「――っ!」


 その声に意識が向いた一瞬の隙をくように、男たちの間から走り出てきたバーナビーがアルベリックへと斬りかかる。


 魔術の構築は間に合わず、アルベリックは反射的に手にした剣で攻撃を防いだ。

 バーナビーの手にあったのは、やや肉厚ではあったが短剣に分類される大きさの剣だった。だがその威力は凄まじく、アルベリックは危うく剣を弾き飛ばされそうになる。


「……ぐっ」


 手に残るしびれにアルベリックは呻きを洩らし、両手で剣を握り締めて次の一撃に備える。


 バーナビーが戦力の一端であるアルベリックを追い詰めたことで、周囲の男たちの顔にも余裕が戻ってきた。実のところ、戦力という面では一番劣っているのだが、それを理解できる頭脳の持ち主は一人としていなかった。


「よし、お頭がその女をおさえているうちに、他の邪魔な男どもを片付けち――!」


 叫んでクロエに斬りかかろうとした男が、横から蹴りを受けて吹っ飛ばされる。


「うぐぁっ!?」


 まっすぐ真横に飛んでいった男が何度も地面ではずみ、白目をむいて横たわる。ぎょっとした顔でそれを見送った他の男たちが、加害者であるグラハムに敵意のこもる目を向けた。


「てめえ、よくも……!」

「あー、はいはい、テンプレ台詞せりふはスキップでお願いするっす。量産型の賊の台詞なんていい加減聞き飽きてるんで」


 面白くもなさそうに言いながら、グラハムは斬りかかってくる男たちを次々と蹴りや肘で沈めていく。手には剣を持っていたが、相手の攻撃を逸らす以外には使わなかった。


「なんだてめえ! 俺たちには剣を使う必要も……!」

「はいはい、スキップスキップ――ていうか、殺したらアンジェ様が気にむし、あとで治療する手間がもったいないから剣を使わないだけっすよ。いやもう、どんなに痛い思いしようがそのまま死のうが、自分で選んだ人生の結果って思うんすけどね」


 ふざけた口調ながら、冷め切った言葉をグラハムは男たちへと投げつける。その間も一人、また一人と襲いかかる男たちを無力化し、近づく者がいなくなったところで彼はにっと笑みを浮かべてみせた。


「まぁ、そういう甘いところも含めて、俺は今の主が気に入ってるんで――できるだけ流血沙汰は避けていく方針っす!」

「……ふざけんな、てめえっ!」


 やや腰の引けた様子を見せた男たちだが、グラハムの笑顔と台詞に挑発されたようにいっせいに襲いかかる。


 それを迎え撃つグラハムの顔には、依然として余裕のある笑みが浮かんだままだった。


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