第26話 術の伝授と開発
「いやぁ、見事に病人と病人予備軍ばっかりの状態ですね。最初の患者が現れてから、まだ一月もたっていないのにこの惨状とは……国単位でこの病が
言葉の内容の割には緊張感のない口調でヒュームが言うのを、アルベリックは呆れと苦笑の混ざった表情で眺めやった。
「その割にはずいぶん余裕だな。正直、私はこれが治療不可能だった時のことを考えて、胃に穴が開きそうだったんだが……」
「ははは、原因の究明なんかはアンジェ様に丸投げでしたからね。というか、アンジェ様でも駄目だったら、他の誰がなにをしようとどうにもならないですし」
顔を覆っていた布を外し、ヘレナが差し出した袋に投げ入れながらヒュームは告げる。
「まぁ、なんらかの対応策は見つけてくださると思ってましたので。それこそ万が一、私が村人と同じ病に倒れたとしても――持てる力の限りを尽くして助けてくださるでしょう? だったら心配するだけ無駄ってものですよ」
「信頼してくれるのは嬉しいが、今回病気の原因を特定できたのは運も大きいぞ」
苦笑の成分をやや濃くしてアルベリックは肩をすくめる。自分でも信じられないくらい、病気の原因を特定するのが容易に進んだのも確かだった。
「最初に発症した村人が、珍しい獣を狩ってきていたことを村長が覚えていて、それと同種の獣がクロエの探知で発見可能な場所にいた――それだけでも相当な幸運だ」
そう言ってアルベリックが村長に視線を向けると、彼は慌てて両手を振ってみせた。
「いや、俺なんがなんも……村のもんが次々に倒れてぐのを、ただ見でることしかできなかったし……まさか、呪いじゃなく病気だなんで思いもしながったし」
「古代の遺跡から出る発掘品の中には、本当にタチの悪い呪いがかかっているものも多いからね。わたしたちがそういう例を引き合いに出して、発掘品の取り扱いには気をつけるように口うるさく言ったのも原因の一つだろうさ」
「……それに、私も平癒の術が効かなかった時点で、早々に病気の可能性を排除してしまっていました」
こちらは自前のマントを脱ぎながら、クリスティアーナが肩を落として言う。
「術者が知らない病は、平癒の術でも治せない……治癒術を学んだ際に教わっていたことなのに、すっかり失念していました。完全に呪いだとばかり思い込んで……エレンさんを訪ねる時間を村の人の治療に使えば、ここまで悪化することもなかったかもしれないのに……」
「その時は、村の状況が外部の人間に伝わるのがさらに遅くなっていたはずだ。ティアーナが呪いだと思って、エレンのもとを訪ねようとしてくれたおかげで、私たちはこの村の危機的状況を知ることができた。結果的には、それでよかったんだと思う」
アルベリックが口にした言葉は本心からのもので、沈んだ様子のクリスティアーナがほんの少しだけ浮上する気配を見せる。
「……でも、今回のことは私自身の至らなさが招いたものでもあります。もう二度とこんなことがないように……少しばかり治癒術の腕に自信があるからといって、
生真面目な声音で言ってから、それも今回の件が解決してからの話ですが、と彼女は切り替えるように付け加える。
「私の力でよければ、いくらでも使ってかまいませんので……どうか、村の人たちの病を治すお手伝いをさせてください。なにをどうするのか、まるで見当もつきませんが……」
「それはむしろ、こちらから頼みたいくらいだ。ヒューム一人じゃとても手が回りきらないだろうし、だからといって私やクロエには治癒術の適正がほとんどないから、いざ治療となると戦力外もいいところだ」
アルベリックの表情に苦いものが漂う。魔術に関してはかなり高い適性を持つ二人だが、それが治癒術に適用されないのは納得がいかなかった。
「ティアーナにはまず、この病を治療するための――ちょっと言い方は悪いが、実験台として協力して欲しい。まずヒュームに生きた病原体を探知してもらってその存在を認識できるようになってから、それを消し去るイメージで平癒の術を使ってもらう」
これで治せるようになるとは思うが、とアルベリックは少し難しい顔をして言う。
「ただ、上手く探知ができなかったり、消去するイメージが
この上もなく真剣な目で見つめるアルベリックに、クリスティアーナはくすりと笑みの混ざった息を
「その役目、ぜひ私に任せてください――そんな形で役に立てるのなら、私がこの病気にかかった意味もあると思います。きちんと病気が治るようになるまで、何度でも――何十回でも、実験にお付き合いいたします」
「……ありがとう、助かる」
胸の奥から湧き出てくるような思いを、アルベリックは素直に言葉にする。
赤黒く変色したクリスティアーナの顔は、気の弱い者や子供が見れば悲鳴をあげかねないほどに醜いはずなのに、不思議と美しく感じられた。
そんな両者を横目に見やって、羽織っていた簡素なマントを脱いだヒュームがぼやくような口調で言った。
「なにやら、私が失敗することが前提になっているようで、正直複雑な気持ちなんですが……いえね、一度で完璧にやれと言われるよりも、気が楽っちゃ楽なんですが」
「それはすまなかったな。だが、世の中上手くいかないことも多いし、私はどちらかというと心配性のほうなんだ。できれば、安全策はいくらでも講じておきたい――まず生きた病原体を探知するのが一つの難関だからな。目に見えないくらい小さいものを、どうやったらあると信じて術を使うことができるか……」
「これはまた、異なことをおっしゃる」
顔を曇らせるアルベリックに向かって、ヒュームはごく当たり前のことを言うように自然に微笑んでみせた。
「目には見えなくても、あると信じることはいくらでもできますよ? 私は一度として、神の姿を見たことはありませんが、神が存在することは一片の疑いもなく信じてます。それと同じことではありませんか?」
「……そうだったな」
神官としてはやや罰当たりなヒュームの発言に、アルベリックは苦笑してうなずく。
その笑みは神を心から信じられない、この世界においては異端者ともいえる自分自身に向けてのものでもあった。同時に、そんな自分さえ許容するヒュームの懐の深さに感謝する思いもあった。
「だったら、上手く探知ができなかった時に備えて、病原体の存在を画像化して投影する術を用意していたのだが――使う必要はなさそうだな。神官としての面目もかかっているみたいだし、ヒュームが自力で病原体を探知できると信じて闇に
「あ、いや、そういう便利なものがあるのでしたら、ぜひ使っていただきたく……私の面目なんかよりも、今病で苦しんでいる皆さんを一刻も早く救うことのほうが大事ですし」
やや焦ったように早口になってヒュームが言う。その顔にはしなくていい苦労をわざわざしたくないという、きわめて正直な気持ちが現れていた。
アルベリックは隣に立つクリスティアーナと目を見合わせて、思わずといった様子で小さく噴き出す。
同様に他の者たちも笑いを洩らし、さざめくような笑い声があたりに広がった。
ヒュームはやや憮然とした顔つきで頭に手を当てていたが、直後その顔にのぞいた笑みは狙っていたと言わんばかりの、したたかさを感じさせるものだった。
その後、アルベリックはクロエと協力して、箱に入れた小動物が持っている病原体をヒュームが探知できるまで術の教授を行った。
最初にアルベリックが病原体の存在を、光る点として表示したためもあって、術を覚えるのにはさほど時間はかからなかった。
問題は、探知したその病原体を、選択して消去する方法が見つからないことだった。
実際に病人に対して使用する時には、生きた人間の体内にいる病原体だけを殺す方法が必要となる。まさか火で焼却したり、人体に影響の出るような毒物を生成するわけにもいかない。最も手っ取り早いのは、体内から病原体だけを除去することだったが……
「……なんとも難しいですね。普通の治癒術とはまるで勝手が違うというか、かなり精密な制御を必要とする魔術を使っている気分ですよ……」
「ヒュームは空間系の魔術には、あまり適正がないからな……本来だったら、その病原体に有効な薬品を生成して投与するのが一番なんだろうが」
ヒュームと額を寄せ合うようにして、眉間に皺を寄せたアルベリックが息を吐く。
「残念ながら、それをするには圧倒的に時間が足りない。病原体に対して効き目があっても、人の身体に害を与えないとは限らないからな。動物実験から始めて、人の身体に害のない薬を作り出すまでにどれくらいかかるか……一月や二月ではきかないのは確かだ」
「治癒術はそのあたり、反則といっていいほどに使い勝手がいいですからねぇ。そのせいで、民間治療くらいでしか薬が用いられないという問題もあるんですが」
「そうなんだよなぁ……きちんと記録を取って研究を進めれば、薬だってもっと役に立つはずなのに……ああ、いや、今はそんなことを言ってる場合じゃないか」
逸れた思考を戻すようにアルベリックは頭を振る。横でそんな二人のやりとりを見ていたクロエが、ほとんど中身の空になったアルコールの瓶を掲げてみせた。
「あのさ、これ――病原体を殺すことができるって言ってたけど、これと同じ成分を病人の体内に作り出すことで、病原体を殺すってわけにはいかないの?」
クロエが口にした素朴な質問に、アルベリックは困ったように指先で頬を掻く。
「そうできれば楽なんだが……それは高純度のアルコールだからな。普通の状態の大人でも、一口飲んだだけで倒れてもおかしくないくらい強い酒みたいなものだ。病人の体内にそんなものを作り出したら、病原体を殺す前に急性アルコール中毒になってもおかしくない」
「……つまり、これ自体が一種の毒みたいなもんってことか」
「ああ。ただ……考え方としては悪くない。アルコールそのものを体内に作り出すことができなくても、アルコールの及ぼす作用を体内の病原体に対して与えることができれば……」
眉を寄せて考え込むアルベリックを、ヒュームとクロエは信頼を込めた目で見守る。
お互いの表情に気がつき、ヒュームはからかうような微笑を浮かべ、クロエはやや頬を赤くしてそっぽを向く。
ふたりのやりとりに気づくことなく、しばらく動きを止めて考え込んだのちにアルベリックは、口元に笑みを浮かべて顔を上げた。
「……うん、いける! まずこの動物から採取した病原体をアルコールで殺して、その現象を見えない場所にいる病原体で再生する。それで問題なく殺せるようなら、今度はこの動物の体内にいるはずの病原体に対して使って――動物の身体に影響が出ないようなら、人の身体を使って実験してみる……」
勢い込んで言ったアルベリックの台詞が、尻すぼみになって消える。
その顔に浮かんだのは、実験台となるはずのクリスティアーナを案じる表情だった。せめてもう少し、安全が確認できるまで動物実験を続けて――という気持ちが透けて見える表情に、クロエとヒュームが見合わせた顔に苦笑を浮かべる。
「アンジェ様、なんだったらもう一匹か二匹、この動物を捕まえてきてもらいましょうか? 二匹目がいたってことは、森の中で繁殖している可能性が高いでしょうし……」
「さっき探知の術を使ってみた感じでは、もう何匹かは森の中にいる様子だった。少なくとも群れ単位で生息してるのは間違いない。ここまでデュシェスの出番といったら、たまに出る魔物を蹴散らすくらいだったし、もうひとっ走りしてくる体力はあるんじゃないか?」
口々に言う二人に、アルベリックの表情が誘惑に
やがてアルベリックは大きく息を吐く。最終的に勝利したのは後者で、そこまで安全に気を払う理由が村人たちのことを考えてではなく、単純にクリスティアーナを危険にさらしたくないという思いゆえだと気づいたためだった。
「……いや、そこまで時間をかけてはいられない。最初に発症した村人たちは、かなり体力を消耗しているし……特に子供たちは、大人以上に症状の進行も体力の消耗も速いんだ」
吐き出した息で押し出すように、アルベリックは言葉を口にする。その脳裏に浮かぶのは、村に到着してすぐに目にした子供の姿だった。
「もちろん、安全には最大限気を払う。ヒュームもクロエも、今晩はとことんまで付き合ってもらうからな? 確実に病原体を殺すことができて、人体には害を与えない平癒の術を完成させるまでは……一晩や二晩徹夜も辞さない覚悟だ」
「いや、寝てくださいよそこは。人には無理をするなと言う割に、自分は無茶前提で行動するのはよくない癖ですよ?」
「ヘレナが気絶させてでもベッドに放り込むから大丈夫だ。というか、生きた病原体があって殺す方法もわかってて、実際に殺すところを見ることもできて――それでも術を完成させるのに一晩も二晩もかかるって、もしかして本気で言ってんの?」
いかにも心外と言いたげに、片眉を吊り上げてクロエが棘まみれの言葉を投げる。
「この天才の僕と、仮にも僕に並ぶくらいの発想力と術式の構築能力を持ったお――アンジェがいて、そんなにかかるわけがないだろ? 少しは自分の力量ってものを把握したら? 僕に並ぶってことは、この国どころか他の国を見回しても滅多にない実力ってことなんだし」
「……自慢してるのか、励ましてるのか判断に困る発言だな」
やや鼻白んだような表情を見せてから、その顔に複雑な微笑をのぞかせてアルベリックは言葉を返した。
苦笑の成分が濃い笑みだったが、それ以上に強い感謝の思いものぞいていた。
「だが――そうだな。人に無理をするなと言うなら、私も無理をしないように気をつけるべきか。それに、クロエの言う通り……一晩も二晩も悠長にかけている時間はないな」
「……かけるんじゃなく、かからないって言ってるんだよ。人の話を聞いてる?」
照れ隠しのようにあらぬ方を向いて、クロエは言葉を放り投げる。
アルベリックは口元の苦笑を深め、ちらりとヒュームと目を見交わしてそうだったな、と同意の声を返す。
「拙速はもちろん論外だが、時間をかければ必ずしもいい結果が生まれるわけでもない。少しでも速く、最良の結果を得られるように最大限の努力をしよう」
深い思いのこもったアルベリックの言葉を、クロエとヒュームはそれぞれ異なる表情を浮かべて首肯する。ヒュームはいつも通り余裕を感じさせる笑みで、クロエはつまらなさそうに唇を尖らせながらも、自負と自信をその金色の瞳にのぞかせて――
アルベリックも大きくうなずいて、野外用のテーブルの上に置かれた小動物を入れた箱と、ほとんど空になったアルコールの瓶に目をやった。
「そういうわけだから、二人にも最大限の努力をしてもらうぞ? まず、病原体がどんなものなのかを知ってもらう――でないと、アルコールがどのように作用して病原体を殺すのか理解できないだろうからな。あと、病原体が病気を引き起こす理由と、人間の身体が病原体に反応して発揮する抵抗力の話と……」
言葉を重ねるごとにクロエとヒュームの顔が引きつっていく。鼻息を荒くするアルベリックに、ヒュームが恐々とした口調で声を投げやった。
「ええと……お手柔らかにお願いしますよ? 私たちの頭でも、ついていける範囲内で……」
「おい、一緒にするな。僕はお――アンジェの話についていけなくなったことはないぞ。ただ理解するのに、多少時間がかかることがあるだけで」
「じゃあ、アンジェ様の話はクロエ一人で聞いて、あとでわかりやすく教えていただけませんか? 私はその、どうも込み入った話が苦手で……」
「そんなの二度手間もいいところだろう! 第一、治療の第一線に立つのはお前なんだぞ! その当人が、きちんと原理を理解して術を使えなくてどうする!?」
「苦手なものは苦手だから仕方ないんですよ! 時間と労力の削減のために、不得意なことは人に任せて得意な方面で力を発揮するのが、人間の生み出した分業という知恵なんです! というわけで、頭脳労働は天才のクロエにお任せします!」
盛大に言い合う二人を、アルベリックは呆れたように見やる。苦笑が失笑に変わりかけた表情のまま、どこか遠い目つきで自身に問いかけるように言った。
「……そんなに理解不能なことを言っているのか、私は? そこまで専門性の高い知識でもないと思うんだが……」
一般常識の範囲だろう、と呟く声は誰の耳にも届かずアルベリックの口の中に消えた。
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